瓦版

(News Letter of MEL Soccer Club)

[やったー点目のゴール]

2003 10/14 ルーマニアと引き分け号

7代目かわらや発行

学園リーグ2連敗

−現在4勝3敗2分−

2003 9/27 学園リーグ2部: 羽成FC戦

何があったのか詳しくは知らないが、イエロー3枚もらった挙句、終了直前に1点決められて0−1で負けたようだ。是永選手の弁によると、サッカー部に入って以来最悪の試合だったらしい。(文責: かわらや)

【結果とポジション】

0-0
機械研( )羽成FC
0-1

2003 10/4 学園リーグ2部: 内田油圧戦

最悪の試合の翌週の相手は内田油圧。1995年の初対戦以来、ともに2部と1部を行ったり来たりして幾度となく対戦した、いわばなじみの相手といえよう。これまでの対戦成績では機械研に分があったと思うが、実力では相手が上回っていたのではないかと思う。

試合開始時、内田油圧は8人しか揃っていなかった。数的優位にあるうちに点を取っておきたい機械研、序盤から攻めにかかるが連係が悪く、なかなかシュートまでつながらない。そうこうするうちに、逆に左サイドを突破されたあとドリブルシュートを軽く決められ、あっさり先取点を奪われた。ベンチから見ていても、「今のは何?」というようなあっけないゴールであった。相手が11人揃う前に、せめて同点にはしておきたい。久々に駆けつけてくれた公文選手を中心として相手ゴールを狙うが、やはり最後の詰めが甘く得点に至らない。佐藤(憲)選手のオーバーヘッドシュートも相手DFに当たってしまうという不運。ツキに見放されたかと思った頃、相手ペナルティエリア外側、ゴール正面の位置でFKを得る。キッカーはホセ選手。気の抜けたように見えたシュートは、相手DFとGKに肩透かしを食わせた形となり、コロコロとゴール右隅に転がって入った。

このあと内田油圧も11人揃い、試合は一進一退となるが前半終了直前にアクシデントがあった。パスを受けてドリブルに入った島田選手が相手に足をかけられ、背中から落とされる。当然ファールと思われたが、主審はこれを取らずにそのまま流し、相手の攻撃に移る。背中と腰を強く打って身動きできない島田選手。佐藤(憲)選手の「(プレーを)止めて!」の声にも関わらずプレーは続行され、主審が試合を止めたのはGK板倉選手が相手のシュートをセーブしたときだった(普通、そんなとこで止めないよなあ)。島田選手はそのまま退き、ドロップボールで試合再開。さすがに内田油圧は紳士的で、このボールは譲ってくれた。

後半開始早々、機械研はピンチを招く。ドリブルで入ってきた相手のボールをスヴェン選手がカット。その際、ボールを蹴りだした後のスヴェン選手の足に相手が引っかかって倒れたのを主審がファールと判定、相手にPKを与えた。納得のいかないジャッジだったが審判の判定は絶対である。GKは後半から代わったばかりの三宅選手。ここを止めれば文句なしのヒーローだったが、相手に落ち着いて決められてリードを許す。

そのあとは、何度か惜しいチャンスもあり、また危ない場面もあったのだが、両チームとも得点できず。いよいよ試合終了間際、とにかく点を取りに行くために全員が上がりかかった隙をつかれてDFラインを突破され、決定的な3点目を奪われた。そして試合終了。

この試合、攻めも守りも連係が悪く、それが主たる敗因だったのではないかと思う。グランドコンディションが悪くてボールが収まらなかったこともあるが、それは相手も条件は同じであり、理由にはならないだろう。ところで、試合とは全く関係ないのだが、公文選手と一緒にいた方はどなたでしょう?誰も何も言わないので、事情通諸氏には面識があるものとかわらやは思っていたのだが、結局誰も何も知らないようです。できれば、公文選手自身から紹介していただけるとありがたいのですが。紹介してもらってどうするんだと突っ込まれても困りますけど...。(文責: かわらや)

【結果とポジション】

1-1
機械研( )内田油圧
0-2

★得点者★
時間 得点者 アシスト
前半 ホセ FK

前半 | 後半

ホセ
 
佐藤(憲)
FW
ホセ
 
佐藤(憲)

公文
 
公文

ボバ
 
島田
MF
板倉
 
新津/スヴェン

廣瀬
 
廣瀬

新津
 
ミッシェル
 
スヴェン
 
三島
DF
沢田
 
ミッシェル
 
スヴェン/是永
 
三島

板倉
GK
三宅

【オーバーヘッドキック】
 先日かわらやは、ミュンヘンから電車で2時間ほどの距離にあるパッサウという街で行われた国際会議に出かけてきた。ミュンヘンといえば、かのオリバー・カーンが所属するバイエルン・ミュンヘンが有名だが、もう1つ1860ミュンヘンというチームがあるのをご存知だろうか。かわらやは、有名なバイエルン・ミュンヘンには敢えて背を向け、日本では売ってそうもない1860ミュンヘンのユニフォームを買って帰ることを決意し、パッサウ市街の店を見て回った。
 まず訪れたのは小さなクラブショップ。ここではバイエルンと1860両チームのグッズを扱っていたのだが、バイエルングッズの占める面積がずっと大きい。国際会議で一緒になったある人がここで1860グッズを買おうとしたら、「そのチームはとにかく弱いから、こっちにしときなよ。」とバイエルングッズを勧められたという。水戸ホーリーホックを買おうとしたら、鹿島アントラーズを勧められたようなものか。この店には、タオルやTシャツ、トレーナーなどはあったのだが、肝心のユニフォームが置いてなかった(バイエルンのは置いてあった)。
 その後、色々な店を覗いてみたのだが1860のユニフォームは見つからず、帰国直前、ミュンヘン空港の売店でようやく手に入れることができた。一応満足はしているのだが、ユニフォームはバイエルンの方がかっこいいんだよねえ。


電子瓦版インデックスへ戻る。

サッカー部ホームページへ戻る。