フランス雑感



(平成6年7月2日から12日にかけてフランスのグルノーブルで開催された第4回超伝導の物質と理論に関する国際会議に出席してきた時の感想です。この会議は3年に一度開かれる超伝導に関する国際会議で、超伝導に関するものの中では最大の会議です。出席者数は約2500人であり、そのほとんどが高温超伝導に関するものであることを考えると、驚異的な数字と言えます。第1回の会議はインターラーケン、第2回はスタンフォード、前回の第3回めが金沢で行なわれました。回ごとに参加者数が増えて今回は発表件数も2500を越える非常に大きな会議となってきました。第5回は中国です。) (「JITA NEWS」1995年1月号)

フランスというと最近、新しく法律が制定され外国語の使用がかなり制限されました。外来語がどんどん入ってくる日本とは文化が違うのでしょうか。日本に場合はコピーライターと称する、よく日本語(と外国語)を知らない人達が勝手にわけのわからない言葉を作って垂れ流すのでしまつの悪い状態になっています。特に、カタカナで書いた英語のような言葉は英語を話す人には通じないのでよけい困ります。そこで、フランスの文化を知ろうとやってきたのですが、意外なことに英語の看板はよく見かけました。新しくかかれるものに法律は適用されるのでしょうか。当然ですがホテルでは英語が通じます。日本の旅行会社と特約しているホテルでは日本語でも話すことができます。(少し割高のホテルですが。)

フランスの夕食の光景は日本では決して見ることはできないように思います。夏はよる10 時ごろまで明るく、レストランの外の道路沿いに並べられたテーブルでゆっくりと食事をします。日本人ならまだ明るいといって働いているでしょう。凱旋門から延びているシャンゼリゼ通りは食事をしながら談笑している人々でいっぱいとなります。学者ならこころゆくまで議論ができそうなところであります。私は学生時代に駒場の喫茶店で友人と物理についてぐだぐだとやっていたら追い出されてしまったことがありましたが、そんなことはここでは起こりそうもありません。誰でありましたか、京都と東京の違いとして京都では帰りにちょっと店に寄って人と話をしていくことができるような風土があるが東京にはない、それがノーベル賞が東京から出ない原因であろう、とかいっていました。この伝でいくとフランスからはかなりの数のノーベル賞受賞者がでそうですが、実際そうなっています。フランスは数学の里でもあります。現代数学はフランスから始まったと言ってもいいでしょう。ブルバキのメンバー達はカルチェラタンのレストランや喫茶店に集まっては数学について語り合い、「数学原論」の構想も練ったのです。日本との文化の大きな違いを見るようです。数学者の岡潔はラテン文化について「ラテン文化とともに」という随筆の中で次のように述べています。

「この国はギリシャに源を発するラテン文化の流れを今でも真受けに受けている。図書の閲覧に飽きると、うまいコーヒーをのませる店があるし、そこには各国の若い数学者たちが私の語学の力ではよくわからないが、顔つきや姿態から、前向きに(過去を背負い、現在をふんまえて、見えない未来に面して立つこと)、時と場所とを忘れて熱心に話し合っているし、時を計り、コーヒー店を選べば相当よい音楽が聞けるし、街にはどこからか賛美歌が流れてくるし。 この国は緯度が高い関係で、たそがれが二時間くらいもあるのだが、その明るいたそがれの光の中を日本人たちは日本人たちで、私もその中にいるのだが、やはり前向きにめいめい自分の学問や芸術のことを話し合っているし、音に聞こえたラテン文化の流れは今でもひしひしと身に感じられる。 しばらく図書室に通っていると、いつの間にか図書室もこの流れにとけこんでしまう。 あとはただもう、クラゲのようにポカポカ浮いていさえすれば、このラテン文化の流れが私たちを、めいめいの目的地に運んでくれるのである。」

なんと雄大な文章でしょうか。文化の流れにのってしまえば自然と学問ができてしまうようなのです。実際、岡潔はここでライフワークとなる土地を見つけたといいます。「終わりには、なんだか図書室が左の手のひらへ乗るようになってしまう。」ともあります。このような気分にさせるものが文化というものでしょうか。手のひらに図書館をのせた気分とはどんなものでしょうか。味わってみたいものです。セーヌ川のほとりやソルボンヌ大学の芝生の上を岡潔も歩いたのでしょう。歴史があり文化を感じるというのはいいものです。しかし、人間臭さは学問の世界でも昔からあります。最近では大数学者のグロタンデイークとドリーニュの確執、今回の会議でもパリ派とグルノーブル派との対立がささやかれていました。

カルチエラタンの本屋で数学書を買って帰ろうと思ったのですが、案外、値がはるのと重いのとで多くを買うのはやめにしました。そういえば、安野光雅氏がフランスでファーブル昆虫記を買いこんだ時のことを新聞に書いていました。自分の荷物を捨ててまでして買ってきたそうです。ファーブル昆虫記の中にもフランスの文化を感じさせるくだりがあります。ファーブル昆虫記は題名通りに昆虫について詳しい観察結果を綴ったものですが、ところどころに面白い挿話がはさまれています。有名な医学者のパスツールと出会ったときのファーブルの驚きも一読に値します。パスツールは蚕の厄病について調査し、うまいこと平らげてしまおうとファーブルのいる土地へやってきました。パスツールは繭を手にしてびっくりして言いました。
「何か中にありますね。」
「ありますよ。」
「一体、何があるんですか。」
「蛹です。」
「え?蛹というと?」
「幼虫が蛾になるまえ、姿を変える一種のミイラのようなものです。」
「どのまゆの中にもそんなものが一つ入っているのですか。」
「そうですとも。まゆは、さなぎを保護するために幼虫が編むものです。」
「なるほど!」 (岩波文庫『ファーブル昆虫記』より。)
なんとパスツールは蚕がさなぎになることを知らずに蚕の病を直そうとやって来たのです。そのことを恥じるどころか驚いて感動さえします。さらに驚くべきことに何も知らないパスツールが蚕室衛生に革命を起こしました。その後、医学でも革命を起こしました。日本にはこのような偉人がいなかったせいでしょうか、知らないことを恥じる文化があるような気がします。テレビのクイズ番組のように知識の量やそれを引き出す速さを競うことに熱中します。国際会議などで日本人の質問が少ないといわれるのもこの悪しき文化の影響でしょうか。

フランスというとやはりなんと言ってもルーブル美術館でしょうか。何百年にもわたって建造されただけあり、さすがに壮大です。日本では為政者が変わればすべてが変わってしまうために、とてもできないような代物です。レオナルドダビンチの「モナリザ」はガラスを張った額の中に納められています。「モナリザ」の前だけ廊下はすごい人だかりとなり、人を押し分けて進んでいくとめでたく「モナリザ」とご対面となります。カメラのフラッシュがやむことなく光っています。写真をとるのは日本人ばかりではありません。ヨーロッパ人もアジア人も老いも若きも写真を取っていきます。小林秀雄が「ゴッホの手紙」の中で、複製画であっても人間は感動できると、自分の体験に基づいて書いていましたが、やはり本物は圧巻です。複製画でなんども見たことのある絵なのですが、本当に存在していたことを自分で確かめたから感動するのでしょうか。小林秀雄が指摘するように、日本は文学は翻訳で読み、絵画は複製で見てきました。すなわち複製文化というべきものの中にありました。科学もその例外ではありません。それゆえ、日本人は本物に対しより強く羨望の眼差しを向けるのではないでしょうか。実は偽物であった、という事件がしばしば起こります。小林秀雄の先の意見は一種の開き直りかもしれません。本物を見て感動する、というともう一つは「ミロのビィーナス」でしょう。何千年という時間を経てもなお存在しているのは驚きです。ルーブル美術館にはエジプトの遺跡まであり、全部を見てまわると疲れきります。ルーブル美術館の近くにオルセー美術館があります。ここには、ゴッホ、セザンヌ、マネ、ルノワール、ミレーといった日本人にはなじみの深い画家の絵が多数、展示されています。ミレーの「落ち穂拾い」、「晩鐘」など超有名な絵にはガラスがはってあります。

さて、会議はグルノーブルで行なわれましたが、パリからグルノーブルまではフランスが誇るTGVで3時間ほどかかります。TGVは世界最速というふれこみの超特急であります。一等と二等車両があり、一等車両は座席が横に三つ並び、二等車両では四つならんでいます。一等と二等車両との差はたったそれだけですが、運賃は片道で約5000円ほども違います。ちょっと信じられないことです。おしぼりのサービスなど期待しても何もありません。フランス人と日本人との感覚の差を感じました。窓口で切符を買っている光景はフランスらしさがあらわれています。フランスでは並んでから切符を買うまで最低30分はかかります。それは窓口の販売係りの人が非常にゆっくりとさばいてゆくからです。私が切符を買おうとした時はすぐ前にいた人が非常に時間がかかりました。いろいろと注文が多いのです。さらに、隣の列で切符を買っていた日本人の方が、かたことのフランス語で話すのでうまく通じないために(そこでは英語が通じるのに)、私の前にいたフランス人がとなりの販売員に代わりに説明してやっているのです。その間、自分の方はストップです。私の列の販売員の方は何も言わずにじっとその光景を見ながら待っているのです。TGVの切符一枚買うのに一時間近くもかかってしまいました。フランスでは人々は時間を気にしないようです。TGVを日本の新幹線と比べてみますと、車体が新幹線より狭いことと、パリからグルノーブルまでトンネルがなくほとんど平な所を走っていることが特徴といえるでしょう。一番大きな違いは新幹線は各車両で車輪を動力で回していますが、TGV では先頭の機関車が客車を引っ張っていることにあります。世界最速を誇れるのはそれらのせいではないかというのが、我々がちょっと議論して得た結論です。

グルノーブルの町の中央には市電が走っており、だいたいこの市電で用事が足ります。しかし、どの案内書を見てもこの市電のことは載っていません。日本からの観光客は少ないようです。会議の冒頭には必ず主催者による挨拶がありますが、さすがというべきか、やはりというべきか、フランス語で行なわれました。日本も見習うべきでしょうか。

 
 
  Condensed Matter Physics Group: Nanoelectronics Research Institute