現在,ロボティクスという学問ははたしてうまくいっていると言えるのだろうか?たしかに,学術的なロボット研究は一見盛んに見える.多すぎるほどの講演会やシンポジウムが開催され,無数の研究発表が行われている.しかし一方で,バブル崩壊以後,大手企業はロボット事業から次々に撤退し,ロボティクスが新産業を創出したという話も聞かない.また,ヒューマノイドやペットロボット,ロボットコンテストがマスコミの注目を集めているが,学問とは異質な世界の出来事という印象を拭えない.このような中,細分化した研究分野に没入する研究者にとってロボティクスの全体像はますます捉えにくくなっている.
さらに,学術研究を取り巻く社会的な状況として,国立研究機関や国公立大は独立行政法人化に直面し,少子化の影響はあらゆる大学に及びつつある.こうした研究環境への外部的なプレッシャーが迫る中で,ロボティクスというもの,研究というものの本質について俯瞰的に再考することはどんな研究者にとっても必要ではないだろうか.つまり,人間の営みとして見たときロボティクスとは一体何か,という問いかけである.
上記のような一種の危機感のもとに,筆者は第18回日本ロボット学会学術講演会(RSJ2000)において,豊田工業大学の梅谷陽二教授とともに「ロボティクス史・ロボティクス論」と題したオーガナイズドセッションを企画した.また,同講演会の特別行事においては,関連する2件の特別講演とともに「ミレニアム討論会」が開催された.本稿ではそれらの概要を報告したい.
2.OS「ロボティクス史・ロボティクス論」オーガナイズドセッションは,講演会2日目の9月13日に午前・午後の2セッションにわたって開かれた.ロボティクスの定義と方向,産業や社会との関わりなど多岐にわたる問題について以下の10件の発表が行われた.前々日からの台風の影響が心配されたが,幸い一つの講演も欠けることなくセッションを進めることができた.
●ロボティクス史・ロボティクス論 −人間の営みとしてのロボティクス−(荒井裕彦)
ロボティクスというものを考える上で重要な示唆に富む内容のセッションであったと思う.困難な問いかけに対し,各講演者それぞれの立場から真摯に応えて頂いたことに深く感謝したい.両セッションともに立ち見が出るほどの盛況で,こうした問題に対する研究者の関心の高さがうかがわれた.質疑応答においても白熱した討議が行われ,十分に時間を取れないことが残念だった.
3.特別講演・「ミレニアム討論会」講演会特別行事においては,梅谷教授による「ロボット工学概論はあるか?」,立命館大学 兵藤友博教授による「科学史・技術史から見たロボティクス」と題した特別講演および「ミレニアム討論会」が行われた.梅谷教授の講演ではOSの概要を総括して頂くと同時に,総合的な学問としてのロボティクスという観点から「ロボット工学原論」ということについてお話し頂いた.また兵藤教授からは科学技術史の専門家の立場から,ロボットやオートメーション技術の歴史的な発展過程について講演を頂いた.
これらのOSおよび特別講演を受ける形で,「ミレニアム討論会」が開かれた.こうした討論会でよく見られるパネルディスカッション形式ではなく,すべてフロアからの発言という形を取ったのは,OSがパネラー発表に相当する部分になっており,それに関する全体討論という意味合いからである.またパネルにありがちなことだが,聴講者が前に並んだ先生方の御意見を拝聴するという受け身の姿勢になることを恐れたためでもあった.
講演会参加者に向けて,講演会の2ヶ月前にOSの各講演要旨をWeb上で公開し,それぞれの論点をある程度理解した上で討論に臨めるようにつとめた.また各講演者および各分野の代表的な研究者の方々にはOSの予稿をあらかじめ送付し,討論への参加をお願いした.正直に言えば,フロアからの発言がなくて司会者(筆者)が茫然と立ちつくす,という場面も心配していたのだが,それは杞憂に終わった.40分という短い時間ながら,以下のような問題について活発に意見が表明された.
・汎用機械としてのロボットとソフトウェア研究の重要性
議論が乗ってきたところで最後は時間切れとなってしまったが,問題の性質上やむを得ないことでもあったかと思う.研究者の間にこれからの議論の手がかりとなるような問題意識を提供できたこと,また公の場で学界・産業界それぞれの立場からの対話が行われたことは一つの収穫であった.いずれにしても,今回は議論が端緒についたばかりであり,まだまだこれから煮詰める必要があるだろう.
4.「私見」から「公論」へ学術講演会は本来,新たに得られた個々の研究成果を発表するためのものであり,RSJ2000の一連の企画のような研究外の問題を扱うのは邪道である,という批判もあろうかと思うので,一言弁解しておきたい.それは「私見」から「公論」へ,ということである.
今回の企画で扱ったような問題には,各分野の個々の研究に専念することでは答えることができない.また,アカデミックな研究の枠組みはそうした議論を研究者に要求しない.そのため各ロボット研究者は自分の内面の問題としてこれらと直面することを余儀なくされていた,あるいは逆に全くこうした問題を顧慮することなく研究に没入することを許されていたわけである.このような姿勢がロボティクスの現在の姿を生み出す一つの原因となっていると感じる.
ここでは,あえて学術講演会の一セッションという形式を取ることによって,これらの問題を公共化することを狙った.個人個人で考えるのではなく,開かれた場での分野を越えた対話を通じて考えることができないか,ということである.つまり,こうした形式を取れば,誰もが自分の意見を公表可能で,それが参照可能な形で公式に記録される.これを一度きりのイベントではなく,恒常的に積み重ねてゆけば,私見に過ぎなかったものも反論や疑問に出会って鍛えられ,多くの人を納得させる力のある議論が生まれると信じる.
今後はRSJ2000での議論を踏まえ,より多くの研究者による「ロボティクス論」のさらなる深化を期待したい.特にこれからのロボティクスをになう若手の研究者の積極的な発言を待望する次第である.幸い,本年3月18日〜19日に伊豆・修善寺で開催予定の第6回ロボティクス・シンポジアにおいても,ロボティクス論のセッションが準備されているとのことである.次回学術講演会においても何らかの形でこれらを継承できればと考えている.
最後に,今回のようなやや型破りの企画の実行を認めて頂き,さらには多大なご協力を頂いた川村貞夫先生をはじめとする実行委員会の方々に深い感謝の念を表したい.