岡潔博士第VII論文を読む


 岡潔博士の第VII論文を読んでみましょう。この論文では「不定域イデアル」の概念が打ち出され、多変数解析関数論に 新しい道が開かれました。論文のタイトルは

Sur les fonctions analytiques de plusieurs variables
VII. Sur quelques notions arithmetiques
多変数解析函数について  VII. いくつかの算術的概念について

です。序文は次の少し文学的な文章で始まります(アクセント等は省略)。

Nous sommes maintenant en chemin de nous reflechir efforcement, en reconnaissant les caracteres des difficultes que nous avons rencontres sur la voie suivie, en observant les figures des difficultes que nous rencontrerons sur le prolongement, et en faisant des autres; et dont nous exposerons ici un des resultats.

(我々はこれまで歩んできた道において出会った困難の本質を認識し、これからの人生において出会うであろう困難の姿を考察し、 また新たな困難を創り出しながら深く省察する途上にある。その成果の一つをここに報告しよう。)

en cheminですから、まだ途上にあると言うことです。これまで出会った困難(数学上の問題)、これから出会うであろう困難に ついて深く考える途上にあると言っています。en faisant des autresすなわち別の困難も作り出しながらとは、新しい問題も 創造しながらと言うことでしょう。efforcementと言う普通の辞書にはないような単語も使われています。
 この論文は、戦後渡米する湯川秀樹博士に託され、アメリカでAndre Weilの手を経てH. Cartanの手に渡りました。 その後 Cartanによりフランスの数学誌に掲載されました。このように奇跡のような形で出版された論文です。その際、Cartanは 論文に手を加えて上記の序文の文章は削除されてしまいました。
 この論文ではいくつかの算術的概念が提案されています。このことは次にように書かれています。

Supposons quelques notions arithmetiques, la congruence et l’ideal par exemple, transplantes du champ de polynomes a celui de fonctions analytiques; la fonction ne pouvant en general plus se prolonger a tout espace fini, on apercevra des nouveaux problemes. C’est H. Cartan qui a decouvert un phehomene de cette nature, et dans le present Memoire on trouvera, comme conclusion, plusieurs theoremes et un probleme bien filtre de la meme nature (Voir No. 7); dont les theoremes me sont indispensables pour traiter les problemes depuis le Memoire I, aux domaines contenant les points de ramification, et ils sont utiles pour les domaines moins compliques.

(いくつかの算術的概念、例えば合同およびイデアルなどを多項式の分野から解析函数の分野へ移したとすると、 函数は一般には任意の有限空間には拡張できないため新たな問題が生じる。このような現象を発見したのはH. Cartanであるが、 本論文においても結論として同様な性質を持ついくつかの定理と精選された一つの問題を見い出すであろう(7節を参照せよ)。 それらの定理は論文 I 以来の諸問題を分岐点を含む領域において研究する際に不可欠であり、また単純な領域の研究においても有用である。)

すなわち、この論文では代数学の分野で使われているイデアルの概念を解析函数論に持ち込もうとしています。 代数学の手法を解析学において使おうということです。岡博士より少し後になりますが、GrothendieckもEGAの序文において、 スキームなどの代数幾何学の手法は複素幾何学においても使えるだろうと書いています。解析空間特有の困難はあるだろうとも 添えています。解析函数論においてイデアルを考えるにあたり重要であるのは、多項式による近似定理です。 これは岡博士自身により証明された定理であり、Behnke-Thullenの教科書でも述べられており多変数解析函数論において重要であると 認識されていたものです。例えば、次のように言うことができます。

定理 多項式凸の領域において、正則函数は多項式の列の極限として表すことができる。

(凸性を定義する際に多項式を用いた時に多項式凸と言います。詳しい定義はここでは省略します。) これは一変数複素関数論におけるRungeの定理の多変数関数への拡張にあたります。 すると次にような疑問が自然に(ではないかもしれませんが)浮かんできます。

「多項式環においてイデアルは有限生成である。正則函数は多項式により近似できる。それならば、正則函数に対して 何らかのイデアルを考えたならば、それは有限生成になるのではなかろうか。」

そこで、函数 f に対して f が正則であるような領域 U をとり、それらの対 (f, U) の集合を考えました。 この集合にイデアルの構造を与えて、岡博士は不定域正則イデアルまたは少し簡単に

「不定域イデアル」

と名づけました。そこで、問題は不定域イデアルは有限生成であるか、あるいは有限の擬基底が存在するかと言うことになります。 領域 U は函数ごとに与えられて定まらないために不定域と名づけたのだと思います。函数に対してその函数が正則である領域は 勝ってには決められないわけです。 この不定域イデアルを考えた動機は、上の文章にあるように分岐点を含む領域を研究したいということにありました。
 論文においては、まず合同が定義され、次に不定域イデアルが定義されます。

(つづく)





 










 
 
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