産業技術総合研究所
地質調査総合センター
群発地震から一夜明けた6月27日,三宅島の西方沖で海水の変色が観測され,海底で噴火が起こった可能性があるとの発表がありました.
その後,無人潜水艇(ROV)や超音波探査(マルチビームサイドスキャンソナー)による海底地形観測によって,変色域付近の海底には割れ目やクレーターが見つかったため,どうやら海底噴火が起こった可能性が高いとされました.これらの地形については当初,“火口”ではなくて“熱水の噴出口”にすぎないとの説もありました.しかしその後の新たな潜水調査によって,極めて新鮮な噴出物が見つかったことから,この場所で海底噴火が起こったことは確実とされるようになりました.
→東大地震研の無人潜水艇調査(東大地震研のページ)
→海上保安庁の超音波探査で見つかった“火口列”(海上保安庁のページ)
いずれにせよ,6月27日前後に三宅島の西側地下に新たにマグマが貫入した,という点では多くの人の見解が一致しているようです.この地下におけるマグマの動きは,震源の移動や地殻変動パターンの変化などによって刻々と追跡されました.
→気象庁発表・記者会見資料(気象庁のページ)
この爆発&陥没については,地下におけるマグマの“ドレイン・バック”(※)がその原因ではないかと考えられました.
その後,詳細な地球物理学的観測などにより,マグマは真下に戻ったのではなく,むしろ横方向に北西へ移動(側方貫入)して行ったと考えられるようになりました.群発地震の震源がそちらに移動していく様子が観測されたためです.マグマが他所へ移動したことによって雄山直下のマグマ溜まり(深さ数km)に空洞ができ,マグマ溜まりの天井やその上に乗っていた岩盤が崩壊して,地表での陥没として現れたのだろうと考えられています.
(※) ドレイン・バック(drain back)とは,地下の浅いところまで上がってきたマグマが再び深部に戻っていく現象で,玄武岩質マグマの火山ではしばしば見られるものです.ドレイン・バックが起こる時は,火口底が陥没し,水蒸気爆発を伴うのが典型的なパターンで,最近の日本では伊豆大島で1987年にこの現象が起こりました.なお,ドレイン・バックでは,陥没に伴って爆発が起こるのであって,爆発によって陥没が起こるのでは無い,という点(因果関係)に注意.ドレイン・バックが起こる理由を考えるためには,まずマグマが上がってくるメカニズムを知る必要があります.玄武岩質マグマは重いので,そのままではなかなか地表まで上がって来られません.しかし,もしガス成分に富んでいれば,ガス成分が発泡することにより軽くなって上がって来ることができます.勢いが良ければそのまま噴火することもできます.こうして浅いところまで上がってきたマグマですが,ガスが抜けてしまうとまた重くなってしまうので,それで再び深部に戻っていってしまうのです.これがドレイン・バックというわけです.ドレイン・バックが起こると,それまでマグマが占めていた場所が突然ぽっかり空洞になってしまうため,その上側が不安定になって陥没すると考えられます.
ドレイン・バックは,有珠噴火のようなデイサイト質マグマでは起こりません.それは,デイサイト質マグマが比較的軽いことに加え,ガスが抜けると粘性(粘り気)が大きくなって流れにくくなってしまう性質があるからです.
14〜15日にかけて噴火は何度か繰り返して起こり,北〜東方向に大量の降灰をもたらしました(厚さは山麓で最大数cm程度)が,その後は噴火は一旦おさまりました.
→三宅島山頂火口の変遷(早川氏のページ)
噴火の脅威が依然続いていることから,8月18日噴火を契機として島民の島外への自主避難も加速され,8月23日夜には総人口の15%以上が三宅島を脱出したとのことです.(→島外への自主避難の様子;東宮の私的ページ)
三宅島2000年8月18日噴火の写真:
●三宅島噴火8.18(WOODY HOUSE さんのページ)
●2000年8月18日噴火(三宅島坪田在住・渡辺さん撮影;アジア航測・藤田さん作成のページ)
●噴煙高度15000mの推定方法(藤田さんのページ)
三宅島2000年8月18日噴火の噴出物に関する関連情報:
●新鮮な火山ガラス・火山礫と“カリフラワー状”火山弾 (2000/08/31, 13:30改訂)
●“カリフラワー状”火山弾と“Cored Bomb”(地調・川辺氏による報告)
●三宅島8月18日噴火堆積物の調査(地調・伊藤順一氏による報告)
●「マグマが出た」説に関する賛否両論(東宮の私的ページ)
注:ここでの用語の使い方. ・火山灰 =噴火で降って来たもののうち直径2mm以下の粒子 ・火山礫 =同・直径2〜64mmの粒子 ・火山岩塊=同・直径64mm以上の粒子 ・火山弾 =噴火によって火口から弾道軌道を描いて“飛んで”来たもの
実は,伊豆大島の6世紀の噴火(“S2”)が三宅島2000年と似た推移をたどったらしいことが指摘されています.このときにも“低温”(とはいっても巻き込まれた木材が炭化するほどには熱かった)の火砕流がほぼ全島に渡って流下したと見られ,その堆積物は厚いところで数mに達します.
また,阿蘇火山1979年9月6日噴火では,同様の“低温火砕流”によって死者3人・負傷者11人を出しています.
この噴火を受けて,三宅島の小中高校生全員の島外避難(8月31日の予定だった)がその日(8月29日)のうちに実行に移されるとともに,島民の自主避難がさらに加速されました.また8月31日の火山噴火予知連絡会でも初めて「火砕流への警戒」と「マグマの上昇の可能性」について言及され,全島民(防災関係者を除く)の島外避難が決定されることになるなど, 8月29日噴火は社会的にインパクトの強いイベントとなりました.
2000年8月29日噴火と8月31日予知連見解に関する関連情報:
●火砕流の中からの実況中継[必見!]
(みゃるさん@神着が千葉さんの掲示板に書いた内容を早川さんがまとめたもの;早川さんのページ)
●噴火の写真(島魂のページ)
●噴火の写真(アジア航測・千葉さんのページ)
●火砕流が流れる様子の連続写真(アジア航測・千葉さんのページ)
●海上から撮った噴火の写真(東大地震研のページ)
●火砕流の流下と噴出物の分布範囲を示した図(東大地震研のページ)
●8月31日の噴火予知連見解(気象庁のページ)
●予知連見解に強い影響を与えた地調の見解(8月31日噴火予知連提出資料〜「地調モデル」の絵も見られます)
気象庁および地調などがCOSPECという方法を使ってSO2放出量の観測を続けています.
2000年10月以降しばらくの間,1日当たり平均4〜5万トンという世界でも例を見ないほど大量のガスが出続けました(その後,2001年夏頃には1日当たり1〜2万トン,2002年秋以降には同3千〜1万トン程度にまで低下).
なお,日々公表されるCOSPECの観測値の数値自体をあまり問題にしない方が良いです.
なぜならCOSPECの測定原理上,次のような問題点があるためです:
・うまく観測できたとしても誤差が数十%程度ある,
・風の状況によっては測定値が真の値の数倍あるいは数分の1にもなりうる,
・観測値は瞬間値であるが,放出速度には変動があるので単純に1日当たりの放出量に換算するのは正しくない,
・ガスの濃度が高くなると測定ができなくなる(飽和してしまう)(→その後この点は改善).
つまり,24000トン/日とか38000トン/日といった数値の上下を問題視せずに,
「おおよそ数万トン/日の高い放出量が続いている」(2000年秋の場合)といった理解をしておくのが良いようです.
なお,SO2放出量のグラフは,気象庁のページを御覧下さい.(グラフを見る際にはくれぐれも上に列挙した問題点を頭に置いておいて下さい.)
SO2放出に関する関連情報:
●三宅島の二酸化硫黄放出量測定(地調の公式ページ)
●火山ガスの種類と災害(地調・川辺氏のページ)
●三宅島マグマの大量の脱ガスを説明する“地調モデル”(地調の公式ページ)
●三宅島雄山の噴火の影響による都内の二酸化硫黄濃度について(東京都災害対策本部)
●気象庁の「三宅島の火山活動」のページ(「最近の状況(三宅島上空の風の予測を含む)」から最新の日付けのものをお選び下さい)
●ある火山学者のひとりごと(ガス)index(Cauli.氏によるガス情報のまとめ)
2000年10月6日に,8月31日以来約1ヶ月ぶりに噴火予知連絡会伊豆部会が開催されました.
「火山ガスに対する警戒」が明記された一方,「爆発的噴火や火砕流の可能性は低い」とされました.定常的にガス抜きされている間は爆発しにくい,という理解です.
しかし,噴火がいつ終息するかについての見通しは得られませんでした.
→予知連10月6日の見解(気象庁のページ)
2000年11月初旬(11/3〜10頃)には,火山性微動の出方が一時的に変化しました.
微動の振幅が規則的に変動するようになったのです.
振幅変動の周期は約30分でしたが,その上に約1日周期の長い変動が重なっているようにも見えました.
地下の状況に何らかの変化が生じたか,と一部関係者の間で緊張が走りましたが,
特に何ごとも無いままこの変動パターンはなくなってしまいました.
→気象庁の公開している資料の一例(全5頁のうちの第4頁目が微動に関する資料です)[2004/2/2現在リンク切れ]
2000年12月15日と21日には目立つ微動が久しぶりに現れました(どちらもごく短時間).
局所的にしか観測されなかったことから,ごく浅い現象であることが分かっており,陥没火口壁の崩落によるものかもしれないとのことです.同様の微動は2001年1月19〜25日頃にも起こりました.しかし,これらの微動に対応して火山活動が特に変化した様子は無いようです.
→気象庁資料(微動の様子や火山ガス放出量などの観測値が見られます)[2004/2/2現在リンク切れ]
また,三宅島で「火映現象」が2000年12月下旬より見られるようになりました.
火映現象とは,高温のマグマ・岩石・ガスなどによって上空の噴煙が赤く照らし出される現象です.火口内がかなり高温であることを示しています.実際,火口内の温度の観測値はここ数カ月でだんだん高い値が得られるようになっていました.このような高温が観測されているということは,浅いところに高温の熱源(マグマ)がある(2000年夏以来の地調の見解〜下記参照)ことの傍証であると思われます.火映現象は,2001年1月下旬には見られなくなりました.
参考:
→気象庁2001/1/6発表資料(PDF)〜火映現象に関する報告のほか,火山ガス放出量,火口内温度等のデータも見られます.[2004/2/2現在リンク切れ]
→地調の見解(=浅いところにマグマが来ている)(地調が2000年8月31日に噴火予知連に提出した資料)
2001年1月下旬には,「陥没火口の底にできている“黒いもの”はもしかしたら溶岩流ではないか」との指摘を受けるということがありました.この黒いものは,確かにある角度から撮った写真を見ると溶岩流と見まがうような色・形をしていました(私も一瞬「まさか!?」と思いました(^^;).しかし,この“黒いもの”は前年11月から確認されている「水たまり」(の跡?)ということが判明しました.
→“黒いもの”がにわかに騒がれた2001年1月22日のヘリ観察結果(地調・中野俊氏のページ)
→同じ場所の水たまりが良く見えている2000年11月29日のヘリ観察結果(地調・川辺禎久氏のページ)
そうこうしている間にも,大量の火山ガスは相変わらず出続けました.1日当たり4〜5万トンという放出量が数カ月に渡って安定して続いたのです. 三宅島の火山活動が今後どのように推移するのか判断はつきかねるものの,いずれにせよ当分の間は終息する気配は見られない,と判断されました.
2001年5月28日の火山噴火予知連絡会では,“若干の活動低下の兆しは見られるものの,当面はこれまで同様の注意が必要である”との見解が示され,長期的には活動低下傾向にある可能性について言及がされました.しかし,短期的には顕著な低下傾向はほとんどなく,依然としていつ終息するかについては分からないという状況でした.
2002年に入ってからも,長期的な活動低下傾向は続きました. 三宅島から放出されるSO2ガスの量は,放出開始当初のおよそ4万トン/日に比べて明らかに少なくなっており, 1万トン/日を割る日がしばしば現われるようになっています. (ただし,1万トン/日という量が世界最大級の放出量であることには変わりありませんが...)