くりこみ理論のころ

最近,岩波文庫から朝永振一郎さんの文章を集めた『量子力学と私』が出版され,みすず書房の"庭にくる鳥"も復刊され,朝永さんの文章にふれる機会が増えたので([1]) , それらの文章を参照しつつ朝永さんはどうしてノーベル賞をもらえるような重要な仕事がことができたのか考えてみよう。我々が研究していく上でも大いに参考になることがいろいろとある。

当時の大問題は量子電気力学の発散の問題であった。摂動論の計算に現れる発散をなんとかしなければ,場の量子論の命運も尽きるかという状況だった ([2])。 電子が自分のつくる場と相互作用して電子の質量が変化し,計算してみるとその 変化が無限大になってしまうというのは古典論でもすでにおこっていたことで, 無限大というのは非常に古い問題だった。量子論ではその無限大はどうなるかというと,無限大ではあるけれども古典論よりは弱い無限大ということがわかっていた。量子電気力学の無限大について非常に本質的な計算をしたのがダンコフという人で,1939年のことだった。ダンコフによるといろいろの発散が現れてきて手のつけようがなく, 多くの研究者に無限大の問題はひどく難しいという印象を与えた。その後,名古屋大の坂田昌一博士らが凝集力場という新しい場を導入すると質量の無限大は打ち消すことができると主張した ([3])。 これは放っておけないニュースである。 朝永グループはさっそくこの計算を検討し,無限大の打ち消しは不完全であり凝集力場で無限大を打ち消すことはできないと 結論し論文を出した。ところが,計算に間違いがあることが後にわかり計算を主に担 当した木庭二郎氏が頭をそって現れた([4])。 凝集力場はちゃんと無限大を除いていたのである。 すぐに,訂正の論文を出したが,これは朝永グループのつまずきであった。しかし,次のステップへの示唆を与えた。坂田理論では質量の発散は打ち消したが真空偏極の発散は打ち消さないで残ることがわかったのである。 そこで,朝永さんらは無限大を整頓するためにダンコフの計算を検討し直しすことことから始めたのだが,なんとダンコフの計算に間違いを発見した。ダンコフの計算ではいろいろな発散が現れたが,実は発散は一番弱い対数発散のみが現れ,無限大はすべて質量と電荷の中にくりこめることがわかったのである。もし,ダンコフが正しく計算していたならば1939年の時点ですでにくりこみ理論はできていたことになる ([5][6])。 ダンコフの誤りは朝永さんにとっては非常に幸運なことであった。

その後,1947年にアメリカではシェルター島での会議があり,ラムシフトの発見でわいていた。ディラックの理論では縮退している水素原子の 2S_{1/2}と2P_{1/2} の二つのエネルギー準位にずれが発見されたのである。二つの状態にエネルギー差がある理由は何であろうか。 これは電磁場との相互作用による補正で説明できるのではないかと考えた人たちによって計算が行なわれた。なんとベーテは帰りの電車の中で暗算で計算をしてしまった。彼は必要な行列要素を暗記していたのである ([7])。 ベーテがやったのは非相対論的な計算であったが世界中が驚いた。というのは無限大が出て来る計算でありながらベーテの結果はラムらの実験結果に非常に近かったからである ([8])。 これなら相対論的なちゃんとした計算をしたならもっと正確に合うのではないかと誰もが考えた。このニュースは雑誌タイムの記事により朝永さんの知るところとなり,東京でもラムシフトの計算が始まった。このとき,朝永グループにとって非常に幸運なことが起こっていた。

ラムシフトの相対論的な計算を最初にしたのがファインマンであり,1948年である。ところがなんとファインマンの計算結果は誤りであった。そのため,独立に計算を進めていたフレンチとワイスコップらは論文の発表を見合わせていた。ファイマンの結果と合わなかったからである。 その時はどちらが正しいのかわからなかったのである。クロルとラムも独立に計 算したがやはりファインマンとは合わなかった。その間隙をぬって朝永グループの論文が出た。1949年のことである。フレンチーワイスコップ,クロルーラムらの論文もほぼ同時に出た。結局,ファインマンの結果が間違っていたとわかったからである ([9])。 朝永グループの計算結果は幸運なことにフレンチーワイスコップらと一致した。 ファインマンが間違えた計算を正しく遂行し得たのはグループをつくって計算にあたったからであろうか。坂田理論におけるつまずきも念頭にあったことだろう。

これらのくりこみ理論とラムシフトの計算により朝永さんはファインマン,シュ ウインガーとともにノーベル賞をもらうことになった。朝永さんはノーベル賞選考ではあぶなかったという話も聞いたが,ラムシフトを正しく相対論的に計算したのは非常に大きかったのである。ダイソンが量子電気力学の論文で朝永理論を引用したことも,朝永グループの仕事を有名にした。[10]

以上のことをまとめてみると,どうしてノーベル賞をもらうことができたのか, その理由は次のようになるであろうか。

(1)当時,大問題であった発散の問題にとりくんだ。
(2)坂田理論について計算を間違えた。「転んでも,ただでは起きない」と 言ったと伝えられている。
(3)ダンコフが重要な計算をしたが間違えていた。
(4)ダンコフの計算を訂正した。くりこみの発見。
(5)ラムシフトの実験が出た。計算結果が少し違う。
(6)朝永グループが正しく相対論的に計算した。
(7)ダイソンが論文で引用した。

(1)は重要である。何を研究するかは誰にとっても重要な課題である。(2) の計算ミスもその後の発奮材料となったのではないか。(3)が一番重要で,ダ ンコフが正しく計算していたなら間違いなくノーベル賞はダンコフのものになっていた。これは非常な幸運である。忘れてはいけないのは朝永さんが坂田理論や ダンコフの理論など人の論文を調べるということをちゃんとやっているというこ とである。人の論文を調べると二番煎じになるかもしれないが,二番煎じを恐れてはいけないこともある。ダンコフの計算の誤りが8年近くもの間,誰にも気づかれずにいたのは信じられないことなのである。 (5)のラムシフトについても非常にラッキーであっ た。あのファインマンがミスをしたために,遅れをとることなく論文を出すことができたのであり,結果が正しいものに一致したのも見事である。[11] ダイソンが驚きをもって朝永グループの仕事を引用したのも,我々にとっては大きな驚きであ り,多くの物理学者にとってもそうであっただろう。ダイソンが引用することが なければ朝永さんのノーベル賞はなかったかもしれない。

最後にいくつかの教訓をあげてみると
(a)重要と思われる論文を読んで吟味することはやはり重要。
(b) 大きな幸運が必要。特に二つくらい重なるといい。やはり人間,実力だけではそううまくいかない。
(c)しのぎ合いを制するには「転んでも,ただでは起きない」精神力も必要か。

<参考文献>
[1] 『量子力学と私』(朝永振一郎著,江沢洋編,岩波文庫)。 『庭にくる鳥』(朝永振一郎著,みすず書房)。 量子力学の教科書『量子力学II』の第二版が最近出版された。これは場の量子論の基礎についてじっくりと解説した本である。
[2]このころのことについてダイソンが書いた文章がある(『宇宙をかき 乱すべきか』(鎮目恭夫訳,ダイヤモンド社)参照)。この文章が筆者が受けた大学院入試の英文和訳の問題としてだされた。その時は知らなかったが後になって,友人からこれを見てみなよとあるペー ジを開いて渡された本にはダイソンのその文章があった。
[3]筆者が大学院生のとき西島さんの場の理論の講義のレポートの問題としてこの 計算が出された。今では単なる演習問題である。
[4]計算の誤りは正準変換の方法によりやり直してみたところ発見したと朝永さんの随筆にある。この方法のエッセンスはW.Heitler, The Quantum Theory of Radiation にある。今では相互作用表示の理論としてきれいな形に定 式化されている。
[5]くりこみというアイデア自体はそのころすでにあった。
[6]『くりこみ』という日本語にはなにか神秘的な響きがある。 くりこみの英語訳が renormalizationと知った時,何とつまらない英語なのだろうかと筆者は思った。
[7]日本語の本では砂川重信『量子力学』(岩波書店)に計算が書かれている。
[8]実験値は1057.8メガサイクル。ベーテの値は1040メガサイクル。 相対論的な計算は日本語の本ではハイトラー『輻射の量子論』(沢田克郎訳,吉 岡書店)にある。英語の本では場の量子論の正統的教科書 Itzykson-Zuber, Quantum Field Theory (McGraw-Hill)。最近,S. Weinberg, The Quantum Theory of Fields I, II (Cambridge)が出た。
[9]ファインマンは論文 Space-Time Approach to Quantum electrodynamics, Phys.Rev.76, 769 (1949)の脚注13において自分の誤りを認め,その結果としてフレンチーワイスコップらの論文の出版が遅れたことを詫びている。
[10]ダイソンは論文 The Radiation Theories of Tomonaga, Schwinger, and Feynman, Phys. Rev. 75, 486 (1949)の脚注で次のように書い ている: All the papers of Professor Tomonaga and his associates which have yet been published were completed before the end of 1946. The isolation of these Japanese workers has undoubtedly constituted a serious loss to theoretical physics. 朝永グループの仕事に驚き,戦争中の日本人物理学者の孤立は大きな損失であったと言っている。
[11]桜井純氏は Advanced Quantum Mechanics (Benjamin/Cummings Publishing Company)の中で次のように書いている: To show that the joining of Feynman's result to Bethe's result is indeed nontrivial, we may mention that this treacherous point caused a considerable amount of confusion (even among theoretical physics of Nobel prize caliber) in the first attempts to obtain a finite result for the Lamb shift.
(ETLサーキュラー1998)

 
 
  Condensed Matter Physics Group: Nanoelectronics Research Institute