この格言,本来はあまり良い意味で使われていません.即ち,「人民は,領主の善し悪しでいかようにも感化されて変わってしまう.」といった意味のようです.しかし,私は水を柔軟性に富むものの代表のように考え,次のように思うのです.
10年近く前,サンフランシスコの南約50kmのメンロパークに住んでいたときのこと,あの有名なワイン産地ナパバレーにおいて,カリフォルニア米を使った「ナパの生1本」と称する清酒が発売されました.我が郷里鹿児島の焼酎屋が何をとち狂ったのかワインの名産地で清酒を作ろうという試み.「うーん,焼酎屋でも清酒作りに憧れがあるのだろうか」と妙な感心をしたものですが,確かにワイン作りに適した良い水は,良い清酒にも変化しうるのでしょう.良い水は,磨かれて良いワインになりクリスタルのワイングラスにつがれもし,はたまた清酒となり白薩摩の杯を満たすことにもなるのか,,,.ちょっと,ことわざの意味とは違うかもしれませんが,時と場所を得ていかような形にも上手に納まる,そのためには,その場その場に応じて最適な姿に変化し得るよう,色も付かず匂いも付かず,無垢なままでありたいものよ,手垢にまみれた我が身を省みず思うのでした.「あなた好みの女になりたい」なんて歌の文句の受け身ではなくて,自由無尽変幻自在,自分を生かすために,状況に応じて積極的に変化していくことが大事なのではないか.良い水を生かすも殺すも器次第ということか,はたまた良い水とは器次第でいかようにでも変わるということか,変幻自在なままに立場,状況にしたがい,常にベストの状況を作り出したいと思う今日この頃です.
俺の人生これしかない,とばかりに,とかく科学者というものは頑なに自分を曲げず押し通そうというもの.しかし,いつしか,道も半ば過ぎると,若いときの高潔な志からいつとは知れず遠くに外れていがちなもの,「いいや,これは宮仕えのためのやむを得ぬ一時の回り道,ほどなく本来の目標に向かえる時が来る」と自分に言い訳を言い続けてはや十うん年.もう,ここらで現在の自分の状況を正しく見つめて,今の自分にあった新しい目標を見つけ直しませんか?うーん,これは負け犬の遠吠えでしょうか?まあ,そうかもしれません.でも,良いではありませんか.人生,山あり谷あり,それほど短くもなく,かといって長過ぎもせず.人間誰しも先のことなど分かるはずもなし,自分の墓場(青山)はただ一カ所と決めてかからず,今の自分の立場と能力に応じた働きをしたいものです.
人間とかく,自分の能力を省みず必要以上に自分をアピールして虚栄をはるか,いたずらに謙遜卑下して,自分を過小評価するかのいずれかに陥りやすいもの.しかし,自分の能力を自分自身で正しく評価すること,即ち等身大の自分を真っ直ぐに見つめることは大変に難しいことです.特に,自分のマイナスな部分を真っ正面から見据えることは,大変勇気のいることのように思います.筑波山のがまの油売りの口上ではありませんが,「鏡に映ったおのが醜き姿に脂汗をたらりたらり」とかくのは間違いありません.しかし,その脂汗は,陣中膏という薬となるように,自分を鍛え上げる良薬です.一方で,無意味な謙遜卑下をして,自分が授かった能力を世の中のために十二分に生かせないとすれば,それも情けない限り.自分を正しく評価し,その優れたところで世のため人のために役立てるよう最大限の努力をするよう,しかし一方で,能力以上のことをやろうと無理をして人の足を引っ張ることのないよう,いつも肝に銘じている毎日です.