今清水 正彦(Masahiko Imashimizu)
研究概要
地球上の生物と関係する現象の多くは、水素結合ネットワーク構造の動的変化の上に成り立っています。水素結合ネットワークは溶質分子やイオンとの相互作用により特徴的な水和構造を生み出し、細胞内の分子機能や、その集合体である生体組織としての多様な機能に寄与しています。しかし、細胞を含む非平衡状態の生体分子–水系では、水和構造が時空間的に不均一であるため、その分子機能との関係解明には依然として大きな課題があります。そこで研究員の今清水は考えました。もし、水和水の特定の運動に対して選択的な摂動を与えることができれば、水のダイナミクスの観点から生体分子機能の理解と制御に新しい道が開かれるのでは?
この物理的摂動として、私は電磁波に着目しました。誤解を恐れずに言えば、特定の周波数と、生体分子ー水系の特定の運動モードを対応させることができるからです。私が注目する水素結合ネットワーク(分子間相互作用)を構成する運動モードから考えると、目的の周波数域はテラヘルツ領域になります。このため、テラヘルツ領域の電磁波、特に通信システムやセンシングの新技術として注目されているサブテラヘルツ波(sub-THz、0.1-0.3 THz)を用いて水和水を相対的に強く摂動する新しいアプローチを提案し、その研究基盤を産総研で一から構築してきました。
もう少し詳しく説明すると、生体分子ー水系の広帯域誘電応答として、生体分子を囲む外側の水和圏には、水素結合が切れて回転運動性が高まった水和水の運動がsub-THz周波数域に観測されます。 私は、この運動は、バルク水のネットワーク化された水の集団的な回転運動(誘電応答の低周波側、GHz領域で観測)や、分子間の振動運動(誘電応答の高周波側、THz領域で観測)と、sub-THz周波数領域で(ある程度)分離できる可能性に着目しました。私たちは、高強度(~20 mW/cm2)で照射した0.1 THz周波数の電磁波(0.4 meV)が、タンパク質の外側の水和水にある程度選択的に作用し得ることを見出し、水素結合ネットワークの再構築をsub-THz摂動により、非熱的に制御できる可能性を示してきました。例えば、 (Nature Commun., 14:2825, 2023)。
私たちの研究から、sub-THz波照射による生体分子水溶液への非熱的作用は、試料がもともと非平衡状態(水和構造の形成が遅く、測定のタイムスケールで平衡に達していない状態)にある場合に観測されることが示唆されました。水和と関係する遅い平衡緩和は、細胞の分子過程にこそ沢山あると予想しています。これら非平衡状態の水溶液における観測結果が、 sub-THz波と水和水の分子運動との相互作用でわかり始めた核心部分と感じており、その微視的詳細の解明に向け、現在研究を進めています。
具体的な研究テーマは次のとおりです:
- 上に書いたsub-THz波照射による非熱的作用の物理化学的解明を目指しています。
- Sub-THz照射による酵素機能変化と水和構造変化の時間的相関から、酵素反応における溶媒効果を時間スケールの観点から再評価しています。照射と生化学的評価を組み合わせた手法開発も行なっています。
- 生体分子の自己集合構造や秩序構造の形成過程における水和の寄与について、sub-THz照射と分光学的・電気的測定を組み合わせた手法を構築し、解析しています。
- 水のガラス化と結晶化が競合する系(細胞凍結など)を対象に、氷結晶の成長抑制・制御技術を開発しています。
- 水和水の制御により、機能を維持したまま室温で生体分子を長期保存する技術を開発しています。
テラヘルツバイオロジー研究会
テラヘルツバイオロジー研究会(テラバイオ研究会)は、水との相互作用に主眼を置いて生物分子機能を研究する学際的研究コミュニティです。テラヘルツ周波数域は水との相互作用に由来するダイナミクスが鋭敏に現れる領域であり、水素結合ネットワークの揺らぎや分子集団の振動モードをとらえるユニークな観測窓を提供します。さらに、この電磁波照射は生体分子・水系に非熱的応答を誘起し得る点で新しい物理的摂動となります。「観測」と「摂動」の両面から分子機能を理解し、制御へとつなげる新たな学問領域の創出に挑戦しています。
主な研究成果(一般向け)
- サブテラヘルツ波が水とタンパク質のミクロな混合を加速
プレスリリース 2023/05/22 - サブテラヘルツ波照射によるタンパク質への非熱的作用の観測
細胞分子工学部門 トピックス
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細胞分子工学研究部門 細胞機能デザイン研究グループ
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