寄書 「火山 第44巻5号 p.261-266,1999年10月」
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1.はじめに
岩手火山では1995年9月から火山体直下で火山性微動と火山性地震の発生が観測されていたが,1998年3月頃からは火山性地震および火山性微動が増加し(田中・他,1998),これと共に地殻変動も観測された(植木・他,1998;多田・他,1998など).現在も多くの大学・研究機関により各種の観測が継続されている.
岩手火山は,盛岡市の北西約20kmに位置する第四紀成層火山で,約0.3Maから主に玄武岩質〜安山岩質マグマによる噴火活動を開始し,過去20万年間に少なくとも7回の山体崩壊を起こした(土井,1991a).岩手火山は,ほぼ東西に配列した複数の火山体から構成され,西岩手火山と東岩手火山に大別される.西岩手火山は約0.3Ma〜50kaに形成した成層火山で,成因は明確ではないが山頂部に西岩手カルデラ(東西約2.5km,南北約1.5km)が開いている(図1).50ka〜30kaの期間には,西岩手カルデラの内側で噴火が起こり,中央火口丘の形成や溶岩ドーム・溶岩流の噴出,またデイサイト質マグマによる爆発的な噴火に伴って軽石や火砕流の噴出などを行った(土井,1991b).その後,マグマ活動の中心は西岩手カルデラの東縁に移行し,東岩手火山が形成された.東岩手火山は薬師岳(標高2038m)を山頂とする火山体で,西岩手カルデラの東部を埋積し,東麓から北東麓には特になだらかな裾野を広げている.山麓のテフラ層序から見ると,東岩手火山では火山灰やスコリアを噴出する噴火イベントが最近6千年間に少なくとも8回発生している(土井・大石,1992).歴史時代に発生した噴火活動としては,2回の山頂噴火(10〜17世紀の尻志田{しりしだ}スコリアを噴出したイベントと1686年の刈屋{かりや}スコリアを噴出したイベント)と,1回の山腹噴火(1732年の焼走{やけはし}り溶岩を噴出したイベント)が知られている.
一方,マグマ噴火の中心が東岩手火山に移行して以来,西岩手火山では主に水蒸気爆発が発生しており,7ka〜3kaの間に少なくとも6回発生したことが知られている(土井,1999).歴史時代には,西岩手カルデラ内の活発な地熱噴気地帯(大地獄谷{おおじごくだに})で1919年(大正八年)7月15〜16日に水蒸気爆発が発生したことが知られているが,それ以外は明確ではない.
水蒸気爆発は一般に比較的小規模な噴火活動を起こすことが多く,噴出物の分布範囲も狭いが,噴出源近傍では噴石の落下や火砕サージ等により噴火災害を与え得る危険性を内包している.また,1990-95年の雲仙普賢岳における噴火活動では,本格的なマグマ噴火の前駆現象として水蒸気爆発が発生し,水蒸気噴出物の構成物を詳しく調べることで噴火に関連したマグマの挙動を予測する情報を入手することができた(渡辺・他,1992;Nakada et al., 1995).この様なことから,過去に発生した水蒸気爆発の発生履歴や噴火過程に関する情報は,将来の噴火推移を予測する上で重要な判断材料の一つになると思われる.
水蒸気爆発による噴出物量は比較的少なく堆積物が残りにくいため,過去の噴火履歴を地質学的手法により明確にするには,山頂付近や,水蒸気爆発の痕跡(火口状の地形など)が残る地熱地域近傍で調査を行う必要がある.そこで,岩手火山において最近発生した水蒸気爆発の噴火履歴を明確にするため,現在でも噴気活動が活発な大地獄谷を中心に西岩手カルデラ内で地表調査を行った.その結果,十和田-aテフラ(西暦915年噴火;町田・他,1981)の上位に,腐植に富む土壌(いわゆる黒ボク土)を挟んで2枚の水蒸気爆発噴出物の存在を確認し,下位の水蒸気爆発噴出物がスコリア混じりの火山灰に直接覆われることを見出した.本論では,今回把握した噴火堆積物の構成物分析,および堆積物直下の腐植に富む土壌の14C年代測定を基に,有史時代に発生した岩手火山の水蒸気爆発の発生履歴と噴火過程を示す.
2.噴火堆積物
調査範囲は西岩手カルデラ内で,登山道沿いの自然露頭の観察を行った.噴火堆積物を確認した地点を図2に,柱状図を図3に示す.調査地域では,十和田-aテフラの上位に腐植に富む土壌中の2層準から噴火堆積物が確認された.本論では,下位の噴火堆積物をT1ユニット,上位のものをT2ユニットとする.なお,T1ユニットは層相から2つのサブユニットに細分される.
T1ユニット
T1ユニットは地表下10数cm〜20cm程度の層準にあり,十和田-aテフラとの間にも10数cmの腐植に富む土壌を挟在する.層相から区分できる2つのサブユニットの内,下部の粘土質火山灰をT1-aサブユニット,上部のスコリア混じり火山灰をT1-b サブユニットとする.
T1-aサブユニットは,乳白色〜黄乳色の粘土質火山灰である.変質の程度の弱い玄武岩〜安山岩質の岩片も極少量認められるが,乳白色に変質した火山岩片が多量に含まれることから,水蒸気爆発により噴出したものと思われる.大地獄谷周辺から御苗代湖{おなしろこ}の南東部まで分布が確認でき,大地獄谷周辺で最大層厚4cmを示す.分布と層厚変化から噴出源は大地獄谷周辺と推定される(図4).
T1-bサブユニットは,粒径1mm以下の暗灰色〜青灰色の火山灰で,赤褐色を呈する粒径1mm以下のスコリアも少量混在する.粒度組成の相違による細かな平行ラミナがかすかに認められ,最下部には赤褐色スコリアがやや濃集する.御苗代湖の南東部から東岩手火山の西部山腹で確認され,最大層厚は8cmである.分布域と層厚変化の傾向から,このスコリア混じり火山灰の噴出源は東岩手火山山頂部と推定される(図4).
T2ユニット
T2ユニットは地表直下の乳灰色〜灰色の粘土質火山灰である.この粘土質火山灰の直上の腐植に富む土壌には,直径1cm以下の乳白色に変質した火山岩片が散在している.この噴出物は粘土質で変質岩片を含むことから水蒸気爆発によって噴出したと思われる.なおF地点(図2)では,表層部に腐植に富む土壌と植物根が雑多に混合するユニットが存在するが,これは急斜面の表層部が局所的に移動した事による,いわゆる二次堆積物と考えられる.T2ユニットの分布は大地獄谷周辺に限られ,最大層厚3cmを示すが,1露頭内でも連続性に乏しい.分布範囲から,噴出源は大地獄谷周辺と推定される.
3.噴火堆積物の構成物分析
(a)破片粒子構成物
BおよびD地点に露出するT1-a,bサブユニットおよびT2ユニットから採取した試料を分析した.試料は超音波洗浄機を用いて水洗し,粘土分が浮遊する濁り水は凝縮乾固の後,残留物を粉末X線回析用の試料とした.上澄みを洗い流した破片粒子を篩分け,粒径0.3〜0.15mmの粒子をスライドガラス上にエポキシ樹脂で封入し双眼実体顕微鏡で観察し,さらにこれを研磨し偏光顕微鏡で観察した.
粘土質火山灰であるT1-aサブユニットおよびT2ユニットは破片粒子の60〜80%を変質岩片が占め,それ以外に造岩鉱物片(斜長石・単斜輝石・斜方輝石),スコリア,未変質岩片,不透明鉱物,火山ガラスが識別できる.一方,スコリア混じりの火山灰であるT1-bサブユニットは,破片粒子の約50%がスコリア,約30%が斜長石・単斜輝石・斜方輝石などの造岩鉱物が占め,残りの20%は未変質岩片,変質岩片および火山ガラスからなる.
複数の地点から採取した粘土質火山灰(T1-aサブユニット及びT2ユニット)の破片粒子構成物比には,顕著な差異は認められなかった.一方,粘土質火山灰(T1-aサブユニット)とスコリア混じり火山灰(T1-bサブユニット)を比較すると,破片粒子の構成物比においてスコリアの含有率が明らかに異なっている.
変質岩片は乳白色〜淡黄赤色で,原岩が判定できないほど変質が進行しているものが多い.ほとんどの粒子は角が取れ,丸みを帯びている.造岩鉱物はいづれも新鮮であるが,ほとんどが破片である.スコリアはブロック状のものが多く,石基部に微細な気泡が認められる比較的緻密なものから,光沢のあるガラス質石基を持ち比較的大きな気泡(径0.03〜0.01mm程度)の認められるものまで,発泡度と結晶度が多様な粒子が混在している.未変質岩片は,安山岩質から玄武岩質の緻密な火山岩の破片で,気泡の一部を断ち切るブロック状の形状を示すものも含まれる.薄片の偏光顕微鏡観察によると,未変質岩片には石基鉱物が認識でき,ハイアロオフィティック〜ガラス基流晶質組織をもつことから,既存溶岩の破片と考えられる.
火山ガラスは,無色透明および黒曜岩質のガラス片で,晶子の形成やガラス表面の風化がほとんど認められず,ガラスの形状は,主にバブルウォール型を呈している.これらガラス形状や黒曜岩質破片を共存するといった特徴は,これまでに知られている岩手火山起源の珪長質噴出物 脚注1(雪浦軽石・篠鱒X火砕流など:土井,1991b)とは異なり,岩手山周辺で見い出される十和田-aテフラと同一である.このことから,T1及びT2ユニットから確認される火山ガラスは十和田-aテフラからの混入物である可能性が高い. 以上のように,粘土質火山灰であるT1-aサブユニットおよびT2ユニットからは,新鮮なマグマ物質が急冷破壊したと思われる破片の存在を確認することが出来なかった.一方,スコリア混じり火山灰であるT1-bサブユニットについては,構成物の大部分を占めるスコリアは石基部に微小な気泡が認められる緻密なブロック状の破片で結晶度も多様であることから,小規模な噴火活動(例えば,Ono et al.(1995) が阿蘇中岳や桜島・諏訪之瀬島で発生する噴煙活動に対して定義した灰噴火)による噴出物の可能性が考えられる.
----脚注1;本論査読中に,東岩手火山を起源とすると思われる珪長質火山灰(噴出年代約1.8ka)の存在が確認された(伊藤,1999)が,火山ガラスの形態は本論で記述するものと異なっている. ------------------------------------
(b)変質鉱物
地質調査所の理学電機製RAD-γAを用い粉末X線回折分析により粘土鉱物の同定を行った.分析条件は加速電圧40kV,電流100mA,スリット幅は1°-1°-0.3mmである.
T2ユニットからは,カオリナイト,クリストバライト,明ばん石,モンモリロナイトのピークが認められ,極めて微弱であるがパイロフィライトと思われるピークも認められた(図5).T1-aサブユニットの分析結果は,T2ユニットとほぼ同じであるが,石英のピークが確認されることと,やや明瞭なパイロフィライトのピークが認められるという特徴がある.なお,T1-bユニットについても水中浮遊物を回収し同様のX線分析を行ったが,輝石や斜長石などの造岩鉱物のピークが確認されただけで,粘土鉱物などの変質鉱物のピークは確認されなかった.
比較のため,東岩手火山山頂部の薬師岳火口底と御室{おむろ}火口底の地熱地域に分布する変質粘土を採取し,同様の手法で分析した.その結果,カオリナイト,明ばん石,クリストバライトのピークは検出されたが,モンモリロナイトとパイロフィライトは検出されず,T1-aサブユニットおよびT2ユニットとは明らかに異なる変質鉱物組成を示した(図5).歌田(1977)の分類に従うと,東岩手山頂部の変質帯で確認された粘土鉱物組成は,酸性環境下において形成されるカオリナイト帯に相当する.酸性変質帯は一般に内側からパイロフィライト帯−明ばん石帯−カオリナイト帯の累帯配列を呈するが,酸性変質帯だけの累帯分布を示すことは比較的希で外縁部では多少のモンモリロナイトを伴うことが多い(歌田,1977).東岩手火山山頂部には径数十m〜100m程度の地熱変質帯が点在し,現在では地中温度(深さ20〜50cm)は80〜95℃程度で噴気活動も低調である(仙台管区気象台,1997).しかし,1960年代には143〜360℃以上の噴気孔温度が測定されるなど(野口・他,1961),噴気活動が活発な時期もあった.天然の産状から推定されるモンモリロナイトおよびイライト/モンモリロナイト混合層鉱物の安定領域は約220℃以下であり(Henlye and Ellis,1983),最高温度360℃以上というような高温噴気孔が最近まで活動していた東岩手火山の地熱変質帯では,モンモリロナイトは存在するとしても局所的と考えられる.回折X線のピーク強度は分析試料中の変質鉱物の相対量比を反映していると考えられているが,T1-aサブユニットとT2ユニットそれぞれの試料のモンモリロナイトとカオリナイトのピーク強度はほぼ等しく,この様な変質鉱物組成を持つ水蒸気爆発噴出物が東岩手火山山頂部から放出された可能性は低いと考えられる.
一方,大地獄谷周辺域の地表に露出する地熱変質帯は,明ばん石帯を中心として周辺に向かってカオリナイト帯,モンモリロナイト帯に分帯される累帯配列を示す(高島・他,1985).高島らの報告とT1-aサブユニットおよびT2ユニットの分析結果を比較すると,噴火堆積物にパイロフィライトが検出されたことを除いて一致している.一般にパイロフィライトは比較的高温で酸性度の高い変質帯の中心部に形成されるので,形成年代が古いために削剥が進んだ地熱変質帯では,明ばん石帯のさらに内側に露出することがある(例えば大松倉沢や松川地熱地帯:金原,1983;高島・他,1985).大地獄谷と大松倉沢の酸性変質帯は共に変質岩のフッ素濃度が高く,変質分帯も類似していることから(高島・他,1985),両者は同種の地熱変質作用を被っていると判断され,大地獄谷の地表下にもパイロフィライト帯が伏在している可能性が高い.爆発噴出物では地表下の物質も放出されるので,T1-aサブユニットおよびT2ユニットの変質鉱物組成は,大地獄谷周辺から噴出したとする解釈と矛盾するものではない.
4.有史時代の水蒸気爆発の年代
T1及びT2ユニットは共に十和田-aテフラの上位にあることから,過去1000年間の噴出物と考えられる.これらの噴火年代を検討するために,図1のB,D地点から腐植に富む土壌を採取し14C年代測定を実施した.分析試料は,B地点ではT1-aサブユニットの直下,D地点ではT1-aサブユニットおよびT2ユニットの直下の腐植に富む土壌から,いずれも最上部2.5〜3cmを採取した.試料はビニール袋に封入した状態で持ち帰り,その状態でBETA ANALYTIC Inc. (USA)に分析を依頼した.試料は酸洗浄を施された後,グラファイト化され,加速器質量分析法により測定された.14C年代値はLibbyの半減期5568年を用いて算出され,個々の試料のδ13C値を用いて同位体分別効果に対する補正を行った.暦年代への較正は,Stuiver and Reimer (1993)の暦年代較正プログラム(CALIB 3.0.3c)を用いた.分析結果および暦年較正の結果を表1に示す.
上位のT2ユニットは地表直下にあることからごく最近の噴出物と考えられるが,噴火堆積物直下の腐植に富む土壌の14C年代測定では測定結果が誤差範囲内(2δ=±80 yr)であるため,modernとの結果が得られている.史料火山学的な検討(例えば伊藤,1998)によると,過去数百年間に西岩手火山(大地獄谷周辺)で発生した事が確認される水蒸気爆発は1919(大正八)年の活動だけである.T2ユニットはその分布から噴出源が大地獄谷周辺と考えられること,14C法による噴出年代も極めて最近であることを示していることから,T2ユニットが1919年の水蒸気爆発により放出された堆積物に対応すると考えられる.
一方,下位のT1-aサブユニット直下の2地点で採取した腐植に富む土壌(サンプルD-2,B-1)から求められた補正14C年代の2δに対応する暦年の確率分布は重なり合わない.14C年代からは両者の噴出年代が有意に異なることから,噴出年代の異なる別個の噴火イベントに対応する噴出物であると考えることも可能である.しかしながら,今回得られた年代値は,火山灰が覆う有機物に富む土壌の14C年代測定であるため,土壌の堆積速度の違いや局地的な表層の削剥,生物による擾乱などのため,異なる年代値が求められた可能性も考えられる.
サンプルD-2およびB-1の構成物は,前章に記述したように,破片粒子及び粘土鉱物の分析結果において顕著な差異を認めることはできない.同一の地熱変質帯でほぼ同規模の水蒸気爆発が発生した場合,その噴出物の構成物がイベント毎に顕著な差異を示すとは限らないが,複数地点における露頭観察を基にした分布範囲や層厚変化の傾向および層位関係から考えると,これらを異なった水蒸気爆発噴出物と認定するより,前述の様な何らかの理由で異なる年代値が求められた同一噴火ユニットである可能性が高いと考えられ,本論では,T1ユニットの噴出年代を15〜17世紀中葉とするに留める.
また,スコリア混じりの火山灰であるT1-bサブユニットが,粘土質火山灰であるT1-aサブユニットを直接覆っていることから,両ユニットはほぼ連続的な噴火活動によって放出されたものと考えられる.このイベントでは堆積物の分布,性状,層位関係から以下のような噴火経過をたどったと考えられる.すなわち,先ず大地獄谷周辺で水蒸気爆発が発生し,粘土質火山灰(T1-aサブユニット)を西岩手カルデラ南西部に降下させた.その後,東岩手火山で噴火活動が発生し,スコリア混じり火山灰(T1-bサブユニット)が西岩手カルデラ東部に降下した,と思われる.
東岩手火山山頂部で歴史時代に発生した活動としては,10〜17世紀の尻志田スコリアを噴出した噴火イベントと1686年の刈屋スコリアを噴出した噴火イベントが確認されている(土井・他,1986).1686年噴火に関する噴火記録は残されているが,山頂噴火の直前に大地獄谷周辺で噴火活動があったとする記述は残されていない.また,1686年噴火は山体の大部分がまだ積雪に覆われている3月末に発生している(例えば伊藤,1998)ので,積雪の上に堆積した水蒸気爆発噴出物とその後の小規模なマグマ噴火堆積物が層序を保ったまま保存されたとは考え難い.一方,尻志田スコリアを噴出した噴火イベントの堆積物として,岩手山東麓部では粒径1〜2cmの粗粒な降下スコリアの下位に粒径数mm以下の細粒スコリアおよび火山砂からなるユニットが確認されている(伊藤・他,1998).この細粒スコリアおよび火山砂ユニットとT1-bサブユニットとの対比については,今後,スコリアの組成分析や噴火年代の確定など,より詳細な研究が必要と思われる.
5.まとめ
西岩手カルデラ内で十和田-aテフラの上位の2層準から,水蒸気爆発により放出された粘土質火山灰層が見いだされた.これら噴火堆積物について,構成物分析および腐植に富む土壌の14C年代測定を行った.その結果,上位の粘土質火山灰は1919年(大正八年)に大地獄谷周辺で発生した水蒸気爆発に対比されると考えられる.また,下位の粘土質火山灰は西岩手カルデラ東部でスコリア質の火山灰に覆われることが確認された.これらは15〜17世紀中葉に発生した一連の噴火イベントによるもので,このイベントでは西岩手火山の地熱地域(大地獄谷)周辺で水蒸気爆発が発生した後,引き続き東岩手火山山頂部で小規模な噴火活動が発生したと考えられる.
謝辞
地質調査所環境地質部の塚本 斉さんには十和田-aテフラに関してご教授頂いた.また,同地質部の星住英夫さんには,本論をまとめるにあたって議論して頂くとともに,草稿を読んで頂いた.同地殻科学部の富樫茂子さんには14C年代の解釈についてお教えいただいた.本論の編集を担当された奥野 充さん,査読していただいた井村隆介さん,奥村晃史さんのコメントは,本論を改善するに当たり大変有益でした.記して感謝申し上げます.
引用文献