人間共存型早稲田ロボットは売れるか
早稲田大学 理工学部
菅野 重樹
RSJ2000 ロボティクス史・ロボティクス論
人間共存型早稲田ロボットは売れるか?
菅野重樹
早稲田大学の菅野でございます.前後にロボット学会の会長・副会長クラスの方がずらーっとおられる中でなんで私がやるのかという,非常に緊張する状態にあるわけですが,若い者は何を言っても許されるということで,好きなことを言わせて頂こうと思います.だいたい各先生方のお話を聴いていると,なんで実用にならないのかとか,実際にロボットを産業界に役立たせるにはいったいどういう風に考えればいいのかとか,その辺が視点となっているようですが,私はあえて,ロボットは夢で良いじゃないかということを言いたいと思います.なかなか体系立ってお話しするのは難しいので,荒井さんが予稿集に書かれましたいくつかの問題提起というか質問がありましたので,それに対して私が答えるような形でお話を進めさせていただきたいと思います.
研究者(私)が,何を信じ何を求めて
研究を行ってきたか?
夢のロボット → WABOT,Hadaly,Wendy
まず最初に荒井さんが大きな二つの問いかけをしています.一つは研究者が何を信じて何を求めて研究を行ってきたか,というものです.これは今申し上げたように夢のロボットを作りたい,という純粋な夢です.それを「実用的な人に役立つロボットを作ろう」と言うのは,たとえば人に何か説明するときに使う表面的な言い方であり,本音で言えばやっぱり面白いな,遊びだと言われてもかまわない,それは夢だ,ということだと思います.それは一般的には妥当な考え方だと私は信じています.それはまた後でご説明します.
思想と哲学 1
ロボティクスと研究者(私)を支える
思想・哲学は何か?
→ 人間機械論(ラ・メトリなど)
もう一つ,ロボティクスと研究者を支える思想・哲学は何かという問いかけを荒井さんはされています.これはロボットがなぜこれだけ面白いのか,マスコミにも取り上げられるのか,その根本にあると思いますけれども,私は人間機械論にあると思います.私自身もそこに原点があります.
これはご存じのようにデカルトが二元論を唱えて人間と機械とは違う,と言った後で,ラ・メトリは人間機械論と言ったわけです.人間機械論は,梅谷先生のお話にも出てきましたからくりといったような精巧な時計技術の発展によって,やはり人間も機械で説明できるのではないかという哲学ですが,その人間機械論,やはりロボットというものが非常に人間に近いものである,そして人間も機械ではないか,その考えが研究者の思想の根底にあると私は思っております.
思想と哲学 2
・メカニズムが好きだから
・作ることが好きだから
・人間に興味があるから
・SF(未来)が好きだから
それで実際に私がロボットをどうして作るかというと,それはもう単純にメカニズムが好きだから,機械いじりが好きだから,何か作ってると面白いから,人間にも興味があって,自分の体というものに対して非常に興味がある,そして,SFが好きだから,未来にあこがれるからです.それは夢の世界ではないか,何を言ってるんだ,と叱られるかもしれませんが,これはもう純粋で,否定できないわけです.ほとんどの方がそうだと私は思ってます.やはり面白いからやっているんだと.それが産業界に結びつかないからいけないんだと言われるかも知れませんが,別にそれでもかまわないのではないかと私はあえてここでは言いたいわけです.
ロボットへのアプローチ 1
○ ハードウェア
× シミュレーション
ただ,私がそれをやる上で人間機械論から前提とすることは,ロボットのアプローチはハードウェア,シミュレーション,色々な方法がありますが,当然,実際に物を作るんだということに意味があるのであり,シミュレーションだけのアプローチは否定いたします.ハードウェアができなければロボットとはとても言えない.乱暴ですみません.
ロボットへのアプローチ 2
○ 機械・電気的アプローチ → ハンドメイド
× 生物・化学的アプローチ → 試験管
それから,本当はロボットを作るには生物化学的なアプローチもこれから入ってくるのかも知れません.実際,究極のロボットというのが人間であるとして,人間機械論とは言いますが,一方でクローン人間とかいう議論もできるわけです.その辺になりますと倫理的な問題としても取り上げられることになります.現時点では我々の学界の世界では機械的・電気的なアプローチが主流であり,一部にはバイオが入ってきてはいますが,いわゆるクローンとかそういうものとは全く異質なものだと言えるでしょう.そういう意味で,生物化学的な立場というものを否定するわけではありませんが,現状の機械的・電気的なアプローチというのは安心と言えるでしょう.これはまあちょっと横に置いておきたいと思います.
WABOT-1
・1973年
・秘書ロボットが欲しい!
・人間形ロボット
・4研究室の共同研究
‐手・腕,視覚,会話,中枢
私が作ってきました個別のロボットの話はここでは詳しくは述べませんが,これまでの早稲田のロボットはやはり夢というものがかなり根底にあると言えるでしょう.このWABOT1号は私の恩師の加藤先生が声をかけて作ったロボットですが,やはりその大元は,ああ秘書ロボットがほしいねえ,という会話から始まったと聞いております.それは人間型のロボットで役に立つロボットを作ろうよ,という会話ではなかったわけです.
WABOT-2
・WABOT-1から約10年
‐16bitマイコンの出現
・点字楽譜の自動生成
‐楽器演奏:ピアノ
・力作業 → 情報作業
・人間に合わせる
‐歌声認識+伴奏
・つくば万博 1985年
‐期限付き!
WABOT2号,これはWABTOT1号から10年たって,ちょうど16ビットマイコンが出てきた1981年にスタートしたものです.これもかなりいろんなディスカッションがあって,実際に役に立つという意味では点字楽譜を普通の楽譜から生成するという研究をやっている研究室がございまして,その研究を現実に応用できるようなロボットを作ろうということで,結果的にはピアノを弾くプロジェクトになったわけですが,これもかなり夢というか,夢そのものですね.1985年の筑波万博に出たわけですが,期限がついたからこのロボットはできたんですね,たぶん.筑波万博がなければこのロボットは恐らく10年たってもできてなかったという気がいたします.ただ学生も先生たちもみんな夢を追いかけて作ったというロボットです.学生達はこのとき次のように言ってました.非常に生き甲斐を感じるというか,自分の打ち込めるものであったと.
Hadaly-2
・絶世の美女アダリー
‐未来のイヴ(リラダン)
・WABOT-2から約10年
‐要素技術の進歩
・人間共存
‐ヒューマンインタフェース
‐マルチモーダル
‐安全
‐コミュニケーション
その次に開発したロボットは,Hadaly(アダリー)2号です.アダリーとはリラダンの「未来のイブ」に出てくる絶世の美女ロボットですが,やっぱりそういう絶世の美女アダリーみたいなのを作りたいという夢です.
Wendy
・Hadaly-2 改造
‐小型化による親和性
・人間共存
‐安全
‐触れ合い制御
‐コミュニケーション
そしてウェンディ,これは私の開発した最新のロボットです.
ロボティクスとは何か?
→ 究極の人間学・夢
ここでまた最初の質問に戻りまして,ロボティクスとは何か,という問いかけがありました.それはやはり究極の人間学であると思います.ロボットを考えるということは人間を考えることである.これは今までのいろんな講演でいろいろな先生が指摘されていることではありますが,あらためてロボットというもので考えるのは人間なんだと.そしてやはり夢でいいじゃないか,ということを言いたいわけです.
ロボティクスとは何か?
→ 新しい学問領域:
システムインテグレーションの一分野
これだけですと,どうも今までの講演を聴いてますと許されないという気がしますので,もう一つ,少し学問的な裏付けで言いたいことがありまして,それはロボット学というのを一つの大きな学問というのではなく,その上にまた別の学問があってその一部である,という見方をしてはどうかという提案です.ちょうどこのロボット学会が立命館大学のキャンパスで昨日から開かれましたが,その前日に計測自動制御学会のシステムインテグレーション部門の立ち上げのキックオフシンポジウムが同じこのキャンパスで開かれました.計測自動制御学会というのはかなり古くからある学会ですが,計測と制御とシステムとこの3つの部門というのが中心的な役割を果たしてきました.その中でロボットを扱っている部門もあったわけですが,それは制御の中に入っていました.制御を土台にロボットを考えるという立場でした.しかし,もっと新しいことを考えなけりゃいけない,せっかく計測,制御,システムという3つの柱があるのならば,その先に来るのは何か,それはシステムインテグレーションである.まだシステムインテグレーションというのは学問の確固たる領域として確立してはいませんが,明らかにそこには確実に発展性・有用性があるのではないか,ということで,計測自動制御学会の中ではそれが認められて,計測と制御とシステムそして先端融合に次いで,新しい部門としてシステムインテグレーション部門というのが新設されたわけです.ロボットとか福祉とかレスキューとかいろんな分野がそこの中に全部入ります.システムインテグレーションというそのものに学問的な意味があるのではないかと思います.まだそれはもちろん体系化されていません,整備もされていません.まだ何もできていませんが,まさにこれからそこが学問になるだろうということでみんなが考え始めたわけです.そうしますと,ロボットというのもその一分野,適用分野,イグザンプルとして位置づけることができると思います.ただ私は,このような学問としての位置付けよりも,最初に示したように,ロボットは夢であっていいと思うわけです.
魅 力
ロボティクスの魅力とは何か?
→ 人間学であること
夢を描けること
ロボティクスの魅力とは何か,というふうに聞かれますと,それはやはり先ほど言いましたように,人間学である,そして夢を描けるということですということです.やはり魅力というのはそこにつきると私は思っています.
意 義
実際にロボットを作り
実験することの意義は何か?
→ 人間は道具を作る動物
ホモ・ファーベル(工作人)
実際にロボットを作り実験をすることの意義は何か,これも当然夢と関連してるわけですが,指摘したいのは人間がホモ・ファーベルであるということです.これはフランクリンという人が人間は道具を作る動物であると言い,そのあとベルクソンがちょうど産業革命の頃にホモ・ファーベルと呼んだわけです.これはもう本能的なレベルで人間というのは道具を作る,そういう生き物なんだと.その道具の延長線上に機械がありますし,当然それは人間の力というものを外側に発展させたものですから,その究極の姿の一つとしてロボットを描くことができます.ということはロボットというのは他のいろんな道具や機械と違って,基本的にホモ・ファーベルという方向から考えれば,人間にとっては本能的にそこに興味を持ち夢として描く,作りたいと思う,そういうものであるとふうに考えるのです.
工学or科学
ロボティクスは工学か科学か?
→ どちらも含む
+社会学,哲学・・・
そこで学問的にはロボティクスは工学なのか科学かという話が出てくるわけですが,それに対する私の考えは,当然それはどちらも含むであろうと,それは当たり前のことなんですが,ただむしろロボット学会がロボット工学会ではないという理由は,やはり範囲が非常に広い,異分野の融合であるという立場が含まれたと私は聞いております.その中でもやはり社会学とか哲学とかそういった領域すべてを含む.すなわち夢であり,人間,ホモ・ファーベルという立場から言うならば,人間そのものを全部含むわけですから,そこには社会的なものも含まれなければいけない,と考えるわけです.ですから工学か科学かという問いかけは,私はあえておかしいと思う.もっと他の学問も入らなければ本当のロボティクスにはならないだろうと.
工学or科学
ロボティクスは工学か科学か?
→ 例えば,社会学
ロボット→情報端末→
メディア→メディアリテラシー
たとえば具体的な例として,社会学との結びつきを考えてみましょう.最近,ロボットというのは情報端末の一つであるという言い方をされる時があります.そうしますとそれは一つのメディアです.メディアですと社会学ではもう非常に大きな領域になっていまして,例えばメディア・リテラシーという言葉があります.そのメディアを解釈するにはどうすればいいのか,メディアというものはメッセージだ,メディアはどういう風に考えればいいのか,どう捉えればいいのか,これは社会学の非常に大きなテーマになっています.そのことを捉えずして情報端末のロボットを議論することは,私はできないと思うのです.
固有の方法論
ロボティクスに普遍で固有の
問題設定や方法論はあるか?
未だ無い → 整備体系化必要
夢 → 無用?
次に,ロボティクスに普遍で固有の問題設定や方法論はあるか,という問いかけですが,これも当然今までの話の流れから言いますと,未だ無いという答えになります.これは整備体系化の必要性と関連することですが,学問としてもし成立させるならば整備体系化をしなければなりませんが,夢であればあえて義務的に「しなければばならない」と考えなくてもよいのかも知れません.別にわざわざ整備体系化しなくたって,夢なんだから,みんなが追いかけてればいい.からくりというのは時計技術から人間機械論的に作った一つのイグザンプルだと思いますが,それは遊びとして広まりました.みんなの夢がそこに込められていた.とすれば,その技術を整備体系化したい人はするかもしれないけれど,あえてしなくたってかまわないんじゃないかと言いたいわけです.
また例えば,ロボティクスをシステムインテグレーションの一つの応用分野という言い方を前にしましたから,例えばシステムインテグレーションという学問の観点からそこの分野が整備体系化されれば,結果的にロボティクスというのもその切り口で整備体系化され問題設定や方法論が出てくるかも知れません.どんな学問分野でも,やはり新しい技術が開発される前提には,その分野が整備され体系化され,簡単に言ってしまえば普遍的な教科書が書けるということですが,その上で新しい技術の開発が行われるわけです.そういう意味ではロボットはいろんな教科書やハンドブックも出ておりますけれども,整備体系化が完全にされているかというと,必ずしもそうではない.それはやはり究極が人間ですから,いつまでたっても人間が明らかにならない以上,常に追いかけている,という状態であれば,それは整備体系化というそういう観点から議論する対象ではないのではないかという気がするわけです.
貢 献
知識の蓄積という以外の
ロボティクスの貢献は何か?
・テーマにより異なる
・システムインテグレーションの事例 → 教育
知識の蓄積という以外のロボティクスの貢献は何か,という問いかけもあったわけですが,これはもちろん細かく言えば,いろんな福祉応用ですとか災害への応用であるとか,そういうことは言われていますから,明らかにテーマにより異なってきます.でも例えば,システムインテグレーションの事例として捉えますと,非常に教育の分野では貢献していると思います.というのは,たぶん今までの質疑応答の中にもありましたけれど,ロボットの研究をしたくて,ロボットの研究室に入った.そして就職するときに学生諸君は就職してもロボットをやりたいなあと思う.ところが産業界ではほとんどロボットをやっていない.でもまあメカトロ系の事業はいろんなことをやってる会社がありますから,そういうところに就職する.そのときにロボットを研究していた諸君はどのように評価されるか.私の少なくとも知っている範囲,私の研究室の卒業生に関して言えば,いろんな意見を聞きますと,非常にすぐ現場にとけ込めて,すぐにいろんな作業ができる.いろんな仕事ができる.そして新しいアイデアも出せる,という評価を私は聞いています.それはやはりロボットというのが夢の元で,非常に面白いと思ってみんなが取り組むわけですが,具体的にやっていることというのはメカトロニクスとシステムインテグレーションです.そのシステムインテグレーションを経験するということが,企業に入っていろんな仕事をやるときにものすごく役立っているのです.
ある自動車メーカーに就職した私の研究室の卒業生がいますが,その会社の上司から「君はカモがネギをしょってタレを付けてやってきたみたいだ」と言われたと聞きました.学生時代の経験が評価され,その人は最初からその能力を認められて,いわゆる新人研修的なことをほとんどパスしてすぐ実践的な仕事についたそうです.そういう事例も聞いております.したがって大学の研究室でロボットの研究をやったということが,その先ロボットの研究を自分が会社でやるということとは別に,いろんな仕事にきわめてフレキシブルにシステムインテグレーションとしての応用が効いている,という意味ではロボティクスは非常に貢献している.ロボティクスの教育効果は大きいと私は思っております.
過剰な期待
世間一般からの
技術レベルの実情を超えた
過剰な期待にどう対処するか?
→ 夢であり人間学なのだから
過剰な期待は当たり前
→冷静に説明する
それから,世間一般からの技術レベルの実情を超えた過剰な期待にどう対処するか,という問いかけもありました.これは,夢であり人間学なのだから,過剰な期待をロボティクスに持つのは当たり前のこと.当たり前ですから冷静に説明すればよい.これはなぜかと言いますと,AIなんかでも同じようなことがあるんですが,あるレベルまでロボットが達しますと,すごいですねそんなことができるんですかと.そうなると一般の人たちのレベルはさらにその次のレベルに進んでしまいます.なぜならば究極の人間学で夢なのですから,いつまでたってもゴールは本当に人間そっくりというか人間そのものであるようなものになります.それができない限りは続いて行くわけです.ここまでできたんですよ,すごいでしょう,と我々が一生懸命努力して示したとしても,またその先に夢は行ってしまいますから,常に過剰なる期待というものが生じていると思うんです.ですから,過剰な期待は当たり前なのです.冷静に説明するしかないのです.
過剰な期待
世間一般からの
技術レベルの実情を超えた
過剰な期待にどう対処するか?
→ 夢であり人間学なのだから
過剰な期待は当たり前
→もっと勉強しなさい!
一般世間の過剰な期待については,もう一つの対処法がありまして,「もっと勉強しなさい.もっと物理や数学の勉強をしなさい」と諭すのです.勉強すれば現状の技術レベルがどういうものか理解できるかも知れません.まあ,現実的にはこのくらいしか方法はないのです.ですから,むしろその世間の過剰な期待をあおるというのも,私は否定すべきことではなくて,夢を追いかけて人間学を研究するわけですから,かまわないのではないか,と言いたいぐらいです.
結論(評価結果)
ロボティクスは
うまくいっているか?
→ うまくいっている
荒井さんの質問で,最後の方にロボティクスはうまく行っているのか,という問いかけがあります.こういうことが開かれるわけですから,うまく行っていないのじゃないか,と思っている人がいるのかも知れませんが,私の観点から行くと,うまく行っている,という結論になります.
結 論
早稲田人間共存型ロボットは
売れるか?
→ 現在:ロボットは売れないが,
夢を提供できる
→ 将来:ロボットも売れて,さらに
次の夢を提供できる
ちなみに,今回の私の講演は「人間共存型早稲田ロボットは売れるか」というタイトルにしたのですが,あれは広瀬先生が仮の題の時に「売れるロボットを作ろう」というタイトルを確か書かれて,私はそれに答えるような形でタイトルを決めたつもりだったのですが,本番で広瀬先生が全然違うタイトルで書かれたものですから,困ってしまって,でもそういうタイトルにしてしまったので一応その答えも出さなければいけないと思いますので最後に結論として申し上げておきます.当たり前ですけど,今すぐ売れるわけではありません,しかし,夢は提供できます.そしてたぶん将来は,ロボットも売れて同時に夢も提供できる,という非常に楽観的な立場で私は考えております.
以上です.ありがとうございました.
注:本講演については予稿とかなり異なる内容であったため講演録を掲載しました.(荒井)