三宅島再噴火 2000年8月11-15日の現地調査
by Isoji MIYAGI @ Geological Survey of Japan, AIST
- 写真&文: 宮城@地質調査所
- 作成日: 平成13年2月7日(水);
- 最終変更日: 平成13年9月6日(木)
- デザイン変更: 2007年12月22日土曜日
画像のスライドショーはこちら→ Slide Show
- ★背景★
2000年6月から始まった今回の三宅島火山活動様式は,歴史時代の噴火(例えば1983年は溶岩を出す噴火が半日で終了)とは大きく異なりました.噴火は山頂からの火山灰放出が主で,近代の火山学者にとっては恐らく初めての体験である,山頂部の大規模な陥没現象も含まれています.本調査当時,その噴火機構の解釈は大きく分けて二つあり,ひとつは「三宅島の地下にマグマはなく,噴火は熱水の沸騰による」というもので,もうひとつは,「一連の噴火にマグマが直接関与した」というものでした.筆者(ら)は7月14〜15日の火山灰を詳細に調べた結果,後者の説が濃厚だと確信し大変緊張していましたが,幸いなことにその噴火以降,三宅島は静けさを取り戻していました.三宅島がその沈黙を破ったのは約1ヶ月後,8月10日のことでした.
- ★したこと★
2000年8月10日の再噴火で島内に堆積した火山灰の調査および採取をしました.8月13日には,噴火にともなう泥雨をライブで採取しました.8月14日には13日の堆積物の調査と採取をするとともに,同日の噴出物を採取しました.
- ★成果★
研究所に持ち帰った8月10日(走査電子顕微鏡写真)および13日の火山灰(写真)には,7月14日(写真)とそっくりな物質(マグマの可能性が益々濃厚)が含まれることが明かになりました.その詳細は予知連や火山学会で報告したほか,比較的分りやすいかたちでこの文章にまとめてあります.
※なお噴火機構の解釈は,2000年11月1日の予知連で北大と東大地震研が「2000年三宅島の山頂噴火でマグマが出た(地調のこれまでの主張と同じ)」という見解に達したことによって,現在は統一されています.
- ★その後★
本調査の後すぐ,8月18日に,三宅島は最大級の噴火をしました.また8月29日には海岸線まで達する火砕流(低温の)が発生しました.地調は8月31日の予知連に,「一連の噴火は,マグマが直接に関与した噴火である可能性が高い」という見解を提出しました.9月1日に決定された全島避難は,膨大な量の火山ガス放出のため,本稿執筆時点(2001年2月7日)でも,解除されていません.今後は膨大な火山ガス放出がどのように推移するかを見極めることが,重点課題になるでしょう.
以下,本調査の様子を日記風に紹介させていただきます.
- 平成13年9月6日(木)作成&追加↓
- GPS(GARMIN製,GPS2+)による調査行動記録をまとめました.
- データは2000年8月11日8時39分〜8月14日19時44分「民宿 ほまれ」発着分.
- 但しその後のヘリ観測時の航跡も含みます.ファイルはこちらです→t.20000810-14.mov(QuickTimeMovie 1.8MB;平成13年8月28日(火) 作成&追加)
目次 |
一日目
8月10日,朝のニュースで三宅島が再噴火したことを聞きました.今回は筆者(宮城)が現地に行くことになりました.
急に忙しくなりました.宮城は三宅島に行くのは初めてです.大いそぎで文献の図表をコピーして野帳に貼った「あんちょこ」を作ったり,現地で火山灰観察をするための前処理用品(ナイロン製使い捨てメッシュの篩,小型の超音波洗浄器,プラスチックビーカー等)を用意したり,地下水の研究のため役場の水道担当者の名前調べたり,噴煙のライブカメラ設置のため設置場所案を確認したり,三宅島の火山地質図作成者(同室の川辺氏)からその他の三宅関係者の名刺を見せてもらったり,等々の作業であっという間に夕方になってしまった.
三宅島行きの船は夜10時半に竹芝桟橋から出航します.夕方,妻と娘二人に荒川沖駅まで送ってもらいました.竹芝桟橋の最寄り駅は浜松町.アタックザックをせおい,いざ出発.竹芝桟橋待合所でコピーした文献に目をとおしました.東大地震研の中田さん金子さんと合流.今回の噴火機構がいったいどうなっているのか,金子さんと議論.船内泊.
上空からみた竹芝桟橋.[1]
2001年2月12日の三宅島ヘリ観察の帰りに,宮城撮影.
二日目
三宅島の到着は翌朝の5時.三池港の桟橋ですぐに,その他の研究者仲間が見つかりました.まず宿「ほまれ」に向かいます(左の写真; 左から中田@地震研さん,長井@地震研さん,大野@日大さん,金子@地震研さん).朝食を待つ間,食堂は端末室に早変わり(右の写真;黄色シャツが千葉@アジア航測さん).
島下の「砲台」付近での調査.土嚢の上に,昨日(8月10日)の降灰の生々しい痕跡がある(左の写真).右の写真,ブロック塀には雨が降ったように縦の模様が多数あります.これは,火山灰が「粉」ではなく「どろあめ」として降ったことを,示しています.なお,地質調査所のフィールドノートの大きさは,16.5 x 8.6 cmです.
「砲台」での調査風景.この地点での降灰量を測定するため,定面積サンプリング(降灰量を「厚み」ではなく,面積が既知の範囲に降下した火山灰の重量によって表現するための測定法です.ついでに試料採取にもなる)をしているところ(右の写真).
缶ジュースでつくった「ミニ泥流」.[9]
雨が降れば即,泥流の危険があることがよく分かります.
赤場暁にて.
左:泥流に埋められた,椎取神社の鳥居.
右:赤場暁の溶岩の上を流れた,泥流(大きな土嚢の向うにみえる水平面が,泥流の上面).
三七山展望台からみた三宅島雄山.
[12]
三七山展望台のすぐ南の沢にも泥流がありました.
左:泥流に入れた「手(千葉@アジア航測さん)」
右:泥が乾いた「手(千葉@アジア航測さん)」
サタドー岬入口付近.定面積サンプリングをしているところ.
三池浜の都道は,泥流のため通行できなかった.[17]
ひきかえして赤場暁の上流付近の調査に向かう.
赤場暁の西,都道から約500m付近の様子.泥雨の重みによって,ビニールハウスは潰れてしまった.
左:泥の感蝕を自ら確認するちば@日大さん.
[20]
右:確認後,足を洗浄中. [21]
「はちまき道路」で調査を行なう.三池浜の都道は通行できるようになっていた.南下し,三池高校と畜産試験場の間から「はちまき道路」へ登坂する.「はちまき道路」を反時計回りに北上.山頂からの降灰は北上するにつれ厚くなり,車での走行を断念,降りて徒歩で調査.とても歩きにくいが<a target="usu2000"href="../Usu-2000/HomePage.html">雨の日の有珠の西山火口 ほどではない.
※写真をとっていると,すぐ置いてゆかれる,,.
はちまき道路での調査の様子.村役場のほぼ西にあたる.周囲の樹木はみな,付着した灰の重みによって,うなだれています.降灰量が多すぎるため,二次的な流動の少なそうな部分を探すのに苦労しました.
一日歩き回ったあとの食事は最高でした.−> 民宿「ほまれ」さま
三日目
調査に使用したレンタカーのエンジン.泥まみれ.
[28]
8月12日は,台風の接近にともない,時間とともに風雨が強くなってきました.
宮城は溶岩で押し潰された阿古小学校を見たことがなかったので,見学してきました.上の画像をクリックすると大きなパノラマ写真がみれます.
四日目
13日も風雨でした.こうなると野外調査は困難です.
しかし,幸い(?)にも,暇をもてあますことはありませんでした.このような時のために持参していた超音波洗浄器と篩があります.宿で,昨日採取した試料を処理し,観察します.試料を超音波洗浄器で洗浄する理由は,観察対象の火山灰粒子(0.15-0.25mm)の表面に付着している非常に細かい粒子を除去(観察の邪魔になる)するためです.火山灰に多量の水を加えて懸濁させ,数分間超音波洗浄して,静置して,しばらくしたら上澄み水を捨て,また水を加えて超音波洗浄(容器はペットボトルをビクトリノックスで切って自作).これをくりかえして(少なくとも二〜三回),上澄み水がほとんど濁らなくなったら,洗浄は完了です.あとは,水を流しながら篩(0.15mm, 0.25mm)をかけます.(このとき水を直接捨ててはいけない.いったん大きい容器で静置し,うわずみだけを流し台に捨て,沈殿物は庭に捨てる.そうしないと流し台がつまってしまうので.)火山灰の観察時,ちば@アジア航測さんにお借りした小型実体顕微鏡,「ファーブルミニ」が非常に役にたちました.
火山灰を観察したところ,7月14日にみられたものとそっくりな(マグマ物質の疑いの強い)粒子が多数含まれていたので,大変驚きました.
それに追い討ちをかけるように,そのひ雄山が噴火し,著者らが滞在していた阿古地区に降灰がありました.
8月13日の噴火 阿古に降灰
阿古で降灰:
17:45ごろ〜どろ雨が降りはじめる
18:00 層厚7ミリ
18:08 層厚10ミリ
18:12 層厚13.5ミリ
18:19 層厚14.0ミリ
18:21 降灰はおわり.あとは普通の雨.
※層厚計測は大野@日大さんによる.
急きょ,バットを設置.火山灰の採取開始.[34]
リアルタイムで降灰状況の記録をする大野@日大さんと長井@地震研さん.
と,,,いきなり停電.[37]
ひょっとすると泥雨が電線のガイシに付着したのかもしれない.
五日目
一夜明けて
昨日の降灰の上に,早速,猫の足跡がついてました.
[38]
雄山登山道路
台風一過の青空の下,昨晩(8月13日)の降灰状況を調べるために雄山登山道路を標高660メートル付近まで行きました.
これまで雄山の噴気は不活発であり,山頂部に近づいても火山ガスの臭いを感じることはなかったが(中田@地震研さん 談),このとき我々は火山ガス(恐らく二酸化硫黄)のために鼻と喉の奥に強い痛みを感じました.
※なお,村営牧場の様子はこの文書に公開済みです.→2000年8月13日の降灰後の村営牧場と雄山登山道路の状況
すぐ向こうは陥没穴です.
度々ジェット機のような音を耳にしました.この場所は危険なので,調査と試料採取を手早く済ませ,急いで山を降ります.
七島展望台
下山して七島展望台に向いました.[41]
ここなら噴火の様子がよく見えます.
※このとき撮影した写真をもとに作成したQuickTimeVRがこれ→7is-vp.mov です.
噴煙は白色で,風下に流されるうちにどんどん消えてゆきます.9月以降普通にみられる「青い霧」は,このときは確認できませんでした.
※参考:ヘリコプターから見た2000年10月19日の三宅島 (by 宮城@地調)
「青い霧」はありませんでしたが,噴煙の下部をよく見ると,暗色のなにかが落下しているように見えます.坪田方面に降灰しているようです.
村営牧場
噴煙は定常的に出ているのではなく,数分の周期で盛衰をくりかえしていました.これは村営牧場から見た様子で,右の写真は左の約1分後のもの.勢いのよい噴煙が出る少し前には,「ズゴゴゴゴ,,,」という音がきこえました.
12:59 plume開始
13:08 火山雷のようなものが見えた
13:20 比較的大きなplume
13:28 やや小さなplume
13:30 比較的大きなplume
13:33 やや小さなplume
13:36 13:54 かなり大きなplume.噴煙底部には,降下する灰色plumeが見える
14:15 勢い増加
…
14:40-14:55 鳴動きこえる
14:55 鳴動,ぴたっととまる
15:06 鳴動開始,連続的に噴煙が上昇
15:11 鳴動停止,しかし噴煙は上昇継続
15:16 噴煙の供給停止
15:24 噴煙plume開始
15:30 stop
15:32 start
15:40 stop
15:42 鳴動開始,plume start
15:45 鳴動停止,plume 継続
15:49 plume stop
15:51 鳴動開始,plume start
15:53 鳴動停止,plume 継続
15:59 plume stop
…
16:07 鳴動開始
16:11 鳴動停止,
…
16:27 plume確認
※宮城のフィールドノートより.
七島展望台から村営牧場を北に横切る途中,灰の重みで倒れた木の中から「ぴぃぴぃ」という音がきこえました.[48]
近づいてみると,鳥のひなが入っていてました.調査中,この雛鳥のほかにも多くのかわいそうな動物たちを見かけました.
坪田の降灰
午後5時頃坪田付近に到着(中田&金子@地震研さん,および筆者).坪田では顆粒状,直径1〜2ミリの物が降っていました.それは指で簡単につぶすことができる程度に凝集した,火山灰でした.
地震研の監視カメラ(さだぞうカメラ)
右:坪田に設置した地震研の噴煙監視カメラ(寺田@地震研さん)
[52]
左:監視カメラとほぼ同じ目線から見た,雄山の噴煙. [53]
六日目
ふたたび椎取神社を訪れました.[54]
二日目に撮影した写真と比べてみてください.泥水は半固結状態になり,その後流れた水によって早速浸食されています.このように泥流は不安定でたやすく再流動しますので,泥流対策をするためには常に最新の情報を把握する必要があります.
三宅島の今後に不安をいだきながらも,無事,つくばに戻ることができました.これは地調隣の「生命研」の入口にある「龍舌蘭」の花です.説明プラカードがたつまで,これは遺伝子操作によってつくられたオバケアロエだと思っていたのですが,実はテキーラ(結構好きです)の材料だと知って安心しました.
ちょうどこの花が咲いた頃,三宅島の火山ガス放出量が増大して関東でも異臭さわぎがありました.いつかまたこの花をみたら,それを思いだすことでしょう.