第18回日本ロボット学会学術講演会予稿集,pp.893-894,2000.

ロボティクス史・ロボティクス論
−人間の営みとしてのロボティクス−

荒井 裕彦 (機械技術研究所)

History, Philosophy and Sociology of Robotics

Hirohiko ARAI, Mechanical Engineering Laboratory, AIST, MITI


1.はじめに − ロボティクスの現状

 ロボティクスにおける産業界と学界の乖離は久しく危機的な状況が続いていると言えよう.バブル経済の崩壊後,大手企業は不採算のロボット事業から次々に撤退し,ロボティクスが生み出した技術から新産業が創出されたという話も聞かない.その傍らでアカデミックなロボット研究は百花繚乱の状態で,学術講演会でも多数の研究発表が盛んに行われている.また,ヒューマノイドやペットロボットがマスコミの注目を集め,種々のロボットコンテストが流行する,といった現象が見られる.このような中,細分化した研究分野に没入する研究者にとってロボティクスの全体像はますます見えにくくなっている.

 一方,ロボット研究を取り巻く社会的な状況として,国立研究機関は行政改革による再編と独立行政法人化を目前に控え,それは近いうちに国公立大にも拡大される.また少子化の影響はあらゆる大学に及びつつある.このような研究環境への外部的なプレッシャーが迫る中で,ロボティクスというもの,研究というものの本質について俯瞰的に再考することはどんな研究者にとっても必要ではないだろうか.

2.本セッションの目的

 つまり,人間の営みとして見たときロボティクスとは一体何か,という問いかけが必要ではないかと考える.ここでは,いつ誰がどのような技術を開発したかという個々の研究内容の歴史(ロボット史)や現在および将来どのようなロボットを作るべきか(ロボット論)よりはむしろ,研究者がそれぞれの時代に何を信じ何を求めて研究を行ってきたかを振り返りつつ(ロボティクス史),現在のロボティクスと研究者を支える思想や哲学を論ずる(ロボティクス論)ことを狙っている.ロボット史・ロボット論が研究対象(何を研究したか/するか)にスポットを当てるのに対し,ロボティクス史・ロボティクス論では研究者の立場(なぜ,いかに研究したか/するか)に重点を置きたいと考えている(むろんこれらは密接に関連しているので,あくまで視点の問題だが).いわば,科学史・科学論(科学哲学,科学社会学)のロボティクスにおけるサブセットである.

 ロボティクスの方向自体を左右するにもかかわらず,これまで研究以前あるいは研究外の問題として棚上げされ,表立って論じられることの少なかったさまざまな問題がある.上に述べたようなスタンスで,これらをメタ研究(研究についての研究)のレベルから考え,その歴史的背景を探るのが本セッションの目的である.

 こうした問題には,各分野の個々の研究に専念することでは答えることができない.また,アカデミックな研究の枠組みはそうしたことを研究者に要求しない.そのため各ロボット研究者は自分の内面の問題としてこれらと直面することを余儀なくされていた,あるいは逆に全くこうした問題を顧慮することなく研究に没入することを許されていたわけである.このような姿勢がロボティクスの現在の姿を生み出す一つの原因となっていると感じる.これらを学術講演会で扱うことで公共化し,分野を越えてともに考えることができないか,ということが本企画の意図するところである.

3.「ロボティクス史・ロボティクス論」というスタンスについて

 研究開発の対象であるロボット技術の内容について論ずる「ロボット史・ロボット論」に対置して,ロボティクスという学問自体のあり方を論ずる「ロボティクス史・ロボティクス論」という立場を示し,ここでは後者に重点を置きたいと述べた.前者はロボットという研究対象を扱うのに対し,後者はそれを研究する上での枠組みを扱うものである.また前者が非人称的であるのに対し,後者は研究者の側の人間的な要素にも立ち入ったものである.端的には「こういうロボットを作りたい」というのが「ロボット論」であり,「ロボティクス論」では「『こういうロボットを作りたい』と考える研究者はいかに形成されたか」までを考える.

 言い方を変えれば,「ロボティクス史・ロボティクス論」とは,研究者,大学・研究機関・企業,学会などが織りなすロボティクスという「装置」あるいは「制度」の現状とその成り立ちを再点検しよう,という立場である.すなわち,本企画で狙いたいのは,

を歴史的なパースペクティブのもとで行うことである.現在のロボティクスの諸問題はほぼそれらから発していると考えるからである.

 ロボティクスに関わる問題を考える際に「ロボット論」ではなく「ロボティクス論」というスタンスを取りたいもう一つの理由は,前者の場合,個別のテクニカルな話に陥りやすく,ともすると自らの専門分野や研究プロポーザルの正当化に終わりがちで,そのために対立やすれ違いを招きやすいことへの配慮からである.自分が日々没頭している個別の研究分野から一歩引いて,それも客観視するような視点から議論ができないか,というオーガナイザーとしての願望である.

 こうすることで分野の壁を越えて研究者同士が共通の土台に立った議論が可能となるのではないかと期待する.もちろん「ロボット論」と「ロボティクス論」を完全に切り離して議論することは不可能で,それはかえって抽象的で意味のない議論になってしまうとも思うが,各講演者の豊富なロボット研究の経験に基づくバランスのとれた議論を期待したい.

4.学術講演会で本企画を実行する意義

 学術講演会は本来,新たに得られた個々の研究成果を発表するためのものであり,本企画のような研究外の問題は扱うべきでない,という批判もあろうかと思う.ロボティクスの歴史や将来ビジョンについては,学会誌の特集 [1], [2] などで主に個別の研究分野に根ざした個人史や研究者の夢という形で扱われている.また講演会でも限定されたメンバーによる討論会 [3] などは何度か開かれたことがある.

 しかし,そのような形では,議論が継続されて研究者間で共有されることは難しく,またそれぞれの意見はあくまで個人的見解にとどまり,反論や疑問に出会って鍛えられるということが少ない.そのため,学術講演会のような開かれた公共の場でもロボティクスが抱えるさまざまな問題を議論するための機会を設ける必要があると思う.つまり,誰もが自分の意見を公表可能で,それが参照可能な形で公式に記録され,また一度きりのイベントではなく,恒常的な議論の積み重ねによるコンセンサス形成が可能なプロセスとして定着させたいと考えている.それが,あえて学術講演会の1セッションとして本企画を位置づけた理由である.

 今回は,結果的にベテラン研究者による招待講演のみとなったが,今後はここでの議論を踏まえ,より多くの研究者による「ロボティクス論」のさらなる深化を期待したい.特にこれからのロボティクスをになう若手の研究者の積極的な発言を待望する次第である.


参考文献
[1] 日本ロボット学会誌 創立10周年記念特集号, 随筆"ロボットと私,未来への展望", pp.2-65, 討論会"ロボットとロボット工学の未来", pp.66-75, Vol. 10, No. 1, 1992.
[2] 日本ロボット学会誌 特集"私のロボット研究・夢" 随想, pp.1-66, 討論会"次世代ロボットのキーテクノロジーは何か", pp.67-76, Vol. 12, No. 1, 1994.
[3] 「第2回ロボットシンポジウム」ディベート "ロボット工学の目指すべき方向は?", 日本ロボット学会誌, Vol. 11, No. 5, pp. 663-671, 1993.