■ 研究開発を生産に直結する産業のRDP 1-1-1モデル


本稿では、研究開発を産業競争力に直結する製造産業の姿について議論する。

1-1-1モデルとは、経営資源の投入量を研究(Research)に1、開発(Development)に1、生産(Production)に1とすることが可能な産業モデルである。 投入資源が1→1→1で規模が変わらないので、研究開発成果がビジネスに直結する。 1-1-1モデルは、生産単位が極めて小さなモデルである。 従来は、本来少量生産に不向きな大量生産型1-10-100モデルを活用して少量生産を凌いできた。 1-1-1の生産での強みは、はじめ生産量が1でも、売れ行きが良ければ工場を100並べることができることにある。 また、生産への1の経営資源投入で生産が可能であるから、100個工場を並べても開発費は1ですむ。 そして、研究成果のかなりの部分をすくい上げることもできる。

研究開発の成果をほとんど実用化できないということは、1990年代から問題視され始めた克服すべき重要課題である。 研究と開発と生産の間にはそれぞれ、渡るに渡れぬ死の谷が横たわっていると表現されるようになった。 実際の所、巨大企業においては、研究開発の成果を実用化に結びつけられるのは、僅か3%とも言われている。 どうしてそのように少なくなってしまうのだろうか。それは、1-10-100モデルだからである。ここで、100の研究成果を全て実用化しようとする。 すると、売れるか売れないかがわかる前に、製造装置を作り、それ用の工場を建てなければならない。10,000のリソース投入が必要になってしまう。 それは、大企業といえども無理な相談なのである。100の成果のどれを実用化するのか。 未来のことは、なかなか正しく見通すことができない。そこで、実際には、これにしよう、という経営のセレクションがなされる。 そして、99の成果(3%が実用化するなら97の成果)は切り捨てられる。これが、研究開発についての従来の選択と集中の真実である。

ほとんどの研究成果が切り捨てられるのは、企業競争力及び国家競争力の点から問題であるとして、 成果の実用化を促進するために、MOT(Management Of Technology目利きやビジネス経験者に実用化指導をさせること)が一般化した。 しかし、その成果は十分といえる段階にない。その真の理由は、実用化できるだけの投資は、総体として極めて限られているという事実にある。 全てはマーケットの総和が限られたものであることから起こっていることなのである。

成長の鈍化したマーケットにおいては、1-10-100モデルはその脆弱性が露わになる。実際、競合企業に勝ち抜くには生産への強い集中が必要となる。 結果として、開発を切り捨ててしまうと言う瀬戸際現象が発生する。借りてきたR1-借りてきたD1(アウトソーシング)-P100モデルである。 社内のことなので一般には余り知られていないが、選択と集中を進めた企業では、開発部隊が事実上壊滅しているところが多く見られる。 意外なことに研究部隊はその存在を留めている。それは、研究がコアコンピタンス(競争力の源泉)であるとして、企業が最低限の規模を温存しているからである。 それで、開発を一緒にやりましょうということになり、コンソーシアムが流行することとなった。 しかし、10社集まって、各社その開発を1でやったとしても、生産工場には依然として100の経営資源が必要である。 研究開発にほとんどオリジナリティがなく、生産への投資も借り入れで済ませると言うことになる。 その上、市場が飽和している場合、1社で十分(すなわち勝ち組モデル)となり、9社は開発費をムダにし、生産に手を出した半数の会社は大赤字を計上する。

このようなわけであるから、様々な制約条件が現出している現代では、1-1-1モデルに一日の長がある。 課題は、どのようにして1の生産を実現するかにある。表面的には到底不可能に見えるが、そう思えるのは、大量生産に慣れ親しんでいるせいである。 大量に生産する必要がなければ、一つ一つ丁寧に作ればよい。生産現場の言葉を借りれば、それは、一個流しと呼ばれる。 たとえば、半導体集積回路工場では、これまで直径300mmのウェハを使って1ウェハ上に1000個一遍に生産してきた。 ウェハサイズが大きいので、1つの装置が数メートルから10mにもなり、工場の投資額も1ラインで5,000億円を超えつつある。 生産の1単位が、せいぜいが1社だけが許されるかもしれないか、誰も捻出できないか、という投資規模に至ってしまっている。 それを、チップ1個流しにすると、ウェハの直径はハーフインチの12.7mmで十分であり、製造装置は、30cm角になり、工場は10mサイズで収まる。 投資額は必然的に5億円と1/1000にシュリンクする。このような半導体の製造方法を、我々は最低限で済む製造工場〜ミニマルファブと呼んでいる。

1-1-1モデルは、様々な産業分野で、その量産性を確保するために導入された技術を取り払うことで、実現できるようになる。 また、生産工場にあって、研究現場にない、いわば歩留まりを制御する生産システムの開発が有効である。 言い換えれば、創造されたR1は、開発段階において何をすべきかといえば、沢山の資金が必要な量産化開発は不要であるから、 生産システム化〜研究装置をなるべくそのまま生産に使えるようにすること〜が主たる課題となる。 1-10-100モデルでは量産化・安定性(高歩留まり)・低コストが課題であるが、1-1-1モデルでは安定性と低コストが課題になる。 そのための製造装置と製造レシピの開発が目的となる。製造装置に大量生産性は不要である。 高機能化のためどんどん研究装置を複雑にする従来型とは対照的に、極力研究時からシンプルに作ることで、低コスト化を予め仕込んでおくのが賢明である。

重要なことは、1-10-100モデルとの併存バランスを考慮しなくてはならないことである。 社内においては、1-1-1モデルと1-10-100モデルの経営資源の投入比率をこれまでの0%:100%から、たとえば、50%:50%にすることで、多くのコアコンピタンスを生み出すことができる。 セレクション過程では、研究成果が、1-1-1向けなのか、1-10-100向けなのかで、資源配分比率を変えることになる。 注意すべきは、これまでのセレクション基準〜シーズ指向(市場が今無い)かニーズ指向(市場が今ある)かという、どちらにしても大量生産指向であった仕分けは変えてゆかなくてはならないことであろう。 1-1-1モデルは、大変強い市場創造力をもっている。既存市場の伸びを予測して、ニーズ型に投資するという手法は通用しない。 1-1-1モデルなのか1-10-100モデルなのかを問うことが本質的になる。 研究者は、自らがどちらの研究をなしているのかを意識し、また、経営者は、常にそれを問うべきである。 国家の研究開発費の投入過程でも同様になされるべきであるが、配分比率はさらに1-1-1寄りが適切と考えられる。 1-10-100は1-1-1000のマネーゲームと化しており、国家介入は、ゾンビ企業の救済にしかならない傾向が強まっている。 実際の所、企画・ロビー活動以外の現在の日本の実力のかなりの部分は中小企業にある。 それらの競争力の強化と大企業の再活性化には、1-1-1モデルが適している。

最後に、1-1-1モデルの性格について、いくつかコメントする。 まず、行っている研究1が全て開発に移行するわけではなく、また、全ての開発が生産に移行するということではないことは留意すべきである。 R1からD1、またD1からP1へはセレクションが入ってくる。1-10-100モデルよりは移行可能性がそれぞれ10倍になるというだけのことである。 また、市場淘汰で1-1-1の合計3が無駄になることも当然ある。ただ、傷が3ですむ。1-1からやり直して、新機軸の商品でP1をやり直すという再チャレンジもリスクが低い。 また、1-1-1だから、予算額がその通りであるわけではなく、ここでは、1-10-100モデルと比して、1個流し生産に関わる費用が研究費用、開発費用とあまり違わないということを、モデル化して述べている。 1-1-1なのか、1-2-3なのか、それとも、1-5-10なのかは、製造物や産業種、取り組み方法により自ずと変わってくる。 さらに言えば、要素技術の集合による1つの開発R11+R21+・・・+R101-D110-P110というシステム的な融合は、1-1-1モデルの潜在的優位性の一つであり、積極的に推進されるべきである。

平成21年8月20日起稿

原 史朗

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Last updated: Aug. 20, 2009. Shiro HARA's Web Site