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多変数解析函数論と物理学
多変数複素解析関数論は岡潔博士の研究により形成されたと言っても良いものです。
複素関数論は複素変数を一つから二つ以上に増やすだけで理論の様相が大きく変わってきます。
多変数解析関数論において本質的なことは、局所から大域へということです。
局所的な領域で言えることがより広い領域においても成り立つかということです。
多変数解析関数の重要な性質として次の三つがあります。
(1) クザン(Cousin)の問題における岡の原理。
(2) 複素解析関数の芽の層は連接的(coherent)である。
(3) 正則領域は擬凸性をもつ。
クザンの問題というのは、局所的にある性質を満たす複素関数があったときに、大域的にそれらをみたすような解析関数は
存在するかという問題です。加法的と乗法的クザンの問題がありますが、特に乗法的クザンの問題を考えます。
局所的にゼロ点と極を指定すると複素関数、すなわち有理型関数が局所的に決まります。それらが存在する開集合の共通部分では
それらの比は正則でありゼロにもならないとしておきます。この時にそれらの局所関数を繋げるような関数が大域的な領域に存在するか
という問題です。岡博士が発見したことは、もしそのような関数で連続なものが存在するならばその関数は必然的に解析的になる、
ということです。これは驚くべきことです。連続な解があるならばその解は解析的になってしまうからです。
この命題は「岡の原理」と呼ばれています。
多変数解析関数において局所から大域へが重要なキーワードでしたが、物理学においても同様です。
量子力学的な系を考えたとき、局所的には何らかの秩序があった時に大域的にも同様な秩序があるかどうかはわかりません。
すなわち、波動関数の局所的な性質がそのまま大域的なものであるかどうかはわかりません。例えば、
局所的にスピン間に強磁性、反強磁性などの相関があったとしても長距離で見ると何も相関がないかもしれません。
解析関数の層の連接性は非常に重要な性質です。複素解析関数の新立脚点となったものです
(飯高茂『代数幾何学 I』)。連接性はcoherentの訳ですが、簡単に言うと有限性ということです。
連接性定理は、解析関数の芽の層は有限個の基底を考えれば良いということを意味しており、「岡の連接定理」と呼ばれています。
数学において(物理学においても)有限ということは重要です。無限個の関数を考えなくてはいけないと思っていたものが、
有限個で良いとなるとこれは非常にありがたいわけです。すなわち、無限を有限にすることは極めて重要なことです。
不変式論におけるヒルベルトの基底定理も同様です。m 変数の n 次形式を考えるとき、Hilbertは
「m 変数の n 次形式の全体は有限個の基底により生成される」
と主張しました。これは
「多項式環の任意のイデアルは有限生成である」
とも言えます。
無限にあっても有限個だけ考えればよいとなると驚くわけです。
4次元ゲージ理論におけるDonaldsonの理論も同様です。
ゲージ変換全体という無限次元の空間の中から有限を引き出すことが重要になるわけです。
Seiberg-Witten理論も同様の路線にあります。
「(Grothendieckの)スキームは慣れれば水のようなものです」
と言う数学者の知り合いがいるのですが、その彼に、「解析関数の層は連接であると言うことですが、その意味を教えてください」
と聞いたことがあります。
「私も何十年来年同じ疑問を持っていますが、いまだにわからないのです」
と言うのが答えでした。なんて正直なんだと思いましたが、連接性定理はそれだけ深いことを言っているのだと思いました。
物理学において強磁性体や超伝導体のように秩序状態にあるとき、これらの状態はコヒーレント状態であると言うことができます。
その意味は、このような状態は有限個のパラメーターにより記述できるということです。
例えば、強磁性体においては、キュリー温度、磁化の大きさなど有限個のパラメーターにより物理状態を特徴づけることができます。
超伝導状態においても同様です。
複素関数を考える際、ある領域にある正則関数をとり、それより小さい領域で正則関数を考え、これを繰り返すというような操作を行いますが、
これは何やらくりこみ群の操作に似ています。連接性定理によると、このような操作は有限回行えばよいことになります。
くりこみ群においても有限個のパラメーターを考えれば良い時にくりこみ可能と言われます。
正則領域とは何か、これは岡博士の研究の動機となった問題であり、これが明らかにならなければ多変数解析関数論は立ち行かなくなる
ような理論の根幹にある問題です。正則領域を、その領域では正則であるがそれ以上広げると正則ではなくなってしまうような
複素関数が存在する領域と定義しましょう。どのような領域が正則領域となるかと言う問題を考えます。
一変数の複素関数論においては、複素平面の任意の領域が正則領域となります。
任意の領域に対してその領域でしか正則でないような関数を作ることができるからです。しかし、二変数以上では状況が変わります。
勝ってにとってきた領域は必ずしも正則領域とはならないわけです。
正則領域は擬凸性により特徴付けられます。Hartogsにより正則領域は擬凸であることが示されましたが、その逆は成り立つか、
すなわち『Hartogsの逆問題』が重要な問題となります。これは、岡潔博士により不分岐領域において肯定的に解決されました。
多変数複素解析関数の物理学への応用が本気で考えられていた時代がありました。
それは、1960年代にS行列理論が盛んに研究されていた頃です。散乱振幅の解析性が重要な課題となっていました。
湯川さんがこの頃に書かれたものには、多変数解析関数についての記述があります。例えば、岩波新書『素粒子』の第二版には
第一版にはなかった多変数解析関数についての記述が加えられています。
多変数複素関数論においては、関数が正則である最大の領域を決定することが重要になります。この領域は正則包と呼ばれていて、
正則包は正則領域になります。この領域は人が勝手に決めることはできず、数学により決まり人知の及ばない所にあります。
多変数複素関数とみた時、散乱振幅の解析性が数学により決まるならば、
その特異性から粒子のスペクトルも決まるのではないかという期待がありました。
1960年代は解析性による研究は流行しており、例えば、駿台予備校で長く教鞭をとられていた山本義隆さんも大学院の頃は
このような研究をされていました。この頃に、東大におられた宮沢先生が、
「素粒子論はもうすぐ終わる」と言われていたと聞いたことがあります。
その後、研究の流行はゲージ理論へと移り標準模型の確立へと至りました。
ここで、S行列の解析性のプログラムがどうしてうまくいかなかったのか(どうして宮沢先生の予言のようにならなかったのか)
を考えてみるのは教訓的かもしれません。
まず第一に、Mandelstam表示より良い表式が得られなかったことが挙げられます。
第二に、散乱振幅や場の量の積の期待値(Wightman関数)を多変数の複素関数と見たとき、その正則包を求めることは
案外と難しい問題となります。
第三に、多変数の空間は高次元であるために視覚的に捉えにくいと言うことがあります。そのため物理的意味も捉えにくくなります。
第四に、岡博士が構築した解析函数論は主として不分岐領域においてでしたが、自然は不分岐領域に収まっているであろうか
という思いもあります。
(補: 奈良女子大学のウェブページには岡博士の原論文とそれらの日本語訳が公開されています。
論文VIにおいて有限単葉な領域における擬凸性が研究されHartogsの逆問題が解決されました。論文VIの和訳には誤植があります。
2ページ目に、"x=x1+x2であり、i は虚数単位である"とありますが、
"x=x1+ix2"の誤植ですね。奈良女子大のファイルを修正させていただきました。
ここに置きます。
論文VI-PDF
また、岡博士の京都大学における講演録「多変数解析函数について」においても、Cousinの論文の出版年について
2ページ目に1985年とありますが、1895年の誤植ですね。修正させていただきました。
講演PDF
論文VIIの和訳及び論文II(仏文)についても受理年月日について誤植があるとのことですので、ここに修正版をおきます。
和論文VIIPDF
原論文II-PDF
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