岡潔のこと

 岡潔のことを紹介しょう。岡潔は今では伝説の数学者であり,多変数複素関数論の研究で人間業とは思えない仕事をした人である。ひとたびその数学に接すると人を魅了してやまないものがある。岡潔が考えたことは多変数複素関数論における正則領域の問題である。複素関数論のエッセンスは解析関数の定義にあると言ってもよい。よく知られているように一変数複素関数に対しては解析接続の原理により関数の定義域を広げていくことができる。それに対し二変数以上の多変数の関数においてはその関数が正則であるような領域を勝手に決める事ができないのである。多変数複素関数がどのような領域で正則であるか、というのは関数論における重要な問題であり、正則領域の問題とよばれる。この問題の重要性は20世紀の初め頃に認識され出したが,あまりに難しいために誰も手をつけることができなかった。岡潔のためにとっておかれたと言ってもよいくらいである。

 岡潔は生涯におよそ10編の論文を書き、最終的には懸案であったレヴィの問題(またはハルトークスの逆問題)を解決し、多変数解析関数論の基礎を与えた。 これらの論文はすべてが珠玉の傑作であり,これらが一人の人間の手によって成ったというのが信じられないくらいである。多変数解析関数論とは岡潔によって創造された数学の世界であると言ってもよい。[1、2] 一変数関数論とは全く別の世界がそこにはある。例えば,一変数関数論では解析接続の原理により,一変数の解析関数が存在する世界を実際につくることができる。それは,リーマン面とよばれるものであり,リーマン面は一変数解析関数の『母なる大地,その上にこそはじめて諸関数が生育し繁茂しうる大地とみなされなければならない』[3]のである。しかし,多変数解析関数論にはそのようなものは,今のところ存在しない。存在したとすると,それがどのようなものになるか,筆者には想像がつかない。一次元の複素多様体がリーマン面であるという言い方をすることもあるが,これには注意を要する。一次元複素多様体の上には確かに解析関数が生息しているが,二次元以上の複素多様体は決してその上に解析関数が生育するような大地にはなりえない。リーマン面の単純な拡張で、 多変数関数が存在するような空間はつくれないのである。多変数関数が生育し繁茂するような空間はどのようなものであるか,数学者が明らかにしてくれることを心待ちにしているところである。

 ブルバキの主要メンバーであったヴェイユ[4]やカルタン[5]がOkaの研究を高く評価し、それによって岡潔は文化勲章を受賞した。戦後の日本の数学者達が神様のように見ていた数学者のジーゲル[6] が,『オカとはブルバキのように数学者の団体の名前だと思っていた』,と言ったという話も伝わっている。ジーゲル、ヴェイユ, カルタンらはわざわざ奈良まで岡潔を訪ねた。カルタンはセールと共に岡の論文を解読し、層の理論により記述した。

 それではどうして岡潔はそのような素晴らしい仕事をすることができたか考えてみたい。 これは彼が自らのすべてを数学に注ぎこんだ結果であろう。37歳のとき広島文理科大の教員を辞して郷里に帰り、49歳で奈良女子大に勤務するまで、今でいうフリーターとして数学の研究に専念した。その間,自らの田畑を売り,岩波や谷口の奨学金をもらいながらしのいできたのである。生活のすべてが数学のためであった。 そこまでできる研究対象を得ていたと言うこともでき,うらやましいことでもある。 岡潔は寝ている時以外は常に数学をしているという伝説も生まれた。矢野健太郎氏の『ゆかいな数学者たち』にある面白いエピソードを紹介しょう。矢野氏がフランスに滞在中に、フランスの数学者から

『岡は,起きてから寝るまで,数学以外のことは何もしな いということを聞いたがほんとうかね』

と聞かれた。矢野氏がそういう話を聞いたことがあるのを思い出し、『本当だ』と答えると,その数学者はそそくさと席を立って研究にむかったということである。

 岡潔が広島文理科大をやめたのは,授業があまりにでたらめであると学生から苦情が出たからであるらしい。しかし,これは朝永振一郎,湯川秀樹らの随筆に出て来る岡潔像とはあまりにかけ離れている。

『しかし,この退屈な教室の中にも,沈滞の中にもときどきふき込んで人々を生きかえらせる冷風のように,新鮮な空気のただよう時間もあった。それは岡潔先生と秋月康夫先生の数学演習の時間であった。』(朝永振一郎『わが師わが友』講談社文庫)

というのが大学を卒業して間も無いころの姿であった。三十半ばで最初の論文を書き,広島文理科大で教鞭をとっていたころは,その後の論文に没頭していた頃であった。そのために,講義の方は片手間になっていたのであろうか。 そこで,研究のために大学をやめたのである。それは,第一論文に続く論文ができた頃であったと思う。相当の自信がなければできないことであろう。

岡語録をいくつかあげておこう。

『私は数学の研究に没入しているときは、自分を意識するということがない。』

『知的独創はつねに知と未知との境において起こるのである。これが容易に起こらないのは、知の麻痺が非常に深いからであると思う。』

『実際、微温的なものでは役に立たない場合がある。少なくとも数学についていえば、 オリジナルとコピーとは全く異なっている。コピーは紙とインキで作れるが、オリジナルは生命の燃焼によってしか作れない。灼熱した情熱や高いポテンシャルエナジーがなければどうにもならないのである。』

 岡潔は集中することの難しさも述べている。岡潔が敬愛する芥川龍之介の『戯作三昧』を取り上げてみよう。この小説は滝沢馬琴に託して芥川が自らの思いを書いたものである。滝沢馬琴の平凡な一日をかき ,一日の終わりになって集中して創作にうちこんでいく姿がかかれている。全体で40ページほどあるが,集中している馬琴をかいているのは,最後のたった2ペー ジである。その前の38ページは創造のための心の準備に費されている。 人間にとって,このように集中して仕事をするのは非常に難しいことなのである。このことを芥川が述べ,岡潔はそれに共鳴している。 岡潔は悟りきった人間として,高い所から語っているために普通の人にはわかりにくいところがある。しかし,北海道大学のソファーでまどろんでいるうちにインスピレーションを得て重要な発見をし,研究を進めていった頃のことを述べるくだりは,ポアンカレ『科学と方法』などの話をはるかに凌ぐものがあり非常に面白い。岡潔は創造の三要素は,想像力,連想力,構想力であると言った。日本人の独創的学者の一つの例として岡潔を見ることができると思う。我々研究者も岡潔から学ぶことは多いであろう。

 岡潔のお墓を紹介しておこう。それは奈良公園の南の方にある白毫寺(びゃくごうじ)という小さいお寺の裏の墓地にある。白毫寺へ行くにはまず新薬師寺へ行くとよい。近鉄またはJR奈良駅 から市バスの市内循環線に乗り,破石または高畑で降りて,案内板に従って新薬師寺まで行く。新薬師寺南門前から白毫寺方面へ案内板に従っていくと,白毫寺の参道へ入る。「東海自然散歩道」という標識があるので,右折して白毫寺の裏へまわると墓地がある。納骨堂のすぐ上の二段目の一番端に,岡潔のお墓はある。納骨堂のすぐ左にある細い道を上っていってもすぐにみつかる。 岡家代々の墓と書かれた墓石の側面には俳句

春なれや石の上にも春の風     石風

が刻まれている。石風とは岡潔の俳号である。『春宵十話』のその他という段落にこの句がでている。岡潔は昭和53年3月1日に亡くなっており,享年78歳であった。春雨院梅花石風居士と刻まれている。妻みちはその三月後に亡くなっている。数学に命を燃焼させた純粋日本人を前にしてはただ合掌するのみであろう。


参考文献
[1] 岡の理論を正面から見据えた本が最近,出版されている:西野利雄著『多変数函数論』(東京大学出版会,1996)。
[2]一松信著『多変数解析函数論』(培風館)。なお、この書の記述によって 岡潔は単なる「プロブレムソルバー」であると広く認識されているかもしれないが,それは正しくないと思う。岡潔は正則領域の問題が解析学の大きな高峰であると自ら認識し,その高峰にいどんだのである。
[3] H.Weyl『リーマン面』(田村二郎訳,岩波書店,1980)。
[4] A.Weil. ジーゲルと同様に,当時の日本の数学者にとっては神様のような存在であった。哲学者シモーヌヴェイユの兄。代数幾何の第一人者であり『 Foundations of Algebraic Geometry』という本を書いたが,この本はグロタンディックのスキーム理論の出現により一瞬にして古典となった。
[5] H. Cartan. 幾何学のエリーカルタンの息子。後にフィールズ賞を受賞したセールと共に岡の論文を解読し、岡の理論を層の理論によって記述した。
[6] C.L.Siegel. 著書 『Topics in Complex Function Theory』 I,II,IIIが有 名。矢野健太郎の『ゆかいな数学者たち』(新潮文庫)の中に誰もいない講義室の中で講義をした逸話が紹介されている。
[7] この頃のことを次のように書いている。
『私は一九三二年に帰国して 広島の大学に奉職した。問題を決めてから四年間、それについていろいろ考えてみたが、 どうしても、どう手をつけて行ってよいかわからない。学校における私の評判はだんだん悪くなっていった。私が少しも研究を発表しないし、講義も少しもまじめにやらないからである。学生に一度ストライキされたことさえある。しかし、私はどうしても力を分散させる気にはなれなかったのである。』(『日本のこころ』(講談社文庫))

 
 
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