ここ数年のロボットブームの原点は,やはり1996年末のホンダによるヒューマノイドP2の発表と言えるだろう.発表直後の日本ロボット学会誌1997年1月号を取り出して見ると,既に決まっていた表紙をP2の写真に急遽差し替え,元の表紙は会誌の途中に挿入されるという状態で,当時のロボット研究者に与えた衝撃をうかがわせる. 本特集にもヒューマノイドに関する解説記事がいくつか含まれているが,本稿では個別の技術ではなく表題の「ロボットの機構と制御」という切り口から特にホンダのヒューマノイドについて考えることを通じて,ロボット研究の特質についてふれてみたい.
P2発表当時は,筆者も職業柄「ホンダのロボットは技術的にどこがすごいのか?」と尋ねられることが多かった.当時はあまりに情報が少なくて判断しかねる面もあったが,最近では情報がかなり整理されてきており,ホンダも少しずつ技術内容を公開しはじめているため,ある程度自分なりの推測が立てられるようになったように思う.
そこで,ホンダのヒューマノイドを見てロボット研究者は何に驚いたのか,ロボットの技術史という観点から新たに何が達成されたのか,そして二足歩行を長年研究してきた大学等ではなくホンダによって実現されたのはなぜか,などについて改めて考えてみたい.それは本稿の表題である「機構と制御」という部分に深く関わっていると思われるのである.
ヒューマノイドP2には自立型,人間型,全身型などいろいろな形容詞がつく.しかしその技術の本質が二足歩行にあることは言うまでもない.外部から電源供給などを行わない(電線の紐付きではない)自立型であることは,実用的な移動ロボットとして不可欠な条件だが,そのための蓄電池開発等はどちらかと言えば軽視されていて現在のところロボット技術とみなされていない.また人間型,全身型ということはヒューマノイドとしての機能上必然であるにせよ,当時としては演出の上でのお化粧であったと思われる.したがってロボット研究者はこれらの点について驚いたのではないと言える.実際,ホンダもこれらの開発についてはそれほど時間をかけていなかったようである.
それから,認識・推論・判断といった知能に関して言えば,P2やその後のP3は人工知能系のロボット研究で言うところの自律的な知能は備えていない.基本は予めプログラムされた動作のプレイバックと遠隔操作であり,むしろ機能としては産業用ロボットに近い.つまり,P2の二足歩行は知能ではなく機構と制御というレベルにおいて達成されたものだと言うことができる.
さて,その二足歩行についてだが,もちろんP2は初めての二足歩行ロボットではない.静的歩行(ロボットの重心を常に足の裏に保つ歩き方)を含めれば30年に及ぶ研究の歴史が既にあった.P2同様の人間の歩き方に近い3次元動的二足歩行(ロボットを拘束せずに自由空間で慣性力を含む前後左右のバランスをとりながら歩く歩き方.ロボットの重心位置が足の裏から外に出る期間がある)に限っても,1980年代には早稲田大学や岐阜大学において実験的に実現されていた.ホンダもP2を「世界初の〜」と形容する場合には慎重に自立型,人間型,全身型という修飾を並べている.
ロボット研究者がP2を目撃して真に震撼したのは歩行のクオリティにある.つまりただ「二本足で歩いた」ことではなく,「しっかり歩いた」ことである.しばしば「中に人が入っているようだ」と表現されたが,実験室レベルの危なっかしい二足歩行とは異なり,進みたいところに進み止まりたいところに止まってしかも転びそうにない.そうしたすぐにでも実用に役立つような印象を与える,工学的な完成度の高い二足歩行を実現したところにロボット研究者の驚きがあった.自立型であることや美しくカバーされた外観も心理的な影響を与えたことは否定しがたいが,人間サイズのロボットで非常に質の高い二足歩行を行った点がその根本にあることは間違いない.
それでは,こうした質の高い歩行がどうやって達成されたか,ということが問題になる.まず言えることは,これは革新的なデバイスの開発によるブレークスルーではない,ということである.後にP2の中身,特に機構を構成する要素部品が明らかになってみると,きわめてオーソドックスであって一向にすごくない.DCサーボモータをハーモニックドライブで減速して関節を駆動し,センサとして足首力センサ,ジャイロ,加速度センサを備えている.また構成部材はアルミニウム合金製である.これらは歩行ロボットとしては標準的と呼んでも差し支えないようなありきたりの構成である.
つまり,新たに高性能のアクチュエータやセンサを開発したり,新材料を導入したりした結果として質の高い歩行が達成されたのではない.他の技術分野で言うと,例えば飛行機ならばプロペラ機からジェット機へ,あるいはテレビならばブラウン管から液晶TVへの進歩などとは全く意味合いの異なる変化であったと言える.
となると,これらの「すごくない」要素部品を使って「すごい」二足歩行が実現できたのはなぜか?問い方を逆にすれば,同じような要素部品が入手できたはずの大学等で実現できなかったのはなぜか?
ホンダがこれまでに公表している二足歩行技術のポイントは次の3つに要約できるだろう.
・人間の歩行解析に基づく脚関節配置
これらは,確かに開発者が苦心したところかも知れないが,そのまま額面通りに「ホンダの二足歩行の秘密」のようなとらえかたをするのは誤っているように筆者には思える.後述するように,これらでは歩行のクオリティの差が十分に説明できないからである.ホンダがこれらを取り上げているのは,開発者にとってこれらが日常的な開発過程ではなかったからだろうと思われる.そうではなく,そのバックグラウンドにある,ホンダにとってはあえて言うまでもないほどに当たり前だが,大学等では当たり前でない部分からこうした差が生じたと筆者は推測する.
P2の発表以後,ヒューマノイドの研究が盛んとなり,質の高い二足歩行が可能な人間サイズのヒューマノイドが続々と開発されているのはご存じの通りである.その中で,次の3つの事例に注目したい.1998年に開始された経済産業省による「人間協調・共存型ロボットシステム(HRP)」プロジェクトにおいて,ホンダから供給された,P3とほぼ同型のヒューマノイドHRP-1Sの制御ソフトウェアを,産業技術総合研究所で開発されたソフトに完全に入れ替えて歩行実験が行われた.これは「3次元線形倒立振子モード」というホンダとは異なる原理による制御方式だが,P3と同等の安定な歩行に成功している.2002年には同じくHRPプロジェクトの中で, 川田工業と産業技術総合研究所が開発したヒューマノイドHRP-2Pが発表された.これは股関節が片持ち構造で,ホンダとは違った脚関節配置を用いている.一方,東京大学 井上・稲葉研究室では,H5,H6,H7という人間サイズのヒューマノイドを1998年から開発しているが,これらは平坦地ではゴムブッシュなどをもたないリジッドな足裏で安定な歩行を実現している.
上記の事例が示すのは,ホンダが挙げた3つの技術のポイントが,いずれも二足歩行およびその質に対して決定的なものではなかったということである.それらは解の一つではあっても唯一の解ではないということを意味している.制御方式やソフトウェアですら,一般に考えられているように最終的な歩行の質自体を左右するものではなく,これらに関してはさまざまな独自のアプローチによって同様に安定で質の高い二足歩行に到達できるのである.
ホンダによるヒューマノイドのホームページを開くと,ホンダが開発した二足歩行ロボットE0〜E6,ヒューマノイドP1〜P3,ASIMOがずらりと並んでいるのを見ることができる.ここで目に付くのは短期間で多数のロボットを試作していることである.歩行を研究するためのロボットは,E0からE6までほぼ毎年1台のペースで作られている.もう一つ気がつくことは,脚の機構に着目すれば,きわめて変化が小さいことである.脚の関節配置は2台目のE1に採用されたものが,さらにモータや伝達機構,減速機の配置は4台目のE3に採用されたものが,その後ASIMOに至るまでずっと継承されている.つまりホンダは脚に関して基本的に同じ構造の機構を繰り返し作り続けてきた,ということである.
実はこれは大学等におけるロボット研究では当たり前のことではない.大抵のロボット研究は実際のロボットを作る場合でもせいぜい2〜3台で終わる.ロボットの完成という意味ではなく,研究テーマとしての完結である.同じ研究テーマで複数台のロボットを続けて試作する場合にも,その間には大幅な設計変更を行い,構造が異なるロボットを作るのが常である.
この違いが歩行の質の差を生んだ,というのが筆者の推理である.おそらくホンダは,基本構造が同じ脚を繰り返し作る中で,モータの出力,減速比やギアの寸法,軸受けの配置や寸法,各部材の形状や厚みなどを細かくチューニングし,機構を洗練してその機械的性能や信頼性を上げていったに違いない.同じモデルの中でも部分的交換による小改良を重ね,ノウハウを蓄積していったことは想像にかたくない.そして,自動車メーカーならではの強力な試作セクションがそれをバックアップしていたものと思われる.
人間サイズの二足歩行ロボットの脚は,設計によっては想像以上にやわくなってしまうものである.そこには例えばAIBOサイズのロボットとは比べものにならない難しさがある.非常に剛くて精度が高いように見える産業用ロボットアームですら,保証されているのは0.1mm程度の繰り返し精度(同じ動作を繰り返した際にロボット先端の停止位置がおさまる範囲)であり,絶対座標系で指定された位置決め精度や動作中の経路の精度は保証されていない.しかもそれは先端の負荷をアームの重量の1/10程度の可搬重量以内に限っての話である.二足歩行ロボットの脚は,それよりもさらに過酷な条件にさらされた上で,軽量化と精度を両立させなくてはならない.
ホンダは二足歩行の研究過程で,精度の良い水平面上ならば,センサフィードバックに基づく姿勢安定化を用いない,軌道制御のみによる動的歩行に成功している.筆者はこのエピソードに注目する.これは,推定数十kgの上体を片脚のみで支えたまま,もう一方の脚の先端を高い精度で制御し,着地時の衝撃に対しても精度を保ったことを意味する.支持側の足先から他方の足先までの間には12個もの関節がある.それらを正確な角度で制御し,全てのモータの回転が減速機や構造部材を介して的確に足先まで伝わらなければ正しい位置には着地できない.しかも各関節をかなりの速さで動かしながらそれだけのことを達成しているわけである.非常に機械的性能が高い脚機構でなければこうしたことは困難である.そしてさきに述べたような設計・製作・実験の繰り返しによる粘り強いチューニングが,このことを可能にしたと思われる.
こうした積み上げによる機構開発のプロセスは,メーカーとしては当然であっても,大学の研究室等においては「泥臭い」,「研究にならない」として最も嫌われ,回避される.新たにロボットを作り直すときにも,論文になるような新規性を盛り込むために,冒険的な設計変更がなされる場合がほとんどである.そして,一般の人の目に付く機会はあまりないが,こうしたやり方が「ドンガラ」の山,「死屍累々」とまで言われる状況を作り出していることは否定できない.
大学等のうちでも二足歩行に成功している研究室は,必ず複数のロボットを繰り返し試作している.もっとも早くから人間サイズの3次元動的二足歩行を達成していた早稲田大学 高西研究室(旧 加藤研究室)では,二足歩行ロボットWLシリーズからヒューマノイドWABIANに至るまで様々なロボットを作ってきた.そこで培われた機構設計のノウハウが,大学としては群を抜いたレベルの二足歩行を支えていたと言える.それでもやはり1990年代中頃には,新たに股関節の部分に関節の柔らかさを調節できる非線形バネ機構を採用している.そのことが失敗だったと言うわけではないが,オーソドックスな機構の技術的洗練よりも研究としての新規性を優先する選択だったと言える.大学等におけるロボット研究の宿命である.
ロボット工学を形作ったさまざまな工学分野のうちに制御理論からの流れがある.元来,制御理論は制御しにくい対象をどうにかして目的に沿うように制御することを目的として発展してきたものである.したがってそこには対象そのものを制御しやすくなるように改良するという視点はもともと含まれていない.
その流れを汲んで,ロボット工学には機械的性能の低いロボットでも「だましだまし」制御しようとする,という伝統がある.わざわざ制御しにくい構造のロボットを作って,それを制御理論によって克服しようとする,フレキシブルロボットや劣駆動ロボットなどといった研究分野もあるくらいである(筆者自身も最近までそういった分野の研究に従事していた).たしかに,近年のコンピュータの発展に助けられて,こうしたアプローチはめざましい技術的成果を挙げてきた.一方でそれはロボット研究者の間に「コンピュータさえあればなんでもできる」という考え方をあまりに浸透させてしまったようにも思える.
機構と制御の関係は山登りにたとえることができるだろう.機構が山,制御は登り方である.どちらからどんな登り方をしても道が続いてさえいれば山の頂上にたどりつくことはできる.しかし頂上の高さは山で決まってしまい,低い山に登れば高いところには到達できない.ホンダのヒューマノイドはそんな基本的なことをロボット研究者に教えてくれているように筆者には思えるのである.
ロボット研究についての愚痴めいた文章になってしまったが,ロボットに関する情報の別の角度からの見方として,読者の参考となれば幸いである.
−> 関連文献 「学術的ロボット研究の問題点について」
(参考文献の代わりにヒューマノイドに関連したWebサイトをいくつか紹介する.)
・本田技研工業(株) 人間型ロボットASIMO
・産業技術総合研究所 知能システム研究部門 ヒューマノイド研究グループ