産業技術総合研究所   地質調査総合センター

三宅島2000年噴火の推移

                   by A.Tomiya (2004/3/9改訂)
本稿は噴火予知連における配布資料などを基に書いたものです.

目次


<1.海水変色(海底噴火)とマグマ貫入事件〜2000年6月27日前後の話>

2000年6月26日,三宅島の地下で群発地震が突然始まりました. 過去の経験から,三宅島では群発地震が始まると短期間(数時間以内)で噴火する可能性があったため, 気象庁は同日19:30に臨時火山情報第1号,同19:33には緊急火山情報第1号を出し,噴火の恐れがあるので厳重に警戒するよう呼び掛けました.
 → 最近3回 (1940,1962,1983) の三宅島噴火について

群発地震から一夜明けた6月27日,三宅島の西方沖で海水の変色が観測され,海底で噴火が起こった可能性があるとの発表がありました. その後,無人潜水艇(ROV)や超音波探査(マルチビームサイドスキャンソナー)による海底地形観測によって,変色域付近の海底には割れ目やクレーターが見つかったため,どうやら海底噴火が起こった可能性が高いとされました.これらの地形については当初,“火口”ではなくて“熱水の噴出口”にすぎないとの説もありました.しかしその後の新たな潜水調査によって,極めて新鮮な噴出物が見つかったことから,この場所で海底噴火が起こったことは確実とされるようになりました.
東大地震研の無人潜水艇調査(東大地震研のページ)
海上保安庁の超音波探査で見つかった“火口列”(海上保安庁のページ)

いずれにせよ,6月27日前後に三宅島の西側地下に新たにマグマが貫入した,という点では多くの人の見解が一致しているようです.この地下におけるマグマの動きは,震源の移動や地殻変動パターンの変化などによって刻々と追跡されました.
気象庁発表・記者会見資料(気象庁のページ)


<2.山頂噴火と大陥没口の出現〜2000年7月8日前後の話>

海水変色が消え,マグマ(震源分布)も西方に去っていき,これで噴火騒動も落ち着くかと思いきや,7月4日頃から山頂直下で地震が増えてきました.そして,7月8日18:41に山頂部で噴火が起こりました.この噴火は小規模かつ単発的な爆発であり,今後本格的な噴火活動に発展することはないと当時は考えられました.放出された火山灰も,古い岩石の破片などから構成されていて,マグマそのものは出ていないと考えられました.
この爆発の時には,山頂付近で大規模な陥没が起こったことが後で分かりました.
陥没の様子(アジア航測のページ)

この爆発&陥没については,地下におけるマグマの“ドレイン・バック”(※)がその原因ではないかと考えられました.
その後,詳細な地球物理学的観測などにより,マグマは真下に戻ったのではなく,むしろ横方向に北西へ移動(側方貫入)して行ったと考えられるようになりました.群発地震の震源がそちらに移動していく様子が観測されたためです.マグマが他所へ移動したことによって雄山直下のマグマ溜まり(深さ数km)に空洞ができ,マグマ溜まりの天井やその上に乗っていた岩盤が崩壊して,地表での陥没として現れたのだろうと考えられています.

(※) ドレイン・バック(drain back)とは,地下の浅いところまで上がってきたマグマが再び深部に戻っていく現象で,玄武岩質マグマの火山ではしばしば見られるものです.ドレイン・バックが起こる時は,火口底が陥没し,水蒸気爆発を伴うのが典型的なパターンで,最近の日本では伊豆大島で1987年にこの現象が起こりました.なお,ドレイン・バックでは,陥没に伴って爆発が起こるのであって,爆発によって陥没が起こるのでは無い,という点(因果関係)に注意.

ドレイン・バックが起こる理由を考えるためには,まずマグマが上がってくるメカニズムを知る必要があります.玄武岩質マグマは重いので,そのままではなかなか地表まで上がって来られません.しかし,もしガス成分に富んでいれば,ガス成分が発泡することにより軽くなって上がって来ることができます.勢いが良ければそのまま噴火することもできます.こうして浅いところまで上がってきたマグマですが,ガスが抜けてしまうとまた重くなってしまうので,それで再び深部に戻っていってしまうのです.これがドレイン・バックというわけです.ドレイン・バックが起こると,それまでマグマが占めていた場所が突然ぽっかり空洞になってしまうため,その上側が不安定になって陥没すると考えられます.
ドレイン・バックは,有珠噴火のようなデイサイト質マグマでは起こりません.それは,デイサイト質マグマが比較的軽いことに加え,ガスが抜けると粘性(粘り気)が大きくなって流れにくくなってしまう性質があるからです.


<3.再び山頂噴火〜2000年7月14・15日の話>

7月14日朝,再び山頂で噴火が起こりました.
噴煙の写真(SNAPPER DIVING CENTERのページ)
14日の爆発は,8日のものに比べると大きめで,継続時間も長く,灰黒色の噴煙が1500mまで上がりましたが, 噴火予知連が7月10日に出した見解の範囲内の事象(7月8日の続きの現象)と当時は見なされました.
しかし,7月14日の大噴火には8日の小噴火とは際立った違いがありました. というのも,14日の火山灰の中には“新鮮な”破片が多数含まれており,それらが噴火に関与したマグマの破片そのものではないかと思われたのです.その後, 7月14日の噴火によって本質物質(今回のマグマ由来の物質)が出たということは, 地質調査所(現・産総研地調)の調べによって次第に明らかになってきました.

14〜15日にかけて噴火は何度か繰り返して起こり,北〜東方向に大量の降灰をもたらしました(厚さは山麓で最大数cm程度)が,その後は噴火は一旦おさまりました.


<4.止まらない大陥没〜2000年7月8日以降の話>

山頂における陥没はその後も進行しました. 7月8日以来ずるずると継続的に陥没は続き(早川氏@群馬大の言を借りれば“砂時計”のように,地調モデルによれば“ピストン”の沈降のように),陥没孔(陥没カルデラ)の直径も深さも拡大し続けました.このように大規模な陥没カルデラが目前で徐々に形成され続けているのを観測できたのは火山学史上きわめて稀なことであり,火山学者の多くはこの一大イベントに注目しました.
早川氏によれば,陥没後間も無い7/9には直径900m・深さ100m程度だったものが,8/3現在で直径1400m・深さ450m程度に拡大したとのことです(→早川氏のページにある解説記事). なお,その後の観測によれば,火口の拡大は8月下旬にはほぼ停止したようです.

三宅島山頂火口の変遷(早川氏のページ)


<5.再々噴火〜2000年8月10日前後の話>

山頂における陥没が続く中,8月7日には山頂から白色の水蒸気が上がるのが観測されました.
そして,8月10日朝,26日ぶりに雄山山頂から噴火が起こりました.灰黒色の噴煙が高さ3000m(6000m以上という話もある)まで上がりました.噴煙高度という点では7月8日以来の一連の噴火の中で最大の爆発になりますが,火山灰の噴出量は7月14〜15日に比べてかなり少なかったようです.
噴火予知連は同日,“今後も同様の山頂噴火が発生するおそれがあります”との見解を出しましたが,果たして8月13日に同様の噴火が起こり阿古地区方面に降灰をもたらしました.

<6.最大級噴火で大量の火山礫(レキ)や火山弾が島内全域に降下〜2000年8月18日前後の話>

2000年8月18日,これまでで最大の噴火が起こりました.噴煙の高さはおよそ15000mにまで達し,上空で横にたなびいて広い範囲に降灰をもたらしました(100km離れた八丈島でも降灰).
この噴火では,大量の火山灰のほかに,これまた大量の火山礫(レキ)や火山弾が島内の広い範囲に降りました.火山礫の大きさは山麓の集落でも数cmの大きさがあり,車のガラスが割れるなどの被害が多数出ましたが,奇跡的に死傷者は出ませんでした.火山弾は,中腹に多く飛びましたが,伊ヶ谷の都道でも直径40cmのものがめりこんでいるのが確認されました.
火山礫や火山弾の多くは山体のかけら(異質岩片)でしたが,中には“カリフラワー状”を呈する特徴的な見かけをしたものもあり注目されました.また,8/18の火山灰の中にも,7/14噴火と同様の“本質物”がたくさん含まれていました.いずれも8/18の噴火でマグマが出た有力な証拠と地質調査所(現・産総研地調)では考えています.(当時,「マグマが出た」という説に対しては賛否両論ありましたが,現在ではマグマが出たと多くの研究者も信じているようです.)

噴火の脅威が依然続いていることから,8月18日噴火を契機として島民の島外への自主避難も加速され,8月23日夜には総人口の15%以上が三宅島を脱出したとのことです.(→島外への自主避難の様子;東宮の私的ページ)

 三宅島2000年8月18日噴火の写真:
 ●三宅島噴火8.18(WOODY HOUSE さんのページ)
 ●2000年8月18日噴火(三宅島坪田在住・渡辺さん撮影;アジア航測・藤田さん作成のページ)
 ●噴煙高度15000mの推定方法(藤田さんのページ)

 三宅島2000年8月18日噴火の噴出物に関する関連情報:
 ●新鮮な火山ガラス・火山礫と“カリフラワー状”火山弾 (2000/08/31, 13:30改訂)
 ●“カリフラワー状”火山弾と“Cored Bomb”(地調・川辺氏による報告)
 ●三宅島8月18日噴火堆積物の調査(地調・伊藤順一氏による報告)
 ●「マグマが出た」説に関する賛否両論(東宮の私的ページ)

注:ここでの用語の使い方.
・火山灰 =噴火で降って来たもののうち直径2mm以下の粒子
・火山礫 =同・直径2〜64mmの粒子
・火山岩塊=同・直径64mm以上の粒子
・火山弾 =噴火によって火口から弾道軌道を描いて“飛んで”来たもの

<7.海まで達する火砕流発生〜2000年8月29日噴火>

8月29日早朝の噴火ではついに海まで達する火砕流(サージ)が発生しました. 噴煙の高さも8000mに達しました. 幸いにして火砕流が山麓に達した時には低温・低速であったので目立った被害は出ませんでしたが,もし温度があと数十度高ければ多くの島民が火傷により死傷していた可能性があります.
また,今回のサージは低温とはいっても噴出時に100℃以上はあったとの見方があります.
実は,伊豆大島の6世紀の噴火(“S2”)が三宅島2000年と似た推移をたどったらしいことが指摘されています.このときにも“低温”(とはいっても巻き込まれた木材が炭化するほどには熱かった)の火砕流がほぼ全島に渡って流下したと見られ,その堆積物は厚いところで数mに達します.
また,阿蘇火山1979年9月6日噴火では,同様の“低温火砕流”によって死者3人・負傷者11人を出しています.

この噴火を受けて,三宅島の小中高校生全員の島外避難(8月31日の予定だった)がその日(8月29日)のうちに実行に移されるとともに,島民の自主避難がさらに加速されました.また8月31日の火山噴火予知連絡会でも初めて「火砕流への警戒」と「マグマの上昇の可能性」について言及され,全島民(防災関係者を除く)の島外避難が決定されることになるなど, 8月29日噴火は社会的にインパクトの強いイベントとなりました.

 2000年8月29日噴火と8月31日予知連見解に関する関連情報:
 ●火砕流の中からの実況中継[必見!]
  (みゃるさん@神着が千葉さんの掲示板に書いた内容を早川さんがまとめたもの;早川さんのページ)
 ●噴火の写真(島魂のページ)
 ●噴火の写真(アジア航測・千葉さんのページ)
 ●火砕流が流れる様子の連続写真(アジア航測・千葉さんのページ)
 ●海上から撮った噴火の写真(東大地震研のページ)
 ●火砕流の流下と噴出物の分布範囲を示した図(東大地震研のページ)
 ●8月31日の噴火予知連見解(気象庁のページ)
 ●予知連見解に強い影響を与えた地調の見解(8月31日噴火予知連提出資料〜「地調モデル」の絵も見られます)


<8.大量のSO2ガス放出開始〜2000年9月以降>

9月に入ってからも三宅島は盛んに噴煙を上げ続け,麓にはしばしば降灰がありました.
そして何といっても顕著なのは,大量のSO2(二酸化硫黄)ガスの放出です.
8月末には1日当たり1000トン程度の放出量でしたが,9月中旬には1日当たり1万トン以上と急増しました.これは全世界的に見ても最大級の放出量です.

SO2ガスは風に乗って島外にも運ばれ,関東地方はもとより,風の具合によっては遠く長野県や京阪神まで漂って異臭騒ぎを巻き起こしました.関東地方ではしばしば環境基準を上回る濃度のSO2が検出されました.
SO2(二酸化硫黄〜刺激臭・マッチを擦ったときの臭い)およびそれと同時に放出されるH2S(硫化水素〜卵の腐った臭い)は,いずれも有毒ガスであり,健康に対する影響が懸念されました.特に喘息(ぜんそく)持ちの方は少量のSO2でも致命的な発作を引き起こす可能性があることが指摘されました.
島外ですらこの騒ぎですから,島内における火山ガスの影響はきわめて深刻であることは容易に分かることでしょう. 三宅島において,雄山の風下側ではガスマスクが必需品となりました.

気象庁および地調などがCOSPECという方法を使ってSO2放出量の観測を続けています. 2000年10月以降しばらくの間,1日当たり平均4〜5万トンという世界でも例を見ないほど大量のガスが出続けました(その後,2001年夏頃には1日当たり1〜2万トン,2002年秋以降には同3千〜1万トン程度にまで低下).
なお,日々公表されるCOSPECの観測値の数値自体をあまり問題にしない方が良いです.
なぜならCOSPECの測定原理上,次のような問題点があるためです:

・うまく観測できたとしても誤差が数十%程度ある,
・風の状況によっては測定値が真の値の数倍あるいは数分の1にもなりうる,
・観測値は瞬間値であるが,放出速度には変動があるので単純に1日当たりの放出量に換算するのは正しくない,
・ガスの濃度が高くなると測定ができなくなる(飽和してしまう)(→その後この点は改善).

つまり,24000トン/日とか38000トン/日といった数値の上下を問題視せずに, 「おおよそ数万トン/日の高い放出量が続いている」(2000年秋の場合)といった理解をしておくのが良いようです.
なお,SO2放出量のグラフは,気象庁のページを御覧下さい.(グラフを見る際にはくれぐれも上に列挙した問題点を頭に置いておいて下さい.)

 SO2放出に関する関連情報:
 ●三宅島の二酸化硫黄放出量測定(地調の公式ページ)
 ●火山ガスの種類と災害(地調・川辺氏のページ)
 ●三宅島マグマの大量の脱ガスを説明する“地調モデル”(地調の公式ページ)
 ●三宅島雄山の噴火の影響による都内の二酸化硫黄濃度について(東京都災害対策本部)
 ●気象庁の「三宅島の火山活動」のページ(「最近の状況(三宅島上空の風の予測を含む)」から最新の日付けのものをお選び下さい)
 ●ある火山学者のひとりごと(ガス)index(Cauli.氏によるガス情報のまとめ)


<9.大量のガス放出続く〜見えない終息>

2000年9月に放出量が急増して以来,1日当たり数万トンという大量の二酸化硫黄(SO2)が出続けました.

2000年10月6日に,8月31日以来約1ヶ月ぶりに噴火予知連絡会伊豆部会が開催されました.
「火山ガスに対する警戒」が明記された一方,「爆発的噴火や火砕流の可能性は低い」とされました.定常的にガス抜きされている間は爆発しにくい,という理解です.
しかし,噴火がいつ終息するかについての見通しは得られませんでした.
 →予知連10月6日の見解(気象庁のページ)

2000年11月初旬(11/3〜10頃)には,火山性微動の出方が一時的に変化しました. 微動の振幅が規則的に変動するようになったのです. 振幅変動の周期は約30分でしたが,その上に約1日周期の長い変動が重なっているようにも見えました. 地下の状況に何らかの変化が生じたか,と一部関係者の間で緊張が走りましたが, 特に何ごとも無いままこの変動パターンはなくなってしまいました.
 →気象庁の公開している資料の一例(全5頁のうちの第4頁目が微動に関する資料です)[2004/2/2現在リンク切れ]

2000年12月15日と21日には目立つ微動が久しぶりに現れました(どちらもごく短時間). 局所的にしか観測されなかったことから,ごく浅い現象であることが分かっており,陥没火口壁の崩落によるものかもしれないとのことです.同様の微動は2001年1月19〜25日頃にも起こりました.しかし,これらの微動に対応して火山活動が特に変化した様子は無いようです.
 →気象庁資料(微動の様子や火山ガス放出量などの観測値が見られます)[2004/2/2現在リンク切れ]

また,三宅島で「火映現象」が2000年12月下旬より見られるようになりました. 火映現象とは,高温のマグマ・岩石・ガスなどによって上空の噴煙が赤く照らし出される現象です.火口内がかなり高温であることを示しています.実際,火口内の温度の観測値はここ数カ月でだんだん高い値が得られるようになっていました.このような高温が観測されているということは,浅いところに高温の熱源(マグマ)がある(2000年夏以来の地調の見解〜下記参照)ことの傍証であると思われます.火映現象は,2001年1月下旬には見られなくなりました.
参考:
気象庁2001/1/6発表資料(PDF)〜火映現象に関する報告のほか,火山ガス放出量,火口内温度等のデータも見られます.[2004/2/2現在リンク切れ]
地調の見解(=浅いところにマグマが来ている)(地調が2000年8月31日に噴火予知連に提出した資料)

2001年1月下旬には,「陥没火口の底にできている“黒いもの”はもしかしたら溶岩流ではないか」との指摘を受けるということがありました.この黒いものは,確かにある角度から撮った写真を見ると溶岩流と見まがうような色・形をしていました(私も一瞬「まさか!?」と思いました(^^;).しかし,この“黒いもの”は前年11月から確認されている「水たまり」(の跡?)ということが判明しました.
 →“黒いもの”がにわかに騒がれた2001年1月22日のヘリ観察結果(地調・中野俊氏のページ)
 →同じ場所の水たまりが良く見えている2000年11月29日のヘリ観察結果(地調・川辺禎久氏のページ)

そうこうしている間にも,大量の火山ガスは相変わらず出続けました.1日当たり4〜5万トンという放出量が数カ月に渡って安定して続いたのです. 三宅島の火山活動が今後どのように推移するのか判断はつきかねるものの,いずれにせよ当分の間は終息する気配は見られない,と判断されました.


<10.活動の脈動〜2001年3月頃から火道の目詰まり?>

2001年3月頃から,活動にやや脈動が見えてきました. それまで安定して出続けていた火山ガスや噴煙の量が,時間によって減ったり増えたりするような傾向が見え始めたのです.それと共に,"やや振幅の大きい微動","空振","有色噴煙"(小規模な噴火)がしばしば観測されるようになりました. 井田喜明・火山噴火予知連絡会長は,火道(地下のマグマやガスの通り道)が目詰まりするようになったためではないか,とのコメントをしています.
5月後半頃からは微動・空振・有色噴煙の頻度が高くなりました. また,この頃から火山ガスの放出量は徐々に低下する傾向が見られるようになっています.

2001年5月28日の火山噴火予知連絡会では,“若干の活動低下の兆しは見られるものの,当面はこれまで同様の注意が必要である”との見解が示され,長期的には活動低下傾向にある可能性について言及がされました.しかし,短期的には顕著な低下傾向はほとんどなく,依然としていつ終息するかについては分からないという状況でした.

2002年に入ってからも,長期的な活動低下傾向は続きました. 三宅島から放出されるSO2ガスの量は,放出開始当初のおよそ4万トン/日に比べて明らかに少なくなっており, 1万トン/日を割る日がしばしば現われるようになっています. (ただし,1万トン/日という量が世界最大級の放出量であることには変わりありませんが...)


<11.ガス放出量の「横ばい」〜2002年秋以降>

2002年秋頃から,活動の様相がそれまでとやや変わって来ました.
まず,それまでゆっくりと減少傾向が続いていたSO2(二酸化硫黄)ガス放出量が,ほとんど「横ばい」になってしまいました. 2002年10月以降,現在(2004年3月)に至るまで,1日当たり3千〜1万トン程度で推移し,全体として減少傾向を見ることはできません.
また,それまでは平均して1ヶ月に1回程度は起きていた「小規模な噴火」が,2002年11月24日を最後にまったく起こらなくなりました(2004/3/8現在).
前項(活動の脈動)で,ガス放出量変動や小規模噴火などの原因として「火道の目詰まり」の可能性(井田氏のコメント)を紹介しました.もしそうであるならば,最近見られるような「放出量の横ばい」や「小規模噴火の停止」は,火道(ガス道)の安定化を示している可能性もあるかもしれません.


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Created:Jan,15,2003