次世代ロボットに関する市場調査・市場予測の比較と分析

産業技術総合研究所  荒井裕彦

第26回日本ロボット学会学術講演会において発表, 2008.9.11
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「ロボット産業に関する市場調査・市場予測の比較と分析」(データ追加版)

1.緒 言

 本発表では現時点で業界団体,政府機関,民間調査会社などから公表されている,次世代ロボット(非製造業分野)の市場実態調査および市場予測の数値について比較と分析を行う.2001年に社団法人日本ロボット工業会より将来のロボットの市場規模に関する予測が公表された[1].そこでは2010年に3兆円,2025円に8兆円という莫大な規模のロボット市場が予測されている.この市場予測はその後の経済産業省をはじめ各省庁によるロボット研究開発投資の説明根拠とされた.またこの予測はマスコミなどを通じて国民に広く流布され,現在のロボットブームの一因ともなっている.

 一方で,ロボットの市場規模の現況,特に非製造業分野における次世代ロボットの市場動向が実際にどの程度の規模で推移しているかは,ロボット研究者の間でもあまり正しく認識されていないのが実情である.市場推移のシミュレーション結果である市場予測の妥当性を検証するためには,現実の市場規模との整合性を確認することが不可欠である.また,相異なる方法に基づく市場予測同士を照合することにより,各予測の信頼度を調べることができると考えられる.そこで本稿では様々な立場の機関において行われた市場調査・市場予測を一つのグラフ上で比較し,市場予測の実現可能性について検討を加える.

2.比較対象の市場調査・市場予測

 はじめに,本稿で比較・分析の対象とした市場調査・市場予測を簡単に紹介する.全文あるいは概要がインターネットで公開されているものについては参考文献にアドレスを提示するので,関心のある読者は元の文書を直接参照されたい.

2.1 日本ロボット工業会による調査・予測

 日本ロボット工業会から公表されている市場予測として,まず前述の「21世紀におけるロボット社会創造のための技術戦略調査報告書」 [1] (2001年)を取り上げる.本報告書では非常に大きなロボット市場予測の数字(図1)が作成されている.この予測は各省庁によって引用され,科学技術政策においてロボットを戦略分野として重点化し,国費でロボット関連の研究プロジェクトに投資を行う理由付けの基礎となった.また本予測はロボットの市場予測のうちで最も頻繁にマスコミで取り上げられて一般社会にまで流布されている.社会的・経済的影響力の最も大きな市場予測と言える.

図1 日本ロボット工業会によるロボット市場予測
  (文献[1] (2001)を元に作成)

 本予測の基本的な算出方法はロボットによる労働代替という考え方に基づく.各対象分野に携わる人間の給与総額×労働時間(製造業・バイオ分野では総付加価値額)に,5〜50%のロボット代替率を掛けてロボットのGDP創出効果と称し,その1/10をロボット市場規模としている.

 また同会による別の予測として,[1]の前年に公表された「21世紀におけるロボット産業高度化のための課題と役割に関する調査研究」[2] (2000年)も取り上げる.本文献における非製造業分野のロボット市場予測は,潜在的ユーザへのアンケート調査等に基づくもので,1998年度に同会が行った「ロボットの新規産業分野におけるニーズ調査」をベースとして経済環境の変化等による多少の修正を加えたものである.([2]の調査はむしろ製造業分野のロボット市場の長期需要予測を主眼としており,ロボットメーカ,ユーザ,エンジニアリング企業へのアンケート及びインタビュー調査を基本とするミクロ需要予測,民間企業設備投資とロボット出荷額の回帰分析を基本とするマクロ需要予測の2手法により産業用ロボット市場を予測している.)

 また日本ロボット工業会では「マニピュレータ、ロボットに関する企業実態調査報告書」を毎年公表している.本稿では2007年版[3] を利用するが,そこには1997〜2006年の製造業/非製造業各分野のロボットに関する年間出荷額などの市場調査結果が掲載されている.調査方法は同会の会員および非会員企業へのアンケート調査で,2007年版では120社からの回答に基づく.

2.2 政府機関による調査・予測

 経済産業省においては,ロボットにかかわる将来ビジョンを策定するための「次世代ロボットビジョン懇談会」[4]を2003〜2004年に開催した.また2004年に発表された同省の「新産業創造戦略」[5]の中では,戦略7分野の一つとしてロボットを取り上げている.さらに戦略の具体化を図ることを目的として,2005年に「ロボット政策研究会」[6]を開催した.これらについての報告書でも,それぞれロボットの市場予測の数字が挙げられている.ただしこれらは独自に予測を行ったわけではなく,ロボット工業会による文献[1]の予測方法を引用しつつ,予測の範囲やパラメータを変えて多少異なる数値を算出している.本稿では文献[5]に基づく数字を用いた.

 また内閣府 総合科学技術会議 科学技術連携施策群 次世代ロボット連携群では,2006年に「ロボット総合市場調査」[7]という市場実態調査を行った.製造業・非製造業分野をともに含む広い範囲のロボットビジネス全体の市場動向を把握することを目的としている.調査方法は公開データの収集,ロボット関連企業へのアンケートおよび調査員による面接取材である.

2.3 民間調査会社による調査・予測

 民間のマーケティング調査会社,シンクタンクなどからもいくつかのロボット市場調査・市場予測が公表されている.本稿では文献[8]〜[12]の5社の調査・予測を参照した.市場実態の調査方法は,主にロボット関連企業・機関へのヒアリング調査である.また市場予測は,短期的には各企業の業績見込みの積算,中長期的には各種次世代ロボットの価格および普及台数予想,現状の市場規模からの成長率,他業種からの類推などをベースに算出されている.

3.市場調査・市場予測の比較結果

3.1 市場実態調査の比較

 前章で示した各文献から,まず非製造業分野における次世代ロボットの市場実態調査結果を取り出してプロットしたものを図2に示す.日本ロボット工業会(JARA)および民間調査会社2社による調査結果は,調査期間の範囲で14〜68億円であり,100億円未満のレベルにとどまる.

図2 次世代ロボット(非製造業分野)の市場調査結果

 一方「ロボット総合市場調査」[7]のみは,2005年度実績で次世代ロボットの市場規模を273億円としている.この数値は他の調査結果と比較してかなり大きい.「ロボット総合市場調査」では,サービスロボットなど企業向けの業務ロボットが223億円,個人・家庭向けのコンスーマロボットが44億円となっている.しかしこれらの内訳を確認すると,業務ロボットのうち195億円を,農産物の出荷時に行われる選果・選別作業を自動化する「選果システム」が占める.これは農業用ロボットというより食品工業におけるオートメーション設備に分類すべきものと思われる.またコンスーマロボットのうち25億円を家庭用健康器具「ジョーバ」が占めるが,これもロボットと称すべきか,いささか疑問がある.上記の二つはこれ以外の調査には次世代ロボットとして算入されていない.これらを除外すると「ロボット総合市場調査」に基づく市場規模は53億円となり,他の実態調査とほぼ同等のレベルとなる.

 また市場規模の変動の傾向に着目すると,必ずしも右肩上がりの成長ではなく,年によりかなりの増減を示している.図中の破線は日本ロボット工業会の調査結果を指数近似したものである.年間平均成長率は−8.7%となり,非製造業分野における次世代ロボットの市場規模はむしろ縮小の傾向が見られる.

3.2 市場実態調査・市場予測の全比較

 つぎに,市場実態調査および市場予測を一つのグラフにまとめたものを図3に示す.実態調査と予測の数値に大きな開きがあるために縦軸の市場規模を常用対数で表した.図中で実線は実態調査,破線は予測の数値を表す.

図3 次世代ロボット(非製造業分野)の市場実態調査・市場予測

 全体の傾向として,予測の数値はばらつきが非常に大きいということが言える.例えば2010年に着目すると,予測市場規模の最大値と最小値の間には420倍もの開きがある(市場実態は最小値に近い).中でも最大値である日本ロボット工業会の文献[1](図中のJARA2001)や,それを引用した経済産業省による市場規模予測は,他の民間調査会社による予測と比較すると突出して数字が大きく,現状の実態調査の数値からも明らかにかけ離れていることがわかる.民間調査会社の数値はおおむね市場実態と連続した形で予測が行われており,市場の成長率を考慮して算出されていると思われるため,多くとも1000億円程度にとどまっている.うち1社のみ日本ロボット工業会の予測と同じレベルに到達するような数兆円規模の予測を行っているが,2006〜2008年の2年間に36倍もの成長を見込んでいる.現実にはそうした急成長は起こっていないので,この規模には到達不可能である.

 文献[1]では非製造業分野におけるロボットの市場規模を2010年に2兆500億円と予測している.一方,文献[1]の前年に同じく日本ロボット工業会から出版された文献[2](図中のJARA2000)では,同じ2010年の予測額は6235億円である.2つの文献の間の1年間に,市場規模予測を3.3倍にも増加させるような技術的ブレークスルーや社会環境の変化が生じたという事実は存在しない.しかもいずれの予測も同会自身による実態調査結果[3]と整合しているとは言い難い.

4.考 察

4.1 文献[1]の予測の問題点

 日本ロボット工業会による文献[1]の市場予測は我が国のロボット研究開発の方向性に大きな影響を及ぼしているが,市場実態や他の予測と比べると,きわめて過大な予測になっていると言える.そうした数値が示された原因として,文献[1]の算出根拠に関する疑問点をいくつか挙げることができる.

a) 具体性の欠如
 ロボットの用途・対象作業に具体性がなく,機種・価格設定・台数などを全く考慮していない.
b) ベース数値「主婦みなし賃金」
 生活分野では,家庭における主婦家事労働の10〜40%をロボットが代替するとして,それに対する「主婦みなし賃金」をもとにロボット市場規模を計算している.しかしこれは実体経済では支払われない賃金であり,次世代ロボットに対する購買力や購買意欲とは関係がない.
c) 労働代替率の恣意的な設定
 上記の生活分野を含め,分野毎に一律の根拠不明な労働代替率(5〜50%)を設定している.

 これらのうちで労働代替率は恣意的な操作が可能な点で最大の問題点と思われる.しかも分野間で設定にかなり格差があり,医療福祉分野で最大50%,生活分野で最大40%という非常に高い代替率を設定する一方で,製造業分野では大幅に低く,5〜10%の代替率を設定している.一般に構造化された環境下で定型的な作業を行える点で,製造業分野の方がはるかにロボット化が容易であり,ロボットへの代替率が高くなると考えるのが自然であろう.仮に生活分野の労働代替率を製造業分野の半分に設定すると,生活分野のロボット市場規模は製造業分野を大幅に下回ることになる.つまり労働代替率の設定次第で市場規模の分布を任意に見積もることが可能である.

 また文献[1]の作成者自身も,のちにロボット技術における未来市場予測の特異性を主張し,本予測の問題点を指摘している.次世代ロボット技術戦略調査委員会の代表幹事として文献[1]をとりまとめた首都大学東京の谷江和雄教授(当時は産業技術総合研究所知能システム研究部門部門長)は,「前述のロボット市場の予測では,応用分野は示しているが,具体的な製品が想定されているわけではない。 (中略) (人手で行われている作業が)今後開発されるかもしれないロボットで代替され,現在その労働に支払っているコストがロボットの購入に使われたらどの程度の金額になるか,に基づいてそれは計算された数値である。 (中略) 前記の数値は市場の受け入れ容量の最大値の予測であって,売れるロボットが開発されなければ市場規模“0”になることに注意する必要がある。」[13]と述べ,文献[1]の数値が正当な市場予測であることを否定している.

 こうした市場予測の情報をマスコミなどに提供する際の典型的な表現にも問題があると思われる.新聞などマスコミにおいては,例えば「現在約6000億円のロボット市場は、2025年には8兆円規模に成長する見込み」というような形で市場予測が報道される.この表現では,現在の製造業/非製造業分野の市場比率が曖昧化されている.その結果,非製造業ロボットの市場規模が100億円未満から数兆円まで数百倍に成長するという予測の非現実性が隠蔽され,ロボット市場全体としては10倍程度なので実現可能であるという印象の形成が誘導されている.

4.2 製造業分野の市場調査・市場予測

 比較対照のため,製造業分野における産業用ロボットの市場実態調査および市場予測を同じ文献を元に同一のスケールで図4にまとめる.これらでは市場実態調査と市場予測が無理なく連続しており,また過去の時点で予測された市場の成長が実際にほぼ達成されている.図3の非製造業分野と比較すると,文献ごとの数値のばらつきも小さい.産業用ロボット(製造業分野)に関しては,全般として非製造業分野に関する予測よりも妥当性が高く信頼しうる予測が行われていると見ることができる.

図4 産業用ロボット(製造業分野)の市場実態調査・市場予測

5.結 言

 本稿では様々な機関による次世代ロボットの市場調査・市場予測を一つのグラフ上にまとめて比較した.非製造業分野のロボットの市場規模は現状で100億円未満であり,広く流布されている兆単位の予測との間には大きな乖離がある.今後10〜15年程度のスパンでは非製造業分野の市場比率が製造業分野に接近する見込みは薄いと見られ,非製造業分野に一方的に偏った現在のロボット研究への公共投資が,その回収可能性という点において正当化し得るかは疑問である.

 ロボット研究者の間では「非製造業分野に進出することによりロボットの市場は飛躍的に拡大する」という通説が広く信じられている.そのことが,このように現実から遊離した市場予測が横行する背景になったと言える.しかし実はこの説は根拠のない希望的観測に過ぎなかったのだと筆者は考えている.本稿では紙面の都合上割愛するが,Web上で関連する論考[14]を公開しているので,詳細はそちらを参照されたい.

参 考 文 献

[1] 日本ロボット工業会:“21世紀におけるロボット社会創造のための技術戦略調査報告書”, 2001.
[2] 同上:“21世紀におけるロボット産業高度化のための課題と役割に関する調査研究−ロボット産業の長期ビジョン−”, 2000.
[3] 同上: “マニピュレータ、ロボットに関する企業実態調査報告書”, 2007.
[4] 経済産業省: “「次世代ロボットビジョン懇談会」報告書”, 2004.
[5] 同上: “新産業創造戦略”, 2004.
[6] 同上: “ロボット政策研究会報告書”, 2005.
[7] 総合科学技術会議: “ロボット総合市場調査報告書”, 2007.
[8] 富士キメラ総研: “2004 ロボット(コミュニケーション・パートナー)市場総調査”, 2004.
[9] 矢野経済研究所: “2006 次世代型パーソナルロボット市場”, 2006.
[10] シード・プランニング: “2006年カラー版 パートナーロボットの最新市場動向と重要技術・キーパーツ動向”, 2006.
[11] 富士経済: “2007 ワールドワイドFAロボット/RT関連市場の現状と将来展望”, 2007.
[12] 野村総合研究所: “これから情報・通信市場で何が起こるのか −IT市場ナビゲーター2008年版−”, 東洋経済新報社, pp.378-384, 2008.
[13] 谷江: “ロボット市場を立ち上げるために”, 東芝レビュー,Vol. 59, No. 9, pp.9-14, 2004.
[14] 荒井: “学術的ロボット研究の問題点について

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