瓦版

(News Letter of MEL Soccer Club)

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前半戦終了 号

1998 August 12 Vol.188

機械研サッカー部5代目かわらや発行

1998 12

土俵際から怒濤の3連勝

7/11(土)学園リーグ第6戦 VS.F.C.Cobra 14:30〜 無機材研グランド 

 前期最終戦の対F.C.Cobra戦が7月11日に行われた。このチームは前年度3部3 位で昇格してきたチームであり、あまり強いとは感じなかったが、以前この試合の審 判を担当した林選手によると、侮れないという情報であった。また後半からの攻撃が 強いという情報が入っていた。後半に弱い我がチームからすると、前半にどれだけ得 点するかが勝負のようである。確かに、選手層は若めである。これは毎度試合をする たびに相手チームに感じる印象であり、単に我がチームの高齢化が進んでいるにすぎ ない。加えて、今回の試合も人数が12人とギリギリであり、助川選手、安達選手に は申し訳ないが、フル出場ということになってしまった。また今回の試合は、活躍し てもらった窪田選手が最後となる記念試合である。本人の希望であるディフェンシブ ハーフのポジションを担当してもらった。

 試合が始まると、相手の個人技は、まあまあであるがパスミスが多いことで、結構 勝てそうな感じである。こちらのシュートが決まるのを待つばかりという状態であろ うと思われた。しかし、一瞬のミスから、相手右ウイングにわたり、切り込まれてゴ ールされてしまった。だが逆転も時間の問題のように思われるほど、こちらの攻撃は 優勢であった。そのうち、田中選手が左サイドから切り込み、切り返しの瞬間、ゴー ル右隅に強烈なシュートを放ち、同点とした。さらに同様のパターンで、数分後に、 田中選手がドリブルから2点目をゲットした。もう1点取れば、完全にこちらのペー スになり、後半には、谷川選手フィールドへの復活を狙っていたのだが、オウンゴー ルの魔術師、是永選手のクリアボールは、キーパーの谷川選手をかわし、大きく弧を 描きゴール隅にゴールした。これにより同点となり、一気にこちらへの流れが引いて しまった。さすが試合を面白くさせる男である。前半は、一進一退のまま同点で折り 返すことになった。

 後半でも、流れは一進一退であった。というのも、中盤のスペースが狭く、広瀬、 窪田両選手がなかなか機能できない状況のため、攻撃の起点が作れないようであった 。やはり田中、板倉選手サイドからの攻撃が中心となっていた。すると板倉選手がお 得意のサイドからのドリブルで切り込み、センタリングを上げた。体勢が崩れていた のか、腰の切れが鈍ったのか、運良くゴールキーパーを越えて、そのままゴールとな った。ナイスシュートリングであった。これで相手に火がついたのか、こちらのおな じみ、後半の弱さなのか、一方的に攻められるようになってきた。個人技に関しては 相手が優れているため、ドリブルで来られるとバックスの甘さが目立つ。また敵重量 級フォワードが手強く、是永選手のがんばりに期待するしかなかった。相手コーナー キックからのキーパーの頭を越すヘディングにも、最近からだの軽い谷川選手には通 用せず、何とか凌いでいた。後半のこり15分で、試合終了近くの仕事人常本を投入 、これが見事にあたり、本人のイメージ通りのキラーパスを川上選手に繋げ、ついに 2点差に引き離した。残りはほとんど攻められていたが、安達選手の泥だらけの奮闘 などに助けられ、何とか凌いでいた。最終的に最後に失点を許すが、このまま試合終 了となり、今期最終戦を勝利で飾り、前期成績を五分とした。今回の試合では、助川 選手にフル出場という重荷をかけてしまったが、本人曰く、問題なくプレーできたと のことである。これで完全復活として考えて良いであろう。また網戸選手の最近の成 長が著しく、ようやく攻撃の歯車に引っかかりそうである。ちなみに、今回広瀬選手 は、やけにゴールへの執着が強かった。種明かしは、なんと彼女が草葉の陰から見て いたのだった。結局二人は、試合後の打ち上げには参加せず、つくばの夜の闇に消え ていったそうである。さて、窪田選手の強力助っ人も後期は期待できないが、故中島 選手のゾンビ復活、前田、佐藤選手の新戦力投入という、明るいニュースもあるので 、後期もがんばりましょう。

【結果とポジション】

つくばリーグ

2−2

得点者  前半: 田中  田中
  機械研 4( )3 F.C.cobra      後半: 板倉 川上(A:常本)

2―1

前半

   

後半

  板倉 網戸  

   板倉 網戸/常本 

田中 広瀬 川上

窪田

田中 広瀬 川上

窪田

助川 是永 安達

助川 是永 安達

村田

村田

谷川

谷川

控えと応援:三島夫人、広瀬さんのキャノジョ

オーバーヘッドキック

前回の瓦版でワールドカップ関連の投稿を募集した(といってももう1月もたってしまったが)ところ、部員からの投稿はなかったが、A藤かわらや時代の常連K田氏から投稿が届いた。また怪文書かとおそれを抱いたが、まじめなワールドカップ関連の記事でありほっとするとともに、このコーナーに掲載させてもらうこととした。なお、本記事は7月中旬の時点ですでにかわらやの手元に届いていたが、瓦版発行の遅れにより(ね!キャプテン)、旬の時機を逸してしまったことをこの場を借りてお詫びしたい。世界、特に南米におけるサッカーの占める位置が伺い知れる、すばらしいレポートとなっている。K田氏本人も希望されているように、今後これに続く記事の投稿をかわらやとしても待っているので、外遊の際には当地のサッカー事情の調査をよろしくお願いしたい。

世界サッカー紀行【第一回:ブエノスアイレス編】 黒田 雅治

 国際会議参加のため6月末から7月始めまでの約1週間、アルゼンチンはブエノスアイレスに滞在する機会を得た。これはそのときの見聞録である。  出発前にガイドブックなどから得た知識によれば、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と名高いとのことで、スペインの植民地時代からの歴史的建造物や古い街並などが保存されているのだろうと予想していたが、実際訪れてみると、雑居ビルやオフィスビルが侵食し、現代的な景観の狭間に歴史的モニュメントが観光スポットとして挟まる、ちょうど東京や大阪など日本の都市によく似た大都会であった。見たところ経済状態は良さそうである。季節はと言えば、冬なのにとても暖かい。夜は多少冷え込むものの日中など半袖シャツでも十分である。日本人の感覚からするととても冬とは言えない。しかし、こちらの人にとっては寒いのだろう、マフラーにコート姿の人が市街には目立つ。  会議期間中6月30日の午後、2時過ぎだったと思う。セッション会場の人気(ひとけ)が妙に少ないのに気づいた。休憩時間に会場の外に出てみると、TVの前に人だかりを発見した。W杯期間中であることは知っていたものの、個々の試合のスケジュールについては気に留めずにいたが、決勝トーナメント1回戦アルゼンチン対イングランド戦が行われていたのであった。1個所だけではない、国際会議の会場となっていたホテル中、TVの置かれているところやTVのある飲食店には全てその前に人だかりができていた。  前半早々、バティストゥータがPKを決めると観衆から歓声。また、現地のTVアナウンサーの「ゴーーール!」の雄叫びは、PKが決まった直後から始まってアルゼンチンチームの歓喜の模様を画面に映してさらにリプレイが終了してもまだ「ーーーーーーーーーーール!」と続いていたのに驚かされた。しかし、アルゼンチンが1点先行したのもつかの間、その直後シアラーがお返しとばかりにPKを決めると観衆はブーイング。拍手をしたのは2、3人のイングランドファン(?)のみ。周りの人間からは失笑が漏れる。前半も半ば、中盤でベッカムのパスを受けたオーウェンが抜け出し単独ドリブル、シュート!ゴール!!。絵に描いたようなビューティフル・ゴールだが静まり返る観衆。しかし、前半終了直前にゴール前のセットプレーからのサネッティの同点ゴールで盛り返す。そこで休憩時間が終わり、私はセッション会場に戻った。  その日最後のセッションが終わって会場外へ出てみると、TVでは後半戦も終盤だった。依然として2−2のイーブン。ますます膨れ上がるTV前の観衆。熱戦、接戦、これは白熱したいい試合だ。ついにゴールデンゴール方式の延長戦に突入。しかし120分でも決着つかず、PK戦に。会議の受付を手伝っていた若い女の子達もTV前の集まりに加わり、ちょうど神様に祈りをささげるポーズで手を顔の前で組み、「バモ(スペイン語で『行け!』とか『頑張れ!』の意味)バモ+選手の名前」と呟きながらアルゼンチン側のPKの成功を祈る。アルゼンチン2人目失敗、落胆して頭を抱える観衆。しかしイングランドも2人目失敗、拍手と大歓声が起きる。そしてイングランド5人目の選手のキックをアルゼンチンGKが止めてついに決着。アルゼンチンがPK戦の末辛くも勝利!すると観衆が「アル・ヘン・チーナ!アル・ヘン・チーナ!」の大合唱。そして、とりあえず、その場の人だかりは解散した。夕方4時過ぎであった。  その日のセッションを終え、私はホテルの部屋に戻った。しばらくして「何か違うぞ?」と気づいた。そう、窓の外が騒がしいのだ。渋滞でもないのに、車がクラクションを鳴らしている。試合が終わって2、3時間経過していた。外出して街の様子を観察することにした。ホテルを出て、ホテル前の通りから一番賑やかな通りを通って市の中心部まで歩く。  確かに道を行き交う車が皆クラクションを鳴らして走っている。クラクション以外にすぐに気がついたのは、路上に散乱する大量の紙類。歩道から車道から道という道には大量の紙屑が散乱し(コンピュータ用紙が多かったのはオフィスの窓から撒き散らしたから?)、見上げてみれば、確かに未だに宙を舞う沢山の紙片。コリエンテス通り(ブエノスアイレスの銀座に相当)を突き進んで7月9日通りの中心付近に屹立するオベリスコ(独立記念モニュメントの尖塔)に向けて歩いていくとますます人の数が増え、名古屋の100メーター道路も真っ青の幅の広さを誇る7月9日通りには何万人(何十万人?)の人々が、まさに溢れんばかりに集まって勝利を祝っていた(後でTVニュースで確認したところ、試合の最中から人々は集まっていたらしい)。しかし、あれだけ多くの人が密集してお祭りぎをしていたにもかかわらず、偶発的な暴力を含めて身の危険は全く感じられなかった。暴れる酔っ払いも不思議なくらい見当たらない。ただし、群衆の中に発煙灯を焚く一団が現れたのをきっかけに、待機していた放水車が水を撒いて群集を追い払い始めた。すると今度は、群衆の中から警官隊に向かって石を投げる人も見られたが、それは極々少数であった。夜の9時過ぎには人出のピークは過ぎ、一般の人は三々五々引き上げていった(おそらく"コアな人達"はその後も明け方まで騒いでいたのであろうが)。日本では「(イングランド戦後)ブエノスアイレスで暴動」等という報道も合ったようだが、私の知る限り、全体としては騒げども混乱なしという印象で、実に整然とした?騒ぎ振りであった(サッカーの大一番の後は"いつものこと"だから慣れているということか?)。  以上、かの国でサッカーがいかに国民感情に深く浸透しているかを垣間見ることのできた貴重な経験であった。ブエノスアイレス市民の名誉のために付け加えておくが、"南米"と聞くと、陽気だが激情に駆られやすい人々が多いとのステロタイプな印象を持ちがちだが、ブエノスアイレス市民は皆well-educatedで、立ち居振舞いにも一定の抑制が見受けられ、一様にシックな服の着こなしが印象的であった。  しかし、その次の週、決勝トーナメント2回戦で、オルテガ退場の直後、ロスタイムにベルカンプに1発食らってオランダに敗れた瞬間、ブエノスアイレスの人々の落胆は如何ばかりだったろうか? (了)

(お願い!)2回以降も誰か引き継いで書いてください


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