> 産業技術総合研究所 > 一杉裕志 > 脳のアルゴリズムに関する取り急ぎメモ > . 2012-06-07 更新)

心身問題


心身問題心脳問題)とは、物質である脳や体からどのように「心」というものが
生じるのか、という問題です。


◆心身問題に対する様々な立場
心身問題を私なりに定義しなおしてみるとこうです。

	命題1:原子の集まりは心を持たない。
	命題2:人間の脳と体は原子から構成されている。
	命題3:人間は心を持つ。
	以上の3つの命題が同時に成り立つ理由を説明せよ。

なお、「原子」を「ニューロン」に変えたり、
「心」を「意識」、「自由意志」、「人権」、「クオリア」、「感情」、「痛み」などに変えて、
様々なバリエーションを作ることができます。
例えば、こうです。

	命題1:原子の集まりは痛みを持たない。
	命題2:人間の脳と体は原子から構成されている。
	命題3:人間は痛みを持つ。
	以上の3つの命題が同時に成り立つ理由を説明せよ。


さて、これらの問題は、このままだと明らかに解けないので、
命題1〜3のどれかを否定する必要があります。


命題1を否定するのが、普通の神経科学者の立場だと思います。
究極的には「機械的に動くニューロンの集合がいかにして心を持つか」という
問題を解くべく、多くの神経科学者が研究に取り組んでいるわけです。
神経科学は機械学習の理論などと結びついてこの20年ほどの間に
目覚ましく発展しており、心身問題はもはや解決に近づいていると私は思います。


心身問題を解くには「未知の物理法則・物理現象」が必要だ、
という主張する人たちもいます。
しかし、その「未知の物理法則・物理現象」が機械論的なものならば、
結局は普通の神経科学者と同様に、命題1を否定する立場と言えるでしょう。


命題2を否定する人もいて、陽にまたは暗に霊魂の存在を主張することになります。
しかしそれは「科学的」な気がしないので、
現代の日本においてはあまり大きな声では主張しずらいですね。
でもひそかにこの立場の人は多いかもしれません。

ゾンビ論法が正しいと信じるデイヴィッド・チャーマーズは、
命題2を否定する立場なんだろうと思います。
「未知の物理法則・物理現象が必要」という立場との違いは、
「必要なのは機械論的ではない何かである」と主張する点です。
この立場からは心身問題はまさに「ハード・プロブレム」だと思います。


命題3を否定する方法もあって、これも結構みかけます。
こちらは十分に「科学的」っぽいので、わりと自信を持って主張できます。
人間は原子の集まりだから「心」、「意識」、「自由意志」、「人権」は
存在しないのだ、というわけです。
確かにそう考えれば、論理的な矛盾は生じないかもしれません。
しかし、安易に「自由意思」や「人権」を否定すると
社会生活を営んでいく上での「実用上」の問題が生じます。
社会の治安が悪化して、あとで後悔することになりかねません。
後悔しないためには、命題1を否定する道を追求した方がよいでしょう。
また、「自由意思」を否定するくらいならまだしも、
「痛み」の存在まで否定するのは無理があるのではと思います。





◆全体は部分の和と違う。システムってそういうもの。
トランジスタは信号を増幅するだけの素子で、情報を記憶する能力は持っていません。
ところが、トランジスタをうまく組み合わせてフリップフロップという
回路を作ると1ビットの情報が記憶できるようになります。

コイルと永久磁石と電池はどれも回転する能力は持っていないけど、
うまく組み合わせてモーターを作ると回転します。

個々の部品が持っていない性質を、システム全体が持つ。
システムってそういうものです。
当たり前ですよね。

でも不思議と言えば不思議です。
私はフリップフロップも直流モーターも原理は理解していますが、
それでもあらためてじっくり見直してみるととても不思議です。

そういう不思議なことが起きる魔法のような世界に、
私たちは住んでいるのです。

原子の集まりである脳が心を生み出すのも、
そのような不思議な作用なのでしょう。

計算論的神経科学の発展によって
心の原理は着実に理解されていくだろうと私は思います。



◆機械はなぜ心を持たない?
コンピュータを含めて、身の回りの機械はどれも
心を持っているように見えません。それはなぜでしょうか。

脳と機械の最大の違いはその存在目的の違いです。
機械は人間の道具です。
道具は、使う人間にとって扱いやすくなければなりません。
そこで、機械には、状態が把握しやすいこと、制御しやすいこと、
振る舞いが予測しやすいことなどが
求められます。

これらの性質は心の性質とことごとく正反対です。
身の回りの機械がどれも心を持っているように見えないのは、そのせいでしょう。

ちなみに、製品として完成する前の試作品は、
正体不明の内部状態を持ち、制御ができず、振る舞いも予測できない
ことがよくあります。プログラムだって同じです。

「きょうはこのプログラム、きげんが悪いなあ・・・。」ということが
開発現場ではよくあります。
これは単なる比喩表現とも言い切れないかもしれません。

現状の機械が心を持っていないのは単にそんなわけなので、
将来、人間の脳をまねたアルゴリズムをそなえた機械は、
きっと心を持つように見えるでしょう。


◆ロボットは「人間のような感情」を持つ?
将来ロボットが心を持つようになったら、人間に反感を持ったり、
人間に恋をしたりするでしょうか?

人間が持つ情動というものは、生物として確実に子孫を残すという目的のために
わざわざ脳の中に作り込まれているものです。
それとまったく同じものを手間暇かけてロボットに作り込むのは、
原理的には可能でしょうけど、酔狂としかいいようがありません。

通常製品として売られるロボットは、人間に従順な「家畜のような心」や、
お客さんに喜んでもらうことを第一とする「一流ホテルの従業員のような心」を
持つよう作られていることでしょう。その方が売れますから・・・。



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