
2000年夏,三宅島噴火調査のため,7月・8月の二回にわたって三宅島に渡りました.調査を行っていた間には噴火こそ発生しませんでしたが,活発な火山活動は継続しており,絶え間なく震度2−3の地震が続き,山頂陥没カルデラの拡大が続くなど,緊張した状況での調査となりました.
7月8日・14−15日に発生した山頂カルデラからの噴火によって,島の北東部を中心に火山灰が降下した直後の調査となり,おもに火山灰の堆積状況の調査を行いました.8月調査は,堆積した火山灰が雨によって泥流となり,山麓に大きな被害を生じた直後の調査となりました.
☆☆☆ 2000年三宅島噴火現地調査の状況 ☆☆☆
●山頂付近の状況
●山腹の火山灰の堆積状況と被害
●阿古付近に発生した岩脈貫入による地変
☆ ひとこと ☆
私の参加した調査の約1週間後の8月10日早朝,山頂カルデラからの噴火活動が再開しました.8月18日には一連の火山活動の中で最大の噴火が発生し,島内に大きな被害をもたらしました.その後も火砕流をともなう8月29日噴火が発生し,また大量の火山ガスの放出が始まるなど,予測のつかない状況が次々と発生しました.結局,事態の不透明さから,9月には全島避難がおこなわれ,それからまもなく2年になる2002年7月現在も火山ガスの放出に阻まれ全島避難の解除は実現していません.
2000年6月から7月はじめにかけての岩脈貫入事件と山頂陥没火口の形成をみて,多くの火山関係者は今回の火山活動は収束に向かっていると考えました.なぜなら,三宅島の直下のマグマ溜まりに貯留されていたマグマは三宅島ー神津島間の海底地下に貫入した岩脈にむかって流出し,三宅島の地下からマグマが取り除かれたと考えたからです.7月に入っての一連の山頂噴火や地震,陥没カルデラの形成などは,6月26日からのマグマ貫入事件の「後始末」とみなされていました.
あとから考えると,この7月から8月はじめにかけての期間は,三宅島の地下数kmに存在したマグマ溜まりからマグマが北西海域に向かって流出し,マグマ溜まりの天井が崩壊して陥没カルデラが成長すると同時に,より地下深くのマグマ溜まり(〜10km?)に貯留されていたべつの玄武岩質マグマが,おそらくカルデラ形成に伴う荷重の除去によって減圧され,地表に向かって上昇しつつあった期間に当たっていたと考えられます.
8月10日に噴火活動が再開したとき,なぜ噴火が再び開始したのかその当時には皆目見当がつきませんでした.その後8月13日の噴火を経て18日の最大規模の噴火を迎えても,噴火が新たなステージに移行したと考えた火山学者は少数でした.しかし,8月18日噴出物には(13日噴出物にも!)新たなマグマに由来する噴出物が多量に含まれ,しかもその特徴は7月噴出物とは異なっていて,新たなマグマの噴出を示唆していました(噴出物の岩石学を参照).8月18日噴出物にマグマ物質が多量に含まれているとの観察結果は噴火の直後に提示されていましたが,新たなマグマの関与はなく,一連の噴火は水蒸気爆発であり噴火活動は収束に向かっているとの考えが大勢でした(たとえば
8月24日予知連).あとから考えれば,このとき火山専門家は噴出物に見られた,噴火活動が新たなステージに移行しているというサインを見逃してしまっていたといえます.
このように,進行中の火山活動の状況を把握し,的確な事後の予測をすることの難しさかを痛感させられる噴火活動でした.2000年噴火で得られた経験や火山学的知見を今後の噴火への対応に役立てることができればと考えます.そのためにも,噴火が一段落した現在だからこそ,2000年噴火の噴出物と噴火推移からこの噴火のメカニズムを明らかにする研究進め,それによって火山学の基礎学力を高める研究が必要となります.