微小環境と二本指による対象物操作

 一概に微小環境と言っても扱う対象物のサイズは多岐にわたる。一般に微小環境の対象物の大きさは数[mm]から数[nm]であり、このサイズの領域を微小環境(またはマイクロ環境)と呼ぶ。Fig. 1-1に主な微小対象物の大きさと、微細作業の範囲を示す。

Fig. 1-1 Scale of some micro objects and range of micro task

 微細環境における特筆すべき点は、支配する物理法則が我々の住む通常環境(以下マクロ環境)と大きく異なり、マクロ環境では気にとめなかった些細なことが微小環境では問題となったりする。微小環境とマクロ環境の物理法則の違いはスケール効果として表されている。

 例えば全ての長さがL倍になったとすると機械的なパラメータに関してはバネ定数がL倍になるため固有振動数は1/Lに比例し、Lが小さくなるほど応答が速くなることがわかる。運動の際、重力はLの3乗、慣性力はLの4乗に比例し、粘性力(摩擦力)はLの2乗に比例する。すなわち寸法Lが小さくなると、体積が影響する力(重力・慣性力)より、面積が影響する力(粘性力・摩擦力)が相対的に大きくなる。このため微小物体の運動は摩擦が無視できず、また媒体中では大きな粘性抵抗を受ける。慣性力の粘性力に対する割合であるレイノルズ数ReはLの2乗に比例する。つまり水や空気中でも粘性力が支配的となる。運動量mvはLの4乗に、運動エネルギーmv2はLの5乗に比例する。このエネルギーが小さいことはわずかなエネルギーで動かせる事を意味している。また、アクチュエータとしては低エネルギーで駆動でき、センサーは高感度になることを表している。熱伝導や熱伝達の量Qは温度Tに比例し、これから等価熱コンダクタンスGはその比例定数となるがGはそれぞれ、LとLの2乗に比例する。すなわち寸法Lが小さくなるほど熱絶縁が良くなり、高感度の熱型センサーや低消費電力のヒーター等が実現できる。また応答時間tはC/Gであるが、熱容量Cは体積と密度及び比熱の積で表されLの3乗に比例するためtは先に述べた熱伝導や熱伝達の場合、それぞれL3/L=(L2)となり寸法Lを小さくするほど高速応答が得られる。

 対象物の大きさや作業に要求される精度が1[mm]から1[nm]の範囲にあるものは、微細作業(マイクロ/ナノ作業)として一般に呼ばれている。このような微細作業においては従来のマクロ世界における作業を前提とした加工や操作組立技術は当てはまらない。これはスケール効果等の物理現象がマクロ世界と異なるためである。従って微細作業技術を確立するには微小世界の物理現象を扱う物理学に基づいたアプローチが必要である。微細作業における支配的な表面間力として代表的なものに、分子間力(ファン・デル・ワールス力)、液体架橋力(表面張力)、静電気力が挙げられる。

 一般に、マクロな世界では、対象物を把持して位置決めなどを自由に行うためには、マニピュレータの先端に対象物把持用のエンドエフェクタを備えればよい。ミクロな対象物でも、大きさがサブミリ程度であるならば、開閉型のエンドエフェクタと微細動作用のマニピュレータを組み合わせて同様な操作を行うことは可能である。しかしながら、より小さな対象物、例えば大きさが数ミクロン程度の対象物を器用に扱うには、このような方法では実現が困難である。すなわち、大きさ数ミクロンの対象物を扱うのに十分小さな開閉型エンドエフェクタの実現と、把持した対象物の回転運動まで含む器用なマニピュレーションの実現が困難なためである。

 マクロな世界でのマニピュレーションでは重力などの影響を孝慮すると剛体の安定把握は3指以上が必要である。一方、微小環境においては慣性力の影響が小さくなると同時に表面間力の効果が大きくなり、対象物が吸着する現象が起こるため、二指でも十分安定なマニピュレーションが可能と考えられる。この場合の指は、その先端で並進運動の3自由度が実現できるものであればよいが、回転運動も含めた6自由度が実現できるものであればなお望ましい。

 特に微小対象物の姿勢の制御は、非常に難しい。すなわち、角度は無次元であるため微小環境であろうと通常の世界であろうと同じ姿勢角度を制御しなければならない。開閉型エンドエフェクタを用い、掴んだ微小対象物の姿勢を制御するには、顕微鏡視野内に回転中心を維持しながら開閉型エンドエフェクタを大きく回転させなければならない。それほどの回転中心の精度を実現する機構には、高精度な加工技術と頑健な大がかりな機構が要求される。しかし二本指のマニピュレーションでは各指の並進運動のみを協調させることにより、微小対象物自身を回転させ、姿勢を制御できるため、コンパクトな機構で済むといった特徴がある。以上から、微小対象物のマニピュレーションには二本指による操作が適していることが理解できる。

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