人を見守るデジタルヒューマン

人間機能モデルを備えた日常生活空間型コンピュータ

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概要
デジタルヒューマン研究センターでは、センサを生活空間に埋め込み、生活環境そのものをセンサ化(センサライゼーション)することで、日常行動を入力することができ、人間機能モデル(デジタルヒューマンモデル)を使って人の状態を理解し、適切に支援できる生活空間の構築を進めている。このような人間機能モデルを備えた日常生活空間型の計算機は、従来の計算機とは異なり、作業空間・操作という概念がないため、生活をしながら支援を受けることが可能であり、人間機能モデルを備えているため、人間の機能に根差した新しい支援が可能となる。たとえば、健康管理を習慣化するといった課題に対して有効であると考えている。
はじめに
日常生活空間は、個人情報を獲得する場所としても、個人情報を活用する場所としても有効な場所である。「生活しながら、情報処理による支援を享受」できる可能性を持っているからである。日常生活空間を工学的に取り扱うことで、私たちが気づかない形で日常生活空間が果たしている機能や要求機能を分析し、これを情報機械要素を用いて実現し、再び、日常生活空間に統合することで、私たちを賢くし、私たちの生活を向上させるような新しい機能を持った生活空間を作り出すことが可能となる。学術的にも、産業的にも、日常生活空間を「機能」の観点からとらえていくことが重要な視点となる。デジタルヒューマン研究ラボでは、日常生活空間が備えるべき新しい機能として、情報機械としての人間の生理的な機能に着目している。現在、構築中のシステム(SELF; Sensorized Environment for LiFe) は、1)生活環境そのものをセンサ化(センサライゼーション)することで、私たちが普段行っている日常行動を入力できるヒューマンインターフェース部分と、2) 入力されたデータから人の状態を理解するための人間機能モデル(デジタルヒューマンモデル)とから構成されている。本システムの開発は、旧、電子技術総合研究所の知能システム部において始められ、現在、産業技術総合研究所知能システム研究部門との連携により研究が進められている。本稿では、構築中のシステムを用いた健康管理支援機能について報告する。
 健康管理とは、自分と自分とのコミュニケーションにより自分を科学する問題である。人相互の場合のようなジェスチャや言葉を用いた誰しもが理解可能なコミュニケーションとは異なる。専用の測定機器や得られたデータを解釈できる専門家なくしては、計測→解釈→分かり易く教えてくれる、という一連のコミュニケーションのループが成り立たない。何らかの自覚症状がある場合には、それが契機となって、自宅で測定機器を使って計測したり、必要な場合には病院に行くというやり方でこのループがかろうじて実現されているが、痛み、熱でもない限りほとんど自分の健康には気を使わず、普段はループが切れた状態にある。このように、この種のコミュニケーション・ループは、努力なしに自然には生まれないものなので、人工的に作る必要が生じるが、人間機能モデルを備えた日常生活空間型の計算機がこのようなコミュニケーション・ループを作る上で有効な手段であると考える。
人間機能モデルを備えた日常生活 空間

環境のセンサ化による情報処理機能の日常環境化

構築中のシステム(SELF) では、従来の計算機(図1(A) 参照) の構成要素を日常環境化することで、日常行動を情報処理の対象として扱うことのできる新しい計算機となっている(図1(C))。日常環境それ自体を一つの有意義な計算機にするという発想である。キーボード( 接触センサの一種)はベッド型の接触センサ(圧力センサベッド)に、マイクロフォンは照明装置(ドーム天井マイクロフォン)に、計算機モニターは洗面台(洗面台型ディスプレイ)へと機能統合されている。


図1: 人間機能モデルを備えた日常生活空間

人間機能モデルに基づく生体計測機能の日常環境化

SELFでは、生体計測機能(人間の呼吸器の状態をモニターする機能) を日常環境化している。従来の人間の呼吸器状態モニター装置(図1(B)) では、1) 換気の有無を測定するサーミスタ、2) いびきを測定する接触式マイク、3) 呼吸筋(呼吸をするために使われる筋肉)の活動を測定する体動計、4) 血中酸素飽和度を測定するオキシメータ、5) 体位を識別するセンサなどを人間に直接取りつける必要があった。日常生活空間型のセンサにより、全くセンサを取りつけることなく、従来型の計測装置の基本機能が実現できている。


日常行動を利用したサービス

健康管理の重要性にも関わらず、これを実践することは難しい。 これは、健康管理を日常行動へと転化することが困難であるからである。 寝るためにベッドに横たわると生体計測が自動的に行われ、起床後、洗面台に向かうと、最近の健康状態を鏡に表示してくれることで、普段、我々が行っている日常行動へと健康管理を変換することができる。 このように、日常行動駆動型の部屋型計算機を用いれば、作業空間・操作という概念がないため、健康管理を日常行動へと変換すること、すなわち、習慣化することが容易となる。

人間機能モデル:人間の呼吸器系のモデル

人間の呼吸器系の生理学

呼吸は、体液中の酸素、二酸化炭素などを一定範囲内に保つために行う換気活動である(図2(b))。 換気量の制御は、総脛動脈にある脛動脈体と呼ばれる抹消性化学受容体や、延髄にある中枢性化学受容体などの体内センサを使って、体液中の酸素、二酸化炭素の量をモニターし、横隔膜、肋間筋などの呼吸筋を制御することで行われている。 このように我々がごく当たり前に行っている呼吸は、脳、循環器、呼吸筋、体内センサーを総動員した極めて複雑なシステムにより運営されている((図2(a))。 例えば、最近、注目されている睡眠時無呼吸症候群(睡眠中に呼吸が頻繁に停止してしまう疾患)では、横隔膜などの呼吸筋の運動が生じているのに関わらず、上気道の閉塞により換気がうまくできないという症状が見られる。 そのため、この病気にかかった患者の呼吸器系の状態を計測するためには、換気が起こっているのか(換気の有無の測定)、閉塞が生じているのか(いびきの計測)、どの程度酸素を取り込めているのか(血中酸素飽和度の計測)、どういう体位の時に無呼吸が生じるのか(体位の計測)といった多方面での解析が必要となる。 このように、呼吸器系の状態を把握するためには、図1B で示したようなたくさんのセンサが必要となる。従来、医療の分野で使われているセンサは、人体に差し込んだり(侵襲型)、直接取りつける(拘束型)タイプのものが多い。これらの利点は、適切に取りつけられ、固定されている間は、精度良く計測が可能な点にあるが、一方、脱着が煩わしい、寝ている間に無意識的に取り外してしまう、その際、センサが壊れることがあるなど多くの実用上の問題を抱えている。我々のグループが実施した臨床実験でも43 例中21 例(約48%) でセンサが外れてしまう事故が生じている。長期的な計測にはさらに困難が伴うことが多く、無拘束/無侵襲な計測技術が求められている。


図2: 人間の呼吸器系のモデル

人間機能モデルが可能とする無侵襲・無拘束な生体計測

呼吸に伴って生じる現象の代表的なものに、1) 換気による鼻/口における気流や呼吸音の発生((図2(c))、2) 呼吸筋の運動による胸部/腹部の体積変化((図2(d))や、臓器の移動による重心の変化((図2(e))、3) 血中の酸素濃度や二酸化炭素濃度の変化による換気量の変化((図2(f)) などがある。これらの現象や、要因となる人間機能をモデル化することで、一切のセンサを取りつけない無侵襲・無拘束な生体計測が可能となる。 我々のグループでは、鼻/口から空気中を伝搬してくる呼吸音をドーム天井マイクロフォンを用いて計測すること、呼吸筋の運動による胸部/腹部の体積変化をカメラで計測すること、臓器の移動による重心の変化を圧力センサベッドで計測すること、また、呼吸筋の運動から血中酸素飽和度の降下回数を推定することなどに成功している。

参考文献