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『光子の裁判』の「光子」は「こうし」?
朝永振一郎さんのエッセイ「光子の裁判」は量子力学的粒子の不思議な振る舞いをどのようにして合理的に記述するかを、量子電気力学の建設者ディラック本人に話をさせるという裁判劇です。
この随筆のタイトルには「光子」とありますが、物理をかじったことのある人なら「こうし」と良み、物理に縁のない人は「みつこ」と読むかもしれません。はたして朝永さんの意図したところはどちらだったのでしょうか。筆者も「こうし」であると思っていましたが、大学院生の頃、助手をされていた方が雑談の時に、朝永さんの「みつこの裁判には...」と話をされたことがあり、「あれ、こうしの裁判でなかったかな」と思ったことがありました。『光子の裁判』を読み直してみますと、実はどちらの読み方が正しいかを決める手がかりが隠されています。初めから5ページ目に
『被告が波乃光子という女のような名前であったことを思い出しましたけれど、』
とあり、「女のような名前」ということは「光子」は「こうし」ではなく「みつこ」であることを示しています。うっかりすると見落としがちですが、上の文では「波乃」には「なみの」とふりがながふってあるのですが、「光子」には何のルビもありません。(これがこの随筆に現れる唯一のふりがなです。)これは朝永さんが密かにしかけた"しかけ"でありましょう。
「こうし」とも「みつこ」とも読めるというのは一種の二重性でしょうか。
『光子の裁判』で語られていることは、量子力学の建設当時の大問題であった「粒子と波の二重性」です。この二重性は非常に奥の深いものであり、これに関して朝永さんにより物理学生を対象とした専門書として『量子力学I、II』(みすず書房)が著されています。『量子力学 I』には量子力学がいかに建設されたかが紙数を気にせずにかかれており、そのために一冊全部が費やされています。この本の第二章の終わりには次のような文章があります。
『しかしながら、われわれのもっている波という概念と、粒子という概念とは、一つのものがそのどちらでもあるなどということを許すものではない。われわれは、一つのものが粒子であると考えると、もはやそれを波と考えることはできないし、またその逆も同様である。この二重性をどう解決するかは後に1926-1927年のころにやっと明らかになったのであって、それまでの間、物理学者は、あるときは光を波と考え、またあるときはそれを粒子を考え、場合場合に応じてその態度を変えるという苦しい方法を続けてきた。Born(ボルン)のことばをもじって言うと「この期間中、物理学者は月・水・金の三日間は光が波動であると考え、火・木・土の三日間は光が粒子であると考えた」のである。
このなぞの真の解答は。この本でも後にだんだん述べていくであろうが、それまでの間、読者みずから空想をたくましくしてこのなぞの答を考えてみられるのもむだではなかろう。もちろんこれは容易なことではないが、もし読者の中にそれをなしえた者があったら、その人は世界一流の物理学者と同等の能力のあることをみずから証明したことになるし、それをなしえなかったとしても、読者の見当と本当の答とがどんなに近かったか、あるいは遠かったを比べてみるのは興味のあることであろう。』
波でもあり、また粒子でもあるということはブルーバックスなどを読んで知っていても、どうして波であり同時に粒子でもあり得るのかは、初学者には想像を超えたところにあります。『この本でも後にだんだん述べていくであろうが』とありますが、実は、粒子と波動の二重性は『量子力学II』にまで進んでやっと明らかにされます。『量子力学II』は
『BohrからHeisenbergに至る長い話の間、我々は波動と粒子との問題をしばらく忘れていたようである。』
という文から始まります。ですから、『量子力学I』を読んで、「粒子と波の二重性」について物理学者がどういう答を与えたかがわからなくても、読者の責任ではないことになります。この問題に直面して、物理学者が考え出したものが、「場」の概念であり、「場の量子化」という概念であり、今日では場の量子論という大きな学問分野となっています。「場」とは物理学において決定的に重要な概念です。真空は何もないからっぽな空間ではなく、そこから粒子が生成し消滅する場でありすべての源です。場の量子論とは人類が作り上げた最高の理論であると言うことができ、『量子力学II』は場の量子論の基礎を丁寧に解説したものです。
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