付録(解題一覧)

1) 『盛岡藩雑書』.盛岡藩家老の執務日誌で,南部藩家老席日誌と呼ばれることもある.一部欠落はあるものの(正保二年,明暦三年,万治二〜三年,寛文六年,貞享三年,享保十一年,宝暦四年,文政三〜六年),寛永二十一(正保元年に改元;1644)年から天保十一(1840)年までを網羅する公的記録である.その内容は,盛岡藩の人事・法制,各地代官所や寺社からの書状の要約,天候や地震・洪水等の天災など諸事万般が日記形式で記録されており,盛岡藩に関する第一級史料である.岩手火山の噴火記録の信憑性を検討するに当たり,この『盛岡藩雑書』を利用した.原本は盛岡市中央公民館に所蔵されており,全巻マイクロフィルム化されている.盛岡市教育委員会および盛岡市中央公民館により,『盛岡藩雑書』として,活字化・刊行する事業が進められているがまだ完了していない(1998年3月現在,正徳五年まで刊行).

 本研究にあたり,活字化されている部分については,盛岡市教育委員会・盛岡市中央公民館発行の刊行本を利用し,それ以外の部分についてはマイクロフィルムから著者が判読した.

2)『雫石歳代日記』.延宝七(1677)年,御明神村の右京進から雫石代官宛に出された口上書を根幹とし,その前後が書き足されてできあがった年代記.天正十九(1591)年から明治十四(1881)年迄を網羅している.転写本が多数存在するが,雫石町教育委員会より1963年に,『雫石町誌史料第1集 雫石歳代日記』として編纂・活字化の後,刊行されている.本研究では,雫石教育委員会による刊行本を利用した.

3)『内史略』.横川良助(1774-1857.数学者,南部藩政史家)が編纂した南部藩最大の史書(前編24巻,後編20巻).前編は当時残されていた多量の史料を中心にまとめた編集史,後編は社会問題特集の趣が強く,財政経済,百姓一揆,凶作など多方面の記録を採録.地方代官として勤務していた甥(横川貢)をニュースソースとしたと考えられている.

 本研究では,1973年に岩手県立図書館が岩手史叢として発行した刊行本を利用した.1686年噴火に関連する記録は,当時残されていた史料『南旧秘事記』『奥南旧記抜粋』を原典としている.

4)[岩手山焼崩並神官別当之事]は,『郷村實見聞記5)』に採録された『岩鷲山焼崩附御届書写 享和元年辛酉六月洪水一件 全』6)との表題の付けられた記事の中にある.岩手火山の1686年噴火記事で,南部重信の書状と共に,噴火の概略や岩手山神位の到着について言及されている.

5)『郷村古實見聞記』.盛岡藩士阿部九兵衛知義(算数者.検地測量に従事.文化八(1811)年没)が,仕官勤務中に見分した古記録など藩の財政関係資料を筆写したもの.自身が関係した公帳の抄録も収める.文化元(1804)年に成立.本研究では,南部叢書刊行会により活字化され,昭和二(1927)年に南部叢書第4巻として刊行された史料集を使用した.

6)『岩鷲山焼崩附御届書写 享和元年辛酉六月洪水一件 全』.著者・成立年とも不明.岩手県立図書館に所蔵されている和書を確認したところ,1686年の噴火記事と共に享和元(1716)年の洪水の記事が掲載されていることから,江戸時代中期以後に成立したものと思われる.噴火記事の内容は『郷村古實見聞記』のものとほぼ同一であった.

7)『篤焉家訓』.盛岡藩士の市原篤焉が藩内の神社仏閣・寺院の旧記,古記録を基に編纂.原本は盛岡市中央公民館に所蔵.本研究では,原本の確認はできなかった.

8)『国統大年譜』.南部家が所蔵していた多種の古文書・記録を元に明治時代に編纂された年表.岩手県教育会が作成した転写本(抄録)が岩手県立図書館に所蔵されている.本研究では,盛岡市中央公民館に所蔵されているマイクロフィルムを利用した.

9)[岩鷲山御炎焼之事]と称される噴火記事は,a) 岩手県立図書館所蔵の『旧蹟遺集』(図書番号;新22-37)の欄外記事,b) 桜井(1903)が採録した『田村神社別当斉藤家記録の写し』,およびc)『岩手山記』の第2章6節(貞享年代之炎焼)に採録されている.いづれも微妙な点で記載内容が異なっているが,『旧蹟遺集』の欄外記事(正式名称;[盛岡領岩手郡岩鷲山焼崩之記 岩鷲山御炎焼之事])には噴火見分に向かった代官らの装束などが最も詳しく記されており,これらの中では最も原姿に近いと考え,本論ではこれを定本とした.        

 なお『旧蹟遺集』は南部藩国学者黒川盛隆(1753-1813)が藩命により執筆した風土記及び藩内の名所旧跡の事跡をまとめたもので,三輪秀福,阪牛助丁,梅内祐訓の合著として文化三(1806)年に出版された.               

 『田村神社別当斉藤家記録の写し』は滝沢村篠木の斉藤家に伝わる古文書で,桜井(1903)が採録したが,本研究では現物を確認できなかった.

10)『貞享三丙寅 閏三月 岩鷲山御山御炎焼書留』.盛岡県立図書館所蔵の和本として所蔵されていることを,現物を閲覧して確認した.明治時代以降に筆写したものと思われる.

11)『岩手山記』.岩手山神社の宮司(当時)であった小原兄麿が大正九(1920)年に刊行,昭和十五(1940)年に小原実義により再版された.岩手山神社に保管されていた古記録を活字化して採録しただけでなく,岩手山の自然(地理,植物,動物,地質)をまとめた.地質については桜井(1903)の抜粋を掲載している.本研究では,岩手大学中央図書館および岩手県立図書館の所蔵本を閲覧し,使用した.

12) [此度岩鷲山仕付口上差上申事].貞享三年三月十二日付けで,柳沢別当篠木村禰宜が盛岡藩寺社奉行に提出した噴火の実見録.禰宜は貞享三年七月には盛岡藩の許可を得て,京都吉田家に噴火の状況を説明していることなどからも,この実見録の信憑性は高いと判断される.『岩手山記』第2章6節(貞享年代之炎焼)に採録.

13)[自光坊,無量院,成就院,慈学院,普明院,役僧定学院其節見届注進申上候書付].貞享三年三月六日付けの見届注進書の写し.自光坊ら修験者が,貞享三年三月三日から四日にかけて,噴火の祈祷のため,岩手火山山腹に赴いた際の実見録.自光坊らは祈祷のために岩手山山麓に赴く前に,老中および前藩主に面会し,馬を貸し付けられている.この書状は,祈祷終了後盛岡藩に提出した実見録の写しで,信憑性は比較的高いと思われる.『岩手山記』第2章12節(自光坊の諸記録)に採録. 

14)[岩鷲山焼申に付自光坊並に常法院,定学院,正明院,妙楽院,御山え参見分仕亥之刻登城様子申上候 覚].『岩手山記』第2章7節(貞享年代之神位)に採録.貞享三年三月五日に盛岡城に登城した際の報告の写しで,記述内容は[自光坊…注進申上候書付]14)を簡略化したものである.これをさらに要約したものが,『花印』22)に掲載されている.

15)[雫石猟師長五郎,長三郎,與左衛門,惣十郎,巌鷲山見分之覚].雫石の猟師(またぎ)が,貞享三年閏三月七日に山頂付近まで登山した際の噴火の実見録.『岩手山記』第2章7節(貞享年代之神位)に採録されている.記述内容の要約が『花印』にも掲載されている.

16)『祐清私記』.伊藤祐清(宝永元(1704)年〜延享二(1745)年没)が,『南部根元記』『奥南旧指禄』その他の諸書に散見する南部藩の史書をまとめたもの.原本は南部家に所蔵されている.本研究では,南部叢書第3巻として刊行されたものを用いた.

17)『聞老遺事』.著者は梅内祐訓(明治二(1869)年没).文政五(1822)年に成立.南部藩家系譜略を初め,南部家始祖から29代重信間の事跡,地方史料を集積したもの.本研究では,南部叢書第2巻として刊行されたものを利用した.

18)『奥羽観蹟聞老志』.仙台藩士佐久間義和(享保四年死去.84才)が藩主(伊達綱村)の命により,現地調査と当時残されていた古文書を基に編纂した東北地方の郷土史.宝永四(1707)年から執筆を始め,享保四(1719)年に完成.本研究では,仙台叢書の一冊として明治十六(1883)年に刊行されたものを用いた.

19)『巖鷲峰記』.田口藤好(南部藩家臣.享保元(1716)年没)のによる岩手山の地誌.『岩手山記』第6章(古文章)に採録.

20)[巖鷲山神位之事].『岩手山記』第2章7節(貞享年代之神位)に採録.巖鷲山の神位を挙げる陳情のため,柳沢別当が京都に上り神祇職吉田家にて噴火の様子を説明したことの記録や,宣旨箱・御幣に対する規式に関する京都吉田家家老からの書状を書き写した記録集.

21)[寺社再興に出つ左に].『岩手山記』第2章7節(貞享年代之神位)に採録.

22)『大沢村旧書記』.桜井(1903)によると,当時の網張温泉の泉主であった沢村氏が所蔵していた古記録である.網張温泉の権利はその後何回か譲渡され,沢村氏の子孫及び原本の所在は不明である.本研究では,桜井(1903)により活字化された史料を利用した.

23)『花印』.花巻の藤原秀典が曾祖父以来三代の日誌から珍説異聞を集録したもので,元文二(1737)年に成立.内容は,個人の実体験を書き留めたというより,何らかの手段で目にすることができた藩政記録等の備忘録に近い.1686年噴火および1732年噴火の両方の噴火記事を掲載している.特に,1732年噴火に付いては,見分を実施した人物として御徒目付古木庄左衛門の名を挙げている.この人物が噴火見分を行ったことは,『盛岡藩雑書』の享保十七年十二月二十八日および同月二十九日の条に記されているだけで,他の史料では紹介されていない.このことからも,藤原氏の先祖が盛岡藩の藩政中枢の資料を閲覧することができたことが伺え,そのニュースソースの信憑性が高いと判断される

 大正時代に岩手県教育会が『岩手県誌』を編さんする際作成された転写本『花印抄録』と原本が岩手県立図書館に所蔵されている.本研究では,『花印』『花印抄録』とも原本を確認した.

24)『秘旧記』は『岩手山記』第2章3節(大勝寺之創立)に採録.作者,成立年等は明示されておらず,本研究では,原本あるいは転写本の所在を明らかにすることはできなかったが,1686年噴火と1732年噴火に関する記事が掲載されている.

25)『南部藩事務日誌』は福田(1974)には引用した史料で,『盛岡藩雑書』を指すと思われるが,明確ではない.

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