関東平野における初冬季の高濃度SPM/エアロゾル汚染のモデリング

兼保直樹(環境管理研究部門地球環境評価研究グループ)、山本 晋(環境管理研究部門副部門長)、
吉門 洋(化学物質リスク管理研究センター大気圏環境評価チーム長)  、近藤裕昭(環境管理研究部門大気環境評価研究グループ長)

背景

大都市域における浮遊粒子状物質(SPM)の汚染状況は依然改善の傾向が みられず、窒素酸化物(NOx)汚染とともに、地域大気環境問題の中で最大の未解決課題となっている。 これら大気汚染に対して効果的な発生源対策を立案する上で、発生源と受容点間の物質の流れを 定量的に表現する数値モデルを用いた解析が必要となる。しかしながら、SPMは多様な組成を持ち、 一次粒子の発生源の未把握、二次粒子の生成消滅過程、前駆ガス類の発生源・形成過程に関する 未解明点の存在など、扱いの難しい問題が数多く存在する。とくに、冬季の高濃度SPM汚染のシミ ュレーションにおいては、その多くの割合を占める二次粒子の再現が鍵となるが、予測型(拡散 型)モデルの開発を目指した研究では、計算によるSPM総量の再現値は実測値に対して過小評価と なる場合が多く、現在までのところ成功しているとは言い難い。この主たる原因は、汚染に対す る現象論的な理解が不十分なまま、SO2などのアセスメントで従来から用いられてきた長期平均モ デルの考え方を基にモデルを構築してきたためと考えられる。

そこで、当研究グループは1990年より関東平野において初冬季の高濃度大気汚染に対する集中観測を 実施し、汚染出現の気象的要因、汚染の動態やSPM組成の特徴, 二次粒子の挙動と生成メカニ ズム・前駆ガスの発生源などを明かにしてきた。右に、SPM組成の高時間分解の測定例として、 1994年12月23〜24日に埼玉県浦和で測定された結果(2時間平均値)を示す。これらの観測によ り、二次粒子のうち、比較的簡単な一次反応式で近似できる物質であるsulfateの割合は低い 一方、日内の気温変化に応じて敏感に気-固間を相変化する NH4Clの濃度が他の 地域での報告例にはみられないほど高い点、冬季にも関わらず光化学反応によるHNO3 生成の再現が重要である点、これを前駆ガスとして同じく気-固相変化をする NH4NO3,の割合が高いことなどが明かとなった。

以上の知見を総合し、当研究室では、初冬季の高濃度大気汚染を対象として、1990年より関東平 野において実施してきた集中観測の結果をもとに、短時間・広域高濃度汚染の状況を再現可能な オイラー型輸送・拡散・反応・沈着モデルの構築を進めている。以下に、その概要を紹介する。

モデルの概要

(1) 移流・拡散モデル

移流拡散モデルの入力データとして必要となる気象場は、多くの場合、 局地気象モデル(MM5など)の計算により得られたものを用いる。当モデルでは、中部山岳地帯を 含む600×600kmの領域を対象とした局地気象モデルの計算結果より、関東平野を中心とした200×200kmの領域内の気流場を切り出して入力データとした。格子間隔は水平5×5km、鉛直方向に は5200mまでを18層に分割している。 局地気象モデルは降水過程、簡易化された放射過程を含ん でいるが、ここでの解析対象日には降水は観測されていない。乾性沈着については、ガス状物質 に対しては空力学的抵抗、層流層内抵抗、表面抵抗の和の逆数として乾性沈着速度を物質毎に与 え、粒子状物質については乾性沈着速度を0.1cm s-1として一律に与えた。

(2) 発生源モデル

一次粒子としては、元素状炭素(EC)・有機炭素(OC)についての固定・移 動発生源からの排出係数がほとんど得られないことから、筆者らのグループでは1996年お よび1997年に実施した沿道観測により排出係数の設定を独自に行った。ガス状物について は、NHO3の前駆体としてのNOxと炭化水素(HC)類、SO42- を作るためのSO2の発生源に限れば、これまでの研究でまがりなりにもデータは 集められてきている。しかしNH4NO3, NH4Clの前駆ガス であるNH3とHClについては入力データとして実用に耐えるものは存在せず、筆者 らのグループでも独自にインベントリーを行い発生源データを作成した。右に、ECの発生源 データの例を示す。これより、関東南・西部での発生量が多い傾向がみられる。

(3) 化学反応モデル

気相光化学反応モデルとしてはCBM-IVを採用した。 NH4NO3 およびNH4Clを生成する無機平衡反応モデルについては、冬季の低湿度・低温条 件下ではその高濃度が形成される時間帯は気-固平衡であることから、熱力学的に得られる平 衡定数を用いた比較的単純な平衡モデル(Pio et al.,1987; Harriosn et al.,1990)を採用し た。粒子状有機物の二次生成モデルに関しては、現在のところ組み込まれていない。将来的 にはPandis et al.(1992)のモデルなどの適用を検討中であるが、HC類の発生源データの貧弱 な我国の状況を考えると、そのまま適応することは困難であると考えられる。

(4) 境界値の設定と検証データの取得

冬季の集中観測では可能な限り多くの観測地点を設けるべく努力したが、 地上観測は5〜6地点(うち上層気象は2地点)での実施が限度であった。また、高時間分解(例え ば昼間は2時間平均)でのサンプリングの多地点での実施は人的・予算的な制約から長期間続け ることはできず、高濃度汚染の出現をシノプティックな気象状況から予測し、前日に観測開始 の決定をして2〜3日の短期集中観測を実施した。しかし、予想が外れて高濃度出現を捉え損な う場合が多く、現在までに得られた観測結果のうちモデルの検証としての使用に耐えるデータ セットは、1991年の2日連続の episodeが二回、1994年の3日連続のepisodeが一回のみである。 以下では、1994年12月23〜25日に出現した高濃度エピソードについてシミュレーション結果の例 を示す。

計算値と実測値の比較

(a) 元素状炭素粒子(EC)および有機炭素成分(OC)

本モデルで完全な一次粒子として扱っているのはECのみである。ECの定義・ 分析法にはまだ問題が多いが、ここでは不活性ガス中600℃、5分間の加熱で有機物との分離を行 ったものとしている。浦和・府中・神田の三地点では絶対値・経時変化ともに非常に良好に再現 できているが、熊谷・つくばでは系統的な過小評価を示している。OCは、現在のところ大気中で の二次生成分をモデル内に組み込んでおらず、一次発生源のみを与えてあるため、全地点にお いて実測値に対して大幅な過小評価となっている。右図には24日18-19時のEC二次元分布計算結 果を示す。東京都臨海部を中心として西〜北西に広がる同心円上の高濃度域がみられる。

⇒EC濃度分布の経時変化アニメーション図

(b) 塩化物イオン(Cl- : NH4Cl形態)

浦和・府中・神田については、最高濃度や経時変化については実測に類似 した結果が得られているが、夕刻の濃度上昇の立ち上がり開始時刻が実測よりも遅れる傾向が みられ、モデル内での気温の再現状況を検討する必要がある。また、日中にNH3の 不足によりNH4Clを形成できない時間帯が存在し、NH3発生源モデルに 改善が必要である。下図(左)には24日18-19時のCl-二次元分布の計算結果を示す。夕刻の 気温低下に伴うNH4Clの急激な形成が示されているが、ヒートアイランド効果によ る都心部の相対的高温のため、都心部では粒子化される割合が郊外部より少なく、ドーナツ状 の水平分布をしていることが示されている。

(c) 硝酸イオン(NO3- : NH4NO3形態)

神田では実測値を良好に再現しているが、浦和では夜間から午前中にかけ て過小、一方府中では夕刻に過大評価をしている。これは、HNO3生成量自体が浦 和で不足、府中で過剰となっているからである。府中付近での光化学反応の進行状況を詳しく 解析し、原因を明らかにする必要がある。上図(右)に24日18-19時のNO3-二 次元分布の計算結果を示す。ECと異なり、東京都の西部に最高濃度が生じていることがわかる。

(d) 硫酸イオン(SO42- : (NH4)2SO4形態)

SO2とOHの反応速度が遅いため、SO42-の計算値にみられる経時変化は 極めて緩やかであり、また右に示す24日18-19時のSO42-二次元分布 の計算にもみられるように、空間分布も非常に均一である。すなわち、SO42- の挙動は、より広域的な反応場とそれらより決まるバックグラウンド濃度値に大きく依存しているといえる。 しかし、熊谷の実測値にみられる23日夕刻の濃度上昇がCl-, EC, OCと同期しいていることから、二次生成分のみならず一次排出起源のSO42- をモデルに組み込む必要がある。

今後のモデル開発に対する課題

熊谷・つくばでのシミュレーション結果が全般的に過小評価となっているのは、 領域の外縁部に近いため現在の固定的な境界条件の影響を強く受けているとみられる。このため、 計算対象領域を拡大すると共に、時間変化および鉛直プロファイルを適切に与えた境界条件を設定 する必要がある。また、HCl, NH3などの発生源モデルの改善と共に、粒子状有機物の 二次生成過程をモデル内に組み込むことが最大の課題である。また、凝縮性ダストの問題について も、モデルの入力データの観点からも見直す必要がある。移動発生源については、特に炭素系粒子 の排出係数について、発生源サイドでの研究の推進が強く望まれる。

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