くりこみ理論からコンピューターへ



 戦後まもない頃、電子と光の相互作用をどう取り扱ったらよいかと、多くの理論 物理学者が頭を悩ませた。電子と光の理論は量子電気力学といわれるが、この理論には発散の問題がつきまとっていた。これは当時の最大の問題であり、これを解決したのが朝永さんらによるくりこみ理論である。くりこみ理論とは簡単にいうと無限大の量が出てきたら、それを有限な実験値で置き換えなさいということである。

 朝永さんはくりこみ理論というのは発散を除く一つの便法で、カンニングのようなもの だと言っていた。発散して値の定まらないと思える所へ実験値を代入しなさいということだから、確かにそのとおりである。ところが、この便法がその後 大きく発展した。それはくりこみ群の理論とよばれる。例えば、グロス(D. J. Gross)、ウィルチェック(F. Wilczek)、ポリツアー(H. D. Politzer)らにより非可換ゲージ理論に応用され漸近自由性が導かれた。クオークは近距離で自由粒子のように振舞うことが示されたのである。これはレプトンとハドロンの深非弾性散乱の実験をよく説明し、 クオークの力学として量子色力学(QCD)が確立した。

 くりこみ群の二番目の成功は相転移の理論においてである。水の蒸発、水と氷の転移は相転移の例であり、超伝導転移も典型的な相転移である。我々になじみが深く現在のテクノロジーの基礎となっている磁石も相転移によって、磁石として存在している。磁石のように磁気をもった物質は磁性体とよばれるが、磁性体の相転移の理論においてくりこみ群が使われ、大きな成功を収めた。磁性体の一番簡単なモデルはイジングモデルとよばれるが、この簡単なモデルに対してさえ、物質はどのようにして磁気を得るのか理論的に明らかにすることはそれまでできなかった。アメリカ人のウイルソン(K. G. Wilson)による計算は圧巻であり、 くりこみ群の方法を使い、磁気転移において重要な三次元イジングモデルの臨界指数を計算することに成功した。このことはくりこみ理論とは単なる便法ではなく、確かにこの世に存在するものであると印象づけた。彼はこの仕事でノーベル 賞を受賞した。

 三番目の成功は固体内の多体量子論の問題においてであった。その問題とはわが国の近藤淳博士によって研究された近藤効果の問題である。抵抗極小の問題は当時の大問題であり、多くの物理学者によって研究された。電総研の近藤淳博士は抵抗極小は局在スピンと伝導電子との相互作用の結果として起こることを示した。近藤理論により抵抗は温度が下がるとともに大きくなることが示されたが、絶対零度ではどうなるかは、問題として残された。これがその後10年以上にもわたって物理学者を悩ませた近藤効果の問題である。これを一挙に解決してみせたのがウイルソンであった。彼はくりこみ群の理論に大型コンピューターを使って新境地を開き、世界をあっと言わせ、コンピューターが固体物理の理論に非常に役にたつことを示した。 相転移の計算でノーベル賞をもらったウイルソンが近藤効果の問題をも解決してしまったことになる。最近、ある種の半導体の電子のトンネル現象において近藤効果が起こっていることがわかってきた。この現象の理解には近藤効果の理論が使われている。これはトランジスターの技術の進歩と共に可能となったことである。

 コンピューターを使った物理学は現在隆盛を極めており、コンピューターとともに進歩しているという観がある。しかし、多くの基本的な問題が残されている。例えば、 超伝導転移温度や磁気転移温度(すなわち磁石になる温度)などは現在の理論物理のレベルではとうてい計算ができない。今後の発展が待たれている。

 
 
  Nanoelectronics Research Institute