非駆動関節を有するマニピュレータの制御に関する研究
荒井 裕彦
機械技術研究所報告第159号, 1993.
[概 要]
マニピュレータの最も基本的なハードウェア上の構成は,リンク機構の各関節に対しその関節を駆動するアクチュエータとその関節の変位を検出するセンサが1個ずつ対応するものである.この構成は最も初期の産業用ロボット以来全く変わっていない.したがってマニピュレータは通常各関節で実質的に独立の位置決め能力を持ち,マニピュレータの機構上の自由度とアクチュエータの個数とは一致する.直列型マニピュレータの場合,関節アクチュエータの質量はそれよりベース側のアクチュエータにとって負荷となるから,必要なアクチュエータの出力は手先からベースにかけて級数的に大きくなる.その結果ベース関節には手先の可搬質量と比べて非常に大きなアクチュエータが必要である.マニピュレータの軽量化,省エネルギー化,コストダウン等を目的として,アクチュエータ数よりも多くの自由度を制御する種々の手法が提案されているが,マニピュレータを構成する基本的なリンク機構以外の特殊な付加的機構に依存するものが中心である.
マニピュレータの力学系は通常,動力学的干渉性を持つため,各関節のアクチュエータトルクは他の関節の角加速度・角速度の影響を受ける.これらの影響は各関節上で独立にサーボ系を構成する場合,外乱として作用する.この外乱の影響を除去することがマニピュレータの制御における主要な問題の一つとなっている.ところが外乱となる力が発生するということは,他の関節の運動によって,それ自身は力の発生能力を持たない関節の運動を引き起こせることも意味する.
本論文では,関節のうちの幾つかのアクチュエータを保持ブレーキに置き換えた非駆動関節を有する新しい構成のマニピュレータを提案する.保持ブレーキは保持と解放の2つの状態のみをとる.ブレーキ保持の状態では非駆動関節は固定され,アクチュエータを持つ能動関節が非駆動関節の角度に影響を与えずに制御できる.またブレーキ解放の状態では非駆動関節は自由に回転し,動力学的干渉を用いて間接的に非駆動関節が制御できる.これら二つの制御モードの組合せによりマニピュレータ全体を制御する.本研究の第一の目的はこのような形式のマニピュレータのための制御手法を体系化することによって,軽量かつ安価でエネルギー消費の少ないマニピュレータを実現することである.
本論文における制御手法の基本的なアイデアは,非駆動関節を含む力学系の制御において動力学的干渉性を積極的に利用する点にある.マニピュレータの動力学的干渉性として,加速度によって発生する慣性力の干渉と,速度によって発生するコリオリ・遠心力の干渉の2種類がある.関節座標系では前者は慣性行列の非対角要素として表わされ,後者は関節角速度の2次の非線形項として表わされる.本論文においては前者を主に利用する.関節座標系では次のような手順で制御を行なう.まず関節角ベクトルを,非駆動関節を含む制御対象の成分とそれ以外の成分に分割する.慣性行列の非対角部分から正則な部分行列を取り出し,非駆動関節のトルクが既知の値(=ゼロ)であることを利用して,運動方程式から制御対象でない成分の加速度を消去する.この結果,能動関節のトルクを制御対象である成分の加速度に投影してそれらを制御することができる.この角加速度の制御系を基本として,その外側に線形フィードバックループを設けることによって,非駆動関節の角度,角速度を制御する.本論文ではこの手法をさらに作業座標系における制御へ拡張し,また目標経路の追従のための制御手法も提案する.
また本研究による制御手法は同時に,駆動能力を持たないパッシブな部分を含む,広い範囲の力学系に適用可能である.例えばクレーンの吊り荷,動歩行中の脚式移動ロボット,フリーフライング型の宇宙ロボット等は直接アクチュエータでは制御できない自由度を含んでいる.本論文の制御手法は対象の構造に依存しない一般的な形で定式化されているため,わずかな変更でこのような力学系の制御に応用できる.本研究のもう一つの目的は,動力学的な要素の影響を強く受ける広い意味での非駆動関節の制御に統一的な枠組みを与えることである.本論文ではその一例として浮遊ベース上のマニピュレータの制御及びマニピュレータのトルク飽和への応用について述べる.
本論文の各章の内容は以下の通りである.
- 第1章:上記のような研究の目的について述べ,マニピュレータの動的制御及び動力学的干渉性を利用した制御に関する従来の研究についてのサーベイを行なう.
- 第2章:非駆動関節を有するマニピュレータの動力学をモデル化し,運動方程式として表わす.
- 第3章:制御実験のために能動関節1個,非駆動関節1個からなる最も基本的な構成の水平多関節型マニピュレータを試作した.このマニピュレータの構成及びモデリングについて述べ,その動特性を評価する.第4,5章の実験においてはこのマニピュレータを用いてそれぞれの制御手法の有効性を確認する.
- 第4章:非駆動関節を有するマニピュレータによる2点間の位置決め制御について述べる.位置決め制御においては関節座標系における非駆動関節の制御が基本となる.非駆動関節に目標加速度を与え,それを実現するための能動関節トルクを運動方程式から導出する.線形制御理論に基づいて,ブレーキ解放時に同時に制御可能な関節数は能動関節と同じ個数であることを示し,制御が実現可能であるための条件は慣性行列のうち動力学的干渉を表わす部分行列の正則性であることを明らかにする.また位置決めにおける非駆動関節の軌道の与え方及びブレーキ切替を含むPTP制御のアルゴリズムについて説明する.PTP制御においてはまずブレーキにより非駆動関節を固定した状態で能動関節を加速し,次いでブレーキを解放して非駆動関節を位置決めし,最後にブレーキを固定して能動関節を位置決めする.第3章のマニピュレータを用いて位置決めの実験を行ない,能動関節のみからなる通常のマニピュレータと比べても遜色のない位置決め精度が得られることを確認した.
- 第5章:実際のマニピュレータの作業においては,作業空間における先端位置の制御が非常に重要である.そこでブレーキ解放時における制御を関節座標空間から作業座標空間へと拡張する.マニピュレータの先端位置を作業座標系で表わし,運動方程式を作業座標を用いて記述する.座標を構成する成分を,能動関節と同じ個数の被制御成分及び非駆動関節と同じ個数の補償成分に分離して,被制御成分を優先的に制御する手法を提案する.またこの手法を拡張し,マニピュレータの先端位置を幾何学的に与えられた目標経路に沿って制御する手法について述べる.作業空間内に経路に直交する成分と経路に平行な成分とからなる経路座標系を設定し,経路に直交する成分を優先的に制御することによってマニピュレータを経路に追従させる.これらの制御手法についても実際に第3章のマニピュレータを用いて有効性を確認した.第4章,第5章の結果を通じて,一部の関節のアクチュエータをブレーキに置き換えた,軽量かつ安価な新しい構造のマニピュレータの実現性についての見通しが得られた.
- 第6章:第6,7章では本手法を拡張して等価的に非駆動関節を有するとみなせる系の制御手法を提案する.宇宙ロボット等の浮遊しているベース上に取り付けられたマニピュレータにおいては,ベースとマニピュレータの間に動力学的干渉が存在し,アーム反力によってベースに運動が生ずる.第6章では浮遊ベースを6自由度の非駆動関節とみなし,第5章の作業座標系における制御を適用してアーム先端位置を制御する.外乱推定オブザーバを用いた外乱補償制御手法を併用することによって,従来よりも制御計算が簡単でモデル変動に強い制御系を構成することができた.
- 第7章:関節トルクが飽和した状態のマニピュレータの経路追従制御を扱う.オフラインの軌道計画で得られる最短時間軌道では,いずれかの関節トルクが飽和しており,オンライン軌道実行において従来のフィードバック制御を適用することができない.トルクが飽和した関節は入力トルクを変化させることができないため非駆動関節として扱うことができる.第5章の経路座標系を用いた手法を拡張することにより,トルク飽和下でのオンラインの目標経路追従制御を実現した.
- 第8章:本研究の成果を総括し,残された問題点,将来の展望等について述べる.