研究テーマ

1、哺乳類の初期発生におけるエピジェネティクス制御の研究

哺乳類の性は、性染色体がXX(雌)かXY(雄)かにより決まります。従来の遺伝学で考えると、雌では2本のX染色体上の全遺伝子が働くことになり、その発現量は2倍になります。 しかし、実際は雌の片方のX染色体上の全遺伝子の発現スイッチはOFFになっており、雌雄間に生じるX染色体の本数の違いを打ち消す仕組みが存在することが分かりました。 このように同じ細胞内にある同じDNA配列でありながら、異なる発現状態(ONまたはOFF)を決める仕組みが「X染色体の不活性化」と呼ばれるエピジェネティクス制御です。 その仕組みの実態は DNAのメチル化等の化学修飾であることが示されていますが、X染色体上の全遺伝子の発現スイッチをOFFにする詳細な機構については Xist と呼ばれるタンパク質をコードしない long non-coding RNA (lncRNA) が重要な役割を果たすこと以外不明な点が多い状況です。我々のグループは、X染色体の不活性化機構の解明を目指し、 Xist以外に不活性化に働く因子を探すことに取り組んでいます。 これまでに不活性化が始まるマウス初期胚(胚盤胞)に注目し、雌でのみ発現する因子を探しました。この時期は一般的に性差が生じると考えられている 生殖巣の分化よりはるか前の時期であり、 もしこの時期に雌でのみ発現する遺伝子が見つかれば、不活性化に関わる有力な候補であると考え研究を開始しました。ただ、発生の非常に早い時期の雌胚と雄胚を比べるにあたり、解決すべき問題がありました。 胚盤胞は 見た目で性が判別できないのです。我々はこの問題を克服するために、X染色体にGFPレポーター遺伝子を挿入した遺伝子組換えマウス(XGFPマウス)を利用し、蛍光の有無で雌雄の判別ができるよう工夫を凝らしました (図1、阪大・岡部勝教授との共同研究))。



これまで誰も判別できなかった初期胚の雌雄のサンプルを比べたところ、性分化では差が無いと考えられていた着床前時期に、雌でのみ発現する複数の遺伝子やlncRNAを発見することに成功しました (ref. 7-9 )。 更に、これらの遺伝子は、Xist 同様に「ゲノム・インプリンティング」(注*)を受けていました。実はこの時期には父親由来のX染色体が選択的に不活性化され、精子から由来したX染色体の上の多くの遺伝子の発現が 抑制されます。しかし、驚いたことに我々が見つけた遺伝子は不活性化を受けた父親由来のX染色体から発現していました(図2)。 このような片親由来の染色体からのみ発現する遺伝子はインプリント遺伝子と呼ばれ、 我々の発見した遺伝子群は、Xist以外に見つかった父親由来のX染色体から発現する初めてのインプリント遺伝子です。更にこれらの遺伝子は、既に報告のあったX染色体上の不活性化制御領域に位置することから、 この結果を不活性化機構に働く新たな候補因子として報告しました (ref. 7)。このような独自の発見により、これまで未解明であった不活性化機構解明の新たな手がかりを得ることに成功しました。



遺伝子の機能を検証する重要な方法として、その遺伝子を人工的に破壊したノックアウト(KO)マウスを作製し解析する手法が挙げられます。我々の発見したインプリント遺伝子が雌のみで発現することにどのような意味 があるのでしょうか?その機能を明らかにするため、現在複数のインプリント遺伝子についてKOマウスを作製し解析を行っています(ref.1,6)。 作製したKOマウスのうち、タンパク質をコードしないlong non-coding RNAであるFtxのKOマウスは、メス個体のみで眼の発生に異常が現れることを明らかにしました(図3)。 さらに、この KOマウスでは「X染色体の不活性化」に異常があることを明らかにし、報告しました(PubMed Link)。 このマウスの解析はX染色体の不活性化制御メカニズムの理解に役立つばかりでなく、性差を示すヒト疾患の病因解明にも役立つと期待できます (産総研プレスリリース)。 FtxKOマウスの示す異常は雌のみで現れ、メンデルに遺伝則に従わない特殊な遺伝パターンを示します(図3)。このような特殊な遺伝パターンを示す遺伝性疾患はヒトでも知られているのですが、発症機構が不明な点が多く、 メカニズムの解明が求められています。今後は、マウスを用いた基礎研究で得られた知見を、ヒト疾患の理解に繋げたいと考えています。



(注*)ゲノム・インプリンティング:哺乳類の少数の遺伝子は、片方の親らから由来したときのみ発現するエピジェネティクス制御を受ける。