学位取得(論文博士)への遠くて近き道のり

このページは筆者が 東京大学工学系研究科計数工学専攻で 博士(工学)を論文博士で取得した際の 個人的な経験に基づくものであり,内容の正確さについては 保証できません. あくまで参考程度にお読みください. また,お寄せ頂いた質問やコメントに応じて改定していく予定です のでお気軽にお聞かせください.

(2001.1.18作成, 2001.3.28 更新,2001.4.23 とりあえず完結, 2003.1.14 リンク集追加など少し改訂, 2003.3.28 若干の追加), 2005.4.11 リンク集追加

目次


学位 (博士号) とは

最初に強調しておきたいのは,学位を持っているからといって優秀な研究者であるとは限らないし,持っていない人の中にも超一流の研究者はいくらでもいるということである. かつての指導教官から頂いた言葉をここに掲載しておこう.

「学位は、足の裏についたご飯粒のようなもので、取らないと気持ちが悪いが取っても何の役にも立たないというそうです」(取っても食えない)

ただ,実際には今や研究で職を見つけるための必要条件となっているのも世界的に共通の事実なので,取っておくにこしたことはないわけである. というわけで,このページがこれから学位を取られる方の少しでも参考になれば幸いである.

ここではいわゆる「論文博士」という形の博士号を想定している. つまり,大学の博士課程を経ないで,研究論文を大学に提出することにより学位をもらうシステムである. 論文博士を取り巻く環境は段々厳しくなっておりそのうち廃止されてしまうのではないかと言われている. そのためにも早めに取っておいた方がよい. (ちなみに,リンク集のページを見るとわかるようにほとんどが課程博士のページであり,論文博士に関する情報は web ではなかなか少ないようだ)

少なくとも 10 年以上前までは(私の属していた学科では)博士課程は数年に一度非常に優秀な学生だけが合格できる難関であった. さらに,一度入ってもいろいろな事情で中退し,助手になったりして結局論文博士で取っていた人が多かったように思う. 研究所に入った時も新入職員の半数ぐらいは修士卒であった(今ではほぼ全員が博士号を持って入って来る).

論文博士が厳しくなった背景にはこのように課程博士の増加と,あとは社会人博士課程のような制度が出来て来たために,より厳しくなってきたらしい (したがってこれからは社会人博士課程も選択肢の一つに入れておいた方がよい). 課程博士に比べて不利な点は,担当の先生にとって論文博士の論文を見ることがボランティアであるという点である (少なくとも正規の手続きの上にのるまでは). これについては次の節でも触れたいと思う.

いずれにせよ,10年前までに修士を出た研究者で学位を持っていない人達はたくさんいて,この厳しい状況に直面している. それにも関わらず研究所は何のサポートもしてくれないし,情報もほとんど入って来ないため結局修士を出てから学位を取るまでに 10 年以上もの月日がかかってしまった. それでは項をあらためて具体的な話に入って行こう.


スタートラインに着くまで

修士を出てから課程博士の年数である 3 年目ぐらいから「博士号どうするの?」とか「早く取った方がいいよ」とか言われるようになる. 私は気が小さいので,そういうことを言われるたびに相当プレッシャーを感じていた. しかし(少なくとも私に関しては)そのような声が全く具体的な話に発展していくことはなかったし,情報がなかったため自分でもどうしていいかわからなかった. 結局,自分自身が「取れそうだ」と思った上で,自分自身が「取りたい」と言い出すことによってすべてがスタートするわけであるが,ここではそのために必要な指針について書こうと思う. きちんと書くのは難しいが,私の個人的な経験から「取れる研究とは?」「いつどこで取るか?」ということを考えてみよう.

取れる研究とは?

私の場合,研究所に入ってからさまざまなことを好奇心のおもむくままにいろいろと手を出して研究してきた. 実はこれが博士論文を作成するときに障害となった. 昔はそういういろいろな研究をオムニバス式に集積したという例も多かったようであるが,上に書いたように論文博士の情勢が厳しい中では一本筋の通った研究でなければなかなか通しにくいという話である. また,昔はいい論文が出来ればそれが評価されたが,同じように厳しい情勢の中で,(関連研究での)論文発表の本数というのも一応関係してきているらしい.

私の取った所は特に規定があるわけではないが,学科によっては本数が規定されているところもあるようなので確認した方がよいと思う. あまり真剣には勧められないが,同じようなネタでも複数の論文にして本数を稼ぐとかの工夫が場合によっては必要かも知れない. 私の場合もちょっと本数が少ないんじゃない?というような顔をされた. ちなみに私の場合の関連論文の本数は,海外論文誌に一本と国内論文誌に二本の合計3本であった.

学位を取れる研究のレベルということについて論じるのは非常に難しい. これは査読に通る投稿論文のレベルを聞かれているのと似たような面があり,分野や審査委員,大学によって千差万別であるからである. 投稿論文と違う所は,博士論文の場合スタートしてしまえば「リジェクト」するということを基本的にはしないので,最初からある程度のレベルを持ってスタートしなければならない点である. その一方で投稿論文と違って,主査の先生の力が物をいう面もあるので,レベルが低くてもなんとかなるという側面も合わせ持っているような気がする. あとは,近くにいる学位を取った人とか,その学科での論文博士の研究レベルと自分を比較して判断するという手はある. サンプル数が少ないと正当な評価が下しにくいかも知れないが... あと,課程博士の場合より閾値が高いと思われるので注意の必要があると思う.

もう一つの要素は,(分野にもよるが)研究所の場合,大学のような上下関係がほとんどないので,研究に対する指導を課程博士のように受けられないという点である. これは学位とは関係なく研究所における人材育成という点でも重要な問題で,最近の研究所のスタンスは「人材育成はしない」という方針のように見受けられる. ということで情勢は厳しいが,謙虚に内に外にと教えを乞うていくというのが正しい態度であろう. 私の場合あまりそれがうまくできたとは言えないが...

いつどこで取るか?

よほどすごい研究をしていない限り,「その研究で博士号を取らせてあげる」とか,「それで博士論文書いてみない?」とか声をかけてもらえることはほとんどあり得ないと思う. 基本的には自分で取れるレベルに達したと判断したら,とりあえず主査になってくれる先生に「取りたいんですけどー」とか言って関連論文を持ち込んで相談することになる. 通常は,修士時代の指導教官だと思うが,私の場合は指導教官が退官されていたので主査になってもらうことは無理だったが,とりあえず相談した(2000.1.24). (もともと,なかなか研究に厳しい人で私の研究を評価してくれるか自信が無かったので相談しそびれていたのだが,海外論文誌にアクセプトされた後だったという勢いもあった) 今思えば,もっとずっと早い時期から相談して,どういう目標をおけばよいかを考えながらやっていればもっと早くに学位が取れていたと思う.

もう一つの選択肢は出身のところでないところで取るというものである. これには,取りやすいところを選べるというメリットと,コネ(といっても研究上のつながり)がないとなかなかお願いしにくいというデメリットの両方がある. うちの研究所なら筑波大などで連携大学院の教授になっている人とか,研究所の出身者で大学に移った人とかがもし身近にいれば考慮してみる価値はあると思う. 私も出身のところが駄目だったらきっとそうしていたと思う.


手続き的な注意

論文作成

主査の先生が「これでいきましょう」とゴーサインを出せば,後はほぼ事務的に進んでいくので,手続きについてはこのページではあまり詳しくは書かないが,私の場合スタートしてからゴールするまでに,かけた労力の少なさの割にかなりの時間がかかってしまった. 労力が少なかったのはいいが,気分的には他のことになかなか手を出し辛くてこの間まともに研究できていない(根がぐうたらなのでできていないというのもあるが^^;). それに,入試前の高校生のように精神的にもかなりきつかった. ここでは,いくつか手続き的な注意を書いて,これから学位を取られる方ができるだけ早くゴールできるようお祈りする.

私の場合,指導教官の後を継いだ先生に最初主査になってもらうべく相談を行った. 上の方にも書いたと思うが基本的に論文博士の担当はボランティアであり,相談の時間を取ってもらうのも,お願いして(2000.2.03)から数週間後 (2000.2.16) というようにあっと言う間に時間が過ぎてしまった.

さてまず最初にすることは論文作成である. 私の場合,既に出版されている論文をまとめるだけなので,この作業はそれほど大変なものではなかった. ただいわゆる新たに作文をしなければならない「序論」を書いたりとか,複数の論文をまとめる際に記号の整合を取ったりするのに意外に時間がかかり,他の仕事もしつつやって 3 ヵ月くらいかかった(ドラフト完成 2000.05.08). まとめるだけでなく研究と並行してやっていくとすればもっと時間がかかるかもしれない.

さて,ドラフトが完成した段階で指導教官に見てもらうわけだが,分厚い論文をしかもボランティアで読んでもらうのだからかなりの日数がかかっても仕方がない. 私の場合は1ヵ月くらい経った頃,催促のメイルを出してみる(2000.06.13). (主査の機嫌を損ねてはおしまいだから,この辺りのやり方は慎重を要すると思う). その結果,日程調整してミーティングをしてもらう (2000.06.22). 私の場合,内容的に主査を代えた方がいいということになり,研究室の一年先輩の助教授の人に主査を交替. ここで,主査と書いているがまだこの段階ではまだあくまで「予定」ということである.

予備審査

ミーティングでもらったコメントを反映させるのに 5 日程度かかる. それでいろいろやりとりした結果,予備審査に進むことになる (2000.06.28). ところが,予備審査に進むには会議にかけなければならず,その会議は 7 月中旬にある. この時に限らず「まず会議にかけなければならない」というのは後々まで関係する. あらかじめどういう会議に通すかを主査(予定)と事務室の担当者と十分打合せしておく必要がある. もちろん論文の修正に時間がかかったりして遅れることはあるが,私の場合は論文の修正はいずれもほぼ 1 週間以内に終わり,会議が完全にボトルネックになっていた.

ちなみに,論文の実質的な審査は予備審査で行われるため,予備審査用の原稿はかなり完成度が高いことが要求される. 予備審査がうまくいかなければ,再度予備審査ということも実際あるという話だし,最悪出直しという話にもなりかねない.

さて,予備審査をやってもいいというのが会議で通ると,次に主査の先生が数名の審査委員を決める. まず,人数分の論文をコピーして主査に送り (2000.07.24)読んでもらう. その後,日程調整を行い,予備審査を行う. 私にとって若干不運だったのはまさに夏休みにぶつかって,結局予備審査が 9 月になってしまったことである(2000.09.14). 1 ヵ月以上時間があったので,開きなおって OHP の準備をゆったりとした気分でやっていた.

予備審査は 1 時間ぐらい OHP などで審査委員の前でプレゼンテーションを行い,いろいろなコメントをもらう. その後,本人は席を外し,審査委員だけで何やら密談し^^; その結果(合否)を主査が本人に伝えに来る. 私の場合は,基本的にもらったコメントを反映すれば次に進んでよいということを言われる.

とりあえず,予備審査をクリアすれば最大の壁は乗り越えたことになる. だが,この段階でも会議の日程とかをちゃんとチェックしなかったため,遅れを生じることになってしまった.

論文提出

予備審査が終わった段階で,事務室から「学位申請者(論文博士)のための手引」という冊子や必要書類を送ってもらい,ここでやっと正式な学位取得の道筋を知ることができる.

次のステップは,正式に論文を完成させ,必要書類を提出するということである. 論文の修正自体は予備審査後 2 週間程度で終わり,主査にチェックをお願いする(2000.09.27). 秋はいろいろな行事が目白押しであり,なかなか連絡がない. というわけで,いろいろ必要書類の準備などしながら,探りのメイルなどを入れてみたりする.

必要な書類は,東京大学の場合 (a) 簡易製本した論文 5 部,(b) 要旨,(c) 学位申請書,(d) 履歴書,(e) 論文目録, (f) 同意承諾書,(g) 論文審査手数料 であり,場合によっては若干の追加書類が必要となる.

さて,何も進まぬままあっという間に 11 月になり,再度催促のメイルを送る(2000.11.13). 細かいミスの指摘をもらって即日修正し,論文を提出する運びとなる. 論文提出は上記書類を揃えて自ら大学の本部庁舎まで提出しなければならない. しかもこれは金曜日しかやっていないので,あらかじめ日程を調整しておく必要がある. 窓口は午前 9:30 〜 11:30, 午後 13:30 〜 14:30 で,私は午後の都合が悪かったので,午前中に行く必要があったのだが,8:00 過ぎに出たのにその日に限って高速バスが 3 時間余りかかり,上野から走る羽目になった. 今思えばタクシーで行けばよかったのだけど.

本審査

本審査をやるためには会議に通さねばならず,またまた不運なことに,論文を提出したのが会議の直後だったため,ここでも 1 ヵ月待たねばならなかった. その会議は2000.12.15で,それから本審査の日程調整を行うわけだが,当然のように年末に日程が合うはずもなく,結局世紀明けの2001.01.17に本審査ということになった.

論文の修正が少なかったこともあり,本審査はほとんど予備審査の OHP の使い回しで済んだ. ただ,修正したということが明確に伝わるようにした方が審査委員の印象はよいと思う. 発表は予備審査と同じく 1 時間,その後質疑があって,予備審査同様に本人退席,合否審査,本人に報告ということになる. 私の場合は合格だったが,たぶんここで不合格ということはほとんどあり得ないと思う. 主査が OK を出しているわけだから,主査の顔を潰すことにもなるからだ. 私も最低限遅刻はしないように,高速バスはやめて,しかも早めに家を出た(午前中だったので審査委員の先生はみんな眠そうであった).

また,私の場合はなかったが,論文の修正を求められることがあるそうである.

本審査以後学位授与まで

本審査が終わると,会議を通して学位交付となる. まず,審査結果の要旨という「....よって本論文は博士(工学)の学位論文として 合格と認める」という文章を書く必要がある. これは過去の例などもあるので,それを参考にして作る.

次にするのは主査の先生が会議で概要を発表する必要があるので,そのための OHP 作りである. 時間は短いのでかなり簡略したものを作る必要がある. 私の場合は OHP 10枚くらいを作り,ついでに本審査で使った OHP も送って,主査の先生にお任せした(会議日程 2001.2.8).

もう一つする必要があるのは論文の製本である. これは製本業者に頼んでやってもらう. 研究室にいた筑波大博士課程出身の高橋君にも聞いた上で,電話帳を頼りにいくつか業者を当たってみた. きっと大学なら研究室に伝わる業者が あるのだろうが,論文博士ではそういう情報もなかなかない. 電話帳では「製本業」だけではなく「コピー」という項目にも当たろう. 特に「金文字製本」をやっている業者を探す必要がある. つくばにもいくつか候補となる業者はおり,金額や納期にもかなりばらつきがあるが,私の頼んだ所では2001.1.30 に持ち込んで,ほぼ一週間(2001.02.05)の仕上がりで,一部あたり 6000 円(税別)ということであった. 課程博士の論文が集中する時期はおそらくもっと時間がかかるであろう. ちなみにフォーマットは,黒表紙で,表紙と背にタイトルと氏名を金文字で入れるというものである. 部数は 3 部. 特殊文字や文字数が非常に多い場合などは追加料金がかかる可能性がある. また,論文は必要部数分コピーまたは印刷して持ち込む. 仕上がったものを梱包して宅急便で送る. なかなか梱包するのも大変だから,出向くのが面倒でなければ直接持って行く方がいいかもしれない.

さて,もう一個会議(工学系研究科委員会)を通して最終的に学位の受否が決まる. 私の場合これが2001.03.15の予定で,これに通るといよいよ学位が出る. ただし,この時期に学位が出る場合には大学院の修了式といっしょに学位が授与されるのが通例ということなので, 2001.03.29 まで又々待たねばならない. 修了式に都合がつかない場合などは郵送もしてくれるようである.

修了式でこのページの更新もおしまい,と思っていたらもう一波乱あった. 修了式の前日に事務室に電話をしたらまだ学位の準備が出来ていないので修了式には間に合わないとのこと. よほど私の普段の行いが悪いのか,つくづく遅れる運命にあるようだ.

というわけで,学位記授与式は 2001.04.18 にやるという連絡を受け,もらってきました. まず15分程別室にて歓談. 指導教官などに御礼を言ったり,雑談したりして過ごす. その後,授与式...というか専攻会議の時間を使っての授与が行われた. 他にももう一人いたので一安心だったが,一言を求められたときは全く心の準備が出来ておらず焦った. というわけでその後事務室で受取のハンコを押して完了. というわけで長かった学位への道もやっと終止譜を打つ. かつての指導教官から頂いた言葉の通り,飯のつぶほどしか役に立たない学位ではあるが,まあこれからは学位を取らなくてはというプレッシャーがなくなる, Dr. Akaho と呼ばれても後ろめたくない,名刺に工学(博士)と入れたりできる,くらいのメリットはあるかもしれない.(2001.04.23 とりあえず完結)

おまけ

東北大出身の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞した. ノーベル賞受賞後,東北大から名誉博士号が授与されたが,田中さんのコメントは 「今まで職人的研究者としてやってきたので、今後もドクターではなく、ミスターでやっていきたい」 ということだそうである. 研究者たるもの,肩書きにとらわれない田中さんの態度を見習いたいものである. なかなか凡人には難しいことではあるが.

このページを見てくださった方から,主査や審査委員の先生方への謝礼はどうなのかというお問い合わせを受けた. 下のリンクのいくつかでも紹介されているが,大学などによっては少なからぬ金銭が飛び交うという話があるらしい. 私の場合,金銭どころか菓子折の一つさえ持っていかなかったので,今となってみればボランティアで面倒を見ていただいた先生方に対して ずいぶん失礼だったかなあという思いもある. しかし,挨拶程度の菓子折ならいざ知らず,大枚の金銭を送るというのはどうかと思う. 建前論から言っても特に国立大学の教官はそのような金銭を受け取ることを禁止されているわけだし,神聖な学問の世界には全くふさわしくない行為だと思う. ただし,世の中きれい事ばかりでもないので,事情をよく知る人(経験者,事務担当者など)から多くの情報を集めて対処するに越したことはないと思う.


博士論文に関するリンク集


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